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棒を振ったら水の泡が弾けた

 ある日の午後、私は小説ではなく漫画を読んでいた。ちょっぴり熱い野球漫画だ。

 そして今、甲子園への出場をかけてお互いのチームが全力を出し合い、延長へを縺れ込み、どちらの選手もボロボロな状態だ。

 主人公のいる野球部にピッチャーは主人公ただ一人。投球数もとっくに百球を越えている。これ以上投げ続けたら肩を悪くしてしまうかもしれない、そんな状態だ。

『駄目だよ準也! これ以上投げちゃ駄目だ!』

 仲間でセカンドを守っている友樹が主人公である準也に呼びかける。

『駄目って、何言ってんだよ友樹。まだ俺は全然投げられるぜ。むしろ、漸く肩が温まってきた感じだなっ!』

 はははっ! と冗談めかしに準也は笑って答える。

 しかし、誰の目にも準也が限界を超えているのは分かっていた。

『そんなのウソだ! それにもう準也は百球以上投げている。それ以上投げたら肩を悪くする一歩だよ。準也はプロ野球選手になりたいんだろ? それならこんなところで肩を悪くしちゃ駄目だ。そんな人生を棒に振る様なマネ、僕には絶対させられない!』

『こんなところだって? こんなところだからこそ俺は譲れられねぇんだよ。悪いけど、次も投げさせてもらうぜ。俺はアイツを、剣介を三振にしてやらなきゃいけないんだ』

 そう言って準也はマウンドに向かっていく――――。


「何読んでるの?」

 ヒョコッと私の方に顎をのせ、コイツが尋ねてくる。

「せいっ」

「あうっ!」

 そんなコイツに私は漫画を閉じ、コイツの顔めがけて本の平面が当たる様に腕を後ろに振る。ペシッと良い音が鳴った。

「おおぅ……。何で行き成りこんな事するのかなぁ」

「私に触れたからに決まっているだろう?」

「そんな事でっ?」

「そんな事とはなんだ、そんな事とは。お前が私に触れたことでインフルエンザに罹ったらどうしてくれんだ?」

 最近のインフルエンザはタミフルとかが利きにくいモノが出てきているらしいからな。

「わたし感染源か何かなのっ? ウイルスなのっ?」

「……」

「そこでどうして黙っちゃうのかなっ?」

「それが私という存在」

 それが私の性。

「何となく君のことが分かってきたような気がしてきたけど、それは大きな勘違いだったみたいだね」

 そう簡単に他人の事なんて分かるものではないだろう。人はそう簡単に出来ていない。だからもちろん私だってコイツの事を理解しきれているとは思っていない。だからこそ人と言うのは複雑で面倒で、そして面白いのだと思う。


「ところで何を読んでたの?」

漸く気を取り直したのか、コイツが私に聞いてくる。

「これ」

 私はコイツに読んでいた漫画の表紙を見せる。

「あれ、君にしては珍しいね。こういうスポコン的なものは読まない感じがしたんだけと。男性向けだし」

 コイツの言う事も分からなくもない。私自身、余り漫画を読まないし、今読んでいる様な少年漫画ともなると読む機会などさらに減る事だろう。

「まぁ、買ってきたのは父さんだけどね。読んでたのが気になって、かっさらって来たんだ」

 昨日の事だ。仕事が休みの父さんがこの漫画を読んでいるのを見て興味がわいた。父さんが言うにはアニメ化もされているらしく、現在放送中なんだとか。父さんもアニメを見て、原作である漫画を買おうと思ったらしい。そして一巻から最新刊である二十三巻まで一気に買ってきた。所謂大人買いである。

「そこは借りてきたって言うところ何じゃないかな?」

「無断拝借だし」

 居間のテーブルの上に置いてあったのを持ってきただけである。

「うん、かっさらって来たが正しいね」

「だろ、謝れ」

「君はお父さんに謝ろうね。それで、今はどんなとこなの?」

「こんなところ」

 先程まで読んでいたページを開く。

「おー、熱いねー、青春してるねー。……ん?」

 コイツが何やら不思議そうな表情を浮かべている様に思える。

「どうした? 何か気になるところでもあったか?」

 例えばどうして主人公のチームに投手が主人公ただ一人なのか、とか。控えの投手が一人くらいいても良いと思うんだが。そこはツッコんではいけないところなのかもしれないが。お話の関係上。

「うん、スッゴく気になる事が出来た」

「何だ? 言ってみろ」

 

「棒に振るって、どうして棒を振ると努力が無駄になるの?」


「……は?」

 コイツの口からでた言葉はこの漫画とは全く関係のないモノだった。いや、確かに登場人物である仲間の友樹のセリフで人生を棒に振る様なマネがどうのとか書いてあるけど。

「え、だってさ、気にならない?」

「いや、ストーリーとかに気になるところがあったんじゃないのか?」

 てっきり私はそうだと思っていたのだが。いや、それ以外に思いつく余地がなかったのだが。

「ほぇ? だってわたし、弟がこの漫画買ってるから借りて読んでるし……」

 えへへ。と少し照れて笑うコイツ。そんなコイツに――

「あうっ!」

 私はチョップをかました。

「な、なんでぶつのっ? しかも二回目! お父さんにも……、残念ながらぶたれたことはあるけどっ!」

 ぶたれたところであるオデコを摩りながら、私に尋ねてくる。良く分からないネタ付きで。

「なんか、その照れた顔がむかついた」

「何その理不尽な理由!」

「世の中は理不尽な事だらけだよ」

 蹴落とし這いずり上がる。恨み恨まれる。その循環で成り立っている。

「言ってる事はカッコいいけど、やってる事はカッコよくないよぅ……」

 目を潤ませ私に抗議してくる。その様は相手の加虐心を引き起こしかねないモノだ。もっと弄って下さいととらえられても仕方ないと思うのだが、余り弄り過ぎても後でふてくされてしまう。よって追撃は止めておく事にする。

