リアス式海岸では続かない
お昼休みが終わって五限目、担当の先生が出張で授業が自習になった。
自習内容としては、「配られたプリントをやれ」という何ともありふれたものだ。そのプリントが終われば、後は自分のやりたいことをやっても良いとのことだ。但し他人に迷惑を掛けない程度に……。
そういう訳で、私は二十分程度で課題を終わらせ、後は読書をすることにした。
――チョンチョン
私の背中を何かが突く。
「……何だ?」
私は辟易しながらも後ろを向く。辟易した理由は簡単だ、後ろの席に座っている人物に関係している。
「えっとね、しりとりしない?」
他の人に迷惑を掛けないとしての考慮か、若干小声でコイツが話しかけてくる。
そう、コイツ。つい先日席替えをした結果、私の後ろの席がコイツになった。そのときのコイツの顔は喜びに満ちていた。バッハの「主よ、人の望みの喜びを」を鼻歌で歌っていたほどだ。
「何でしりとりをしなくちゃいけないんだ。する事がないなら寝てればいいだろ? 他の人に迷惑を掛けるなと言われただろ」
コイツの誘いに私はノーと答える。
ノーと言える日本人、それが私。
「わたしと君は他人の関係なの?」
「……分かった」
捨てらそうな子犬の様な表情を見せるコイツに私は折れた。
ノーと言えなかった日本人、それが私。
「じゃあ、しりとりの「り」から始めようね。先行は君からだよっ!」
そう言われ、私はそっと机の引き出しのかから電子辞書を取り出す。不正? バレなきゃ不正にはならないんですよ。それに今は情報化社会。より情報を得たものが勝つんです。
「えっとりー、りー、りー……」
私は言った。
「リアス式海岸」
「えっと、リアス式海岸だから最後は……、「ん」だね」
「ああそうだな。だから次は「ん」で始まる言葉を言うんだぞ」
「うん分かった! って、「ん」だからしりとり終わっちゃってるよっ?」
「どうしてそう思うんだ?」
「そういう決まりだからだよっ! 君だって知ってるでしょっ?」
バンバンと後ろから音がする。私は前を向いているのでその様子を確認することが出来ないが、恐らくコイツが机を叩いた音だと思われる。
「本当にそうなのか? 決まりだと言っても誰がそれを決めたんだ? お前は知っているのか?」
私は疑問で仕方ない。どうして「しりとり」という遊びは最後に「ん」が付くと負けになってしまうのか。
何時。
どこで。
誰が。
それを決めたのか。疑問で仕方ない。
「それにさ、何か「ん」が仲間はずれな感じがするだろ? 可哀想じゃないか」
私の頭の中では「ん」が他の四十九音達に囃し立てられている姿が浮かんでいる。
「ん」、なんて可哀想な奴なんだ。只しりとりでお前が付いたら負けってだけで、こんな扱いをされるなんてっ!
こんな扱いをされ続けたら「ん」がストライキを起こしかねないぞ。
「んー、でも「ん」がいなくなっちゃったところで、別に困らなそうな――」
「本当にそう思うか?」
「えっ?」
コイツは何を呑気な事を言っているのだろうか。
「本当に、「ん」がいなくなっても不便なんて無いと思うか?」
「えっと、私はそんな気がしなくもないかなーって……」
そうか、それなら……、
「実際に体験してみるのが一番だな」
「はい?」
私の言葉にキョトンと目を丸くする。
「良いか? これから先は「ん」が無くなった世界だ。「ん」の付いた言葉は一切言ってはいけない」
「う、うん。分かった」
これがどれだけ大変な事か。って、「たいへん」で「ん」が付いてしまった。これを言い換えるなら、これがどれだけハードな事か、かな。
「ね、ねぇ」
「……どうした?」
コイツが私に声を掛けてくる。
「この前、君がリードしてた書物の事についてなのだけど」
「読んでいた」の代わりに「readしてた」。「本」の代わりに「書物」。まぁ書物は良いと思うけど、readはもっと別の言い方は見つからなかったのだろうか?
「私がリードしてた書物、『宙を仰いで君が歌ったこと』の事か?」
「そう、それ。読み終わっていて、君が許してくれるならの話でさ……」
これは貸して欲しいということなのだろうか? まぁ恐らくそうだろう。
「あぁ、別に良いぞ。明日持ってくるよ」
「良いの? 有り難うっ!」
「別に良いよ。もう読み終わっているし、読書をするのは良い事だ。でも、どうして読もうと思ったのか気になるのだが?」
コイツから本を貸してほしいと言われたのは、この方初めての事である。
「えっとね、この前チラッとテレビで見たバラエティーば……、バラエティーの放送で取り上げられてたの。それでちょっと気になっちゃって」
「成程」
「それでさ、『宙の星を見上げて君が歌ったこと』ってどの様な内容なの?」
「はぁ? バラエティーで特集されてたのなら、どの様な内容か少しくらい取り上げられるだろ。聞いてなかったのか?」
私がそう尋ねると、「あはは……」ちょっと困った様にコイツは頬を搔く。
「丁度その時にで……、居間に置いてあるアレがトゥルルルッて鳴っちゃってさ。わたし以外それに出られる人がいなくて、見逃しちゃったのであるっ!」
何故に最後誇らしげに語ったんだ、コイツは。それにしてもコイツ、で「ん」わって言いそうになったな。さっきもバラエティーば「ん」ぐみと言いかけたし。「危なかったー」って焦った表情が前面に出ている。
これはその内うっかり「ん」を言ってしまうのではないだろうか。
そうだ、面白い事を思い付いた。
私は紙にとある言葉を殴り書く。
「おい」
「なに? どうしたの?」
「これ、どう読むか分かるか?」
そう言って私はプリントの裏に書いた文字を見せる。
「えっと、なになに……、『リアス式海岸』……あっ!」
――キーン・コーン・カーン・コーン
「……終わったな。二つの意味で」
「ねぇちょっと! 今のは酷くないかなっ?」
「ん? 何の事だ?」
「今のだよ今のっ! 「ん」の付いた言葉を読ませるって、酷いと思うんだけどっ?」
「いや、もうそろそろ授業が終わりそうだったし」
「むー……」
唸って、不貞腐れるコイツ。
「とうっ」
私はコイツの膨らんだ頬を人差し指で突く。
プスーッと空気の抜ける音がする。
「……何するの?」
ジトッと私を睨んでくる。
「そのだな、お前のプクッと膨らんだ頬が、私に「萎ませてくれ」ってテレパシーを送ってきたんだ」
つまり私は何も悪く無い。その頬が悪いんだ。
「私の頬って喋るのっ?」
そう言ってコイツは自分の頬をペシペシッと軽く叩く。
「いや喋らないだろ。何を言っているんだ?」
「今君が言ったんだよっ?」
「……?」
「恍けても無駄だよっ?」
「こらこら、そんなに怒ってばっかりだと可愛い顔が台無しだぞ?」
「かっ、かわっ? ……な、なに言ってるのっ? もう話を逸らそうとしないでっ?」
「別に逸らしてなんて無いけど?」
「う、うー……」
変な唸りを上げて、視線を下に向けて黙る。
よく見ると顔が仄かに赤くなっている事が分かる。
「もうっ、知らないっ!」
この言葉を最後にコイツは口を噤む。
……はぁ。全く、仕方のない奴だ。
「分かったよ。私が悪かった。許してくれ」
「……知らないっ」
「ほら、今度あの店の桜餅買ってやるから」
「……本当?」
「本当本当。嘘つかない」
「なら、許してあげない事も無いかな~。あっ、別に桜餅に釣られたわけじゃないよ?」
「分かってるよ」
「なら許すっ!」
パァッと、雲の割れ目から日が差し込んで来たかの様な笑顔を見せる。
「許された」
釣られて私も笑う。
「さっ、早く教室でよっ! 次は移動教室だよっ!」
コイツは私の手を取り、教室を後にしようとする。
「いや、まだ次の授業の準備してないだろ?」
「あっ……」
無言で席に戻る私とコイツだった。