「いや、別にカッコよさなんて求めてないのだが」

「え、そのなの?」

 キョトンとした感じの顔で私に聞いてくる。

「お前は私を何だと思っているんだ?」

「うーん、大好きな親友?」

 さらっと平然にとコイツは答える。

 その答えに私は口を閉ざす。

「あれ、どうしたの?」

 コイツが私の顔を覗いてくる。

「何でもない」

 私は顔を横に逸らす。

 別に何でもない。ただ顔が熱くなるの感じただけだ。恥ずかしくなんてない、照れてなんてない。


「それで、『棒に振る』の話だったな」

 すこし強引だとは思うけど、話題を変えることにする。いや、元々がこの事についての話をする予定だったので話を戻すが正しいのだろうか。

「うん。棒に振る、どうして棒を振ったら努力が無駄になるのかが分からなくて……」

「そうだな……。その前にお前はどんなふうに考えたんだ?」

「うーん。何もないところで木の棒とかを振っても空振りするだけで何の意味も無い、無駄な事だ。とかかな?」

「おぉ、お前にしては良く考えたな」

「えっ? それじゃあもしかして……」

「あぁ、お前の考えるとおりだ」

 間違えている。

「やったぁ!」

「え、何で間違えてるのに喜んでるんだ?」

 私がコイツの考えているとおり、間違っていると言ったのに、コイツは喜んだ。何だ、間違いを指摘されることに喜びを見出しているのか? 何ともお菓子な奴だ。私もコイツの事を分かっているようで、分かってなかったんだな。

「えっ?」

 私の言葉にコイツは困惑した様な表情を魅せる。

 あれ、何か私はコイツが戸惑う様な事を言っただろうか。

「何か変なこと言ったか?」

「えっと、私の言った答え……」

「間違ってたな」

「有ってたんじゃなかったのっ?」

 あぁ、そう言う事か。これは簡単かお互いの認識の違いによるものだろう。まぁ、日本語を話すものに良くある事だ。お互いが異なった意味で話しているのに何故が会話が成立してしまっている。

 私は、「お前にしては良く考えたな」という言葉を、「意味は間違ってはいるけど、何時も全部私に任せているお前にしてはよく考えたな」という意味で言った。

 恐らくだが、コイツの場合は、「お前にしては良く考えたな」という言葉を、「その通りだ。お前にしては良く考えたな」とでも解釈してしまったのだと思う。

「いや、間違っているが?」

「がーん……」

 私の答えに項垂れる。

「さて、『棒に振る』についてだが」

「見事にスルーされたっ?」

 はいそこ、黙ってなさい。

「別に素振りがどうこうという話では無い」

「うぐっ」

 コイツが銃か何かで胸を貫かれたかの様なリアクションを取る。

「『棒に振る』は『棒手振り』という言葉に由来しているみたいなんだ」

「棒手振り? なにそれ?」

「『棒手振り』は 魚とかの品物を天秤棒――両端に荷物を掛け、中央を肩に当てて(にな)う棒で(かつ)いで、声を掛けながら売り歩くこと、またはそれをやっている商人の事を言うんだ」

「何か江戸時代とかにありそうだね」

 顎に軽く人差し指を当て、その光景を想像しているのだろうか、遠い所を見ているかのような感じでコイツが話してくる。

「まぁ、イメージとしては間違ってないな。実際に江戸時代には存在してたみたいだし。けど、その売っている商品を全部売っても規模も小さいし、お客さんに値切られる始末で余り利益が上がらなかったみたいなんだ」

「うわぁ、可哀そう。実際出来るものなら私も値切りたいけど」

 ブルータス、お前もか。

「ここから、彼方此方を歩き回って全部売り切れたにも関わらず、労力と利益が釣り合わず「あまり得をしなかった」事から、『棒手振り』から『棒に振る』という言葉が出来上がったみたいなんだ」

「『棒手振り』から『棒に振る』か。棒に振る、歩き回って天秤棒に振り回されるみたいな感じかなぁ」

「まぁ、それで良いんじゃないかな」


 さて、中断していた読書を再開しよう。

 主人公――準也がマウンドに上がり、プレイボール。

 バッターボックスに立っているのは、ライバルである天才バッターの剣介。

 一球目。内角低めを攻める。ストライク。

 場内割れんばかりの歓声が上がる。

 二球目。外側いっぱいから、さらに逃げるようにスライダーを投げる。剣介は球を見送る。ボール。

 三球目。再び外側、しかしストライクゾーンぎりぎりを狙う低めのストレート。しかし剣介にカットされる。ファール。

 これでツーストライク、ワンボール。

 四球目。高めのストレート。相手を誘う様なボール球。カットされる。ファール。

『さて、次で決めさせてもらおうか』

 バットの先を観客席へと向ける。剣介からの挑発。

『それなら、こっちも決めさせてもらおうかっ!!』

 五球目。渾身のストレート。恐らくこの球は準也が今まで投げてきた中で一番速く、一番想いの乗った、一番重い球だった。

 ――カキイイイイイイイイイイイイン!!

 金属バット特有の響くような音が場内を駆け巡る。

 ホームラン。

 わずか十分にも満たない勝負。ただその結果だけだ残った。


「棒に振られたね」

 コイツが言う。

「棒に振ったな」

 私が答えた。


 棒を一振り、棒に振った。

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