食というのは恐ろしい
お昼休み、何時もの様にコイツと向かい合ってご飯を食べている。
「なぁ」
「ん? どうしたの?」
「ふと思ったことがあるんだけどさ」
「うんうん」
私の語りにコイツが興味深そうに相槌をうつ。
「初めてナマコを食べた人って、どうしてあんなモノを食べようと思ったんだろうな」
「……えっと、どうしてそう思ったのかな?」
ちょっと困った感じの顔をしたコイツが問い掛けてくる。私の言葉のどこに困る要素があったのだろうか。
「だってさ、お前アレみて食べる気になるか?」
ナマコ、学名はHolothuroidea。漢字では海鼠と書く。棘皮動物門に属する動物の一群で、細長い芋虫の形をしている。余り行動的ではない様で、海底を這って移動する。
ところで、ナマコの大きさについて皆さんはどの位の大きさを想像するだろうか。飽くまで私見だが精々二十センチ程度だと思っているのではないだろうか。私はこの位のモノだと思っていた。
ナマコは、数十センチに成長するモノがザラにいるらしい。
私はナマコを調べた時に読んだこの文章に戦慄を覚えた。
そしてその次の文章でナマコについて調べたことを後悔した。軽く目が眩んだ。
最大級のナマコであるクレナイオオイカリナマコは体長四メートル五十センチ、直径十センチに達する。
「あー、うん。ちょっと無理かなぁ」
このナマコという動物。食べられるらしい。いや、らしいでは無く、食べられる。残念ながら。しかも日本や中国では古来よりナマコを食料として利用してきた長い歴史があるというのだから驚きだ。
日本では酢の物として食べられることが多く、また、ナマコ料理の一つである「このわた」と呼ばれる料理は日本三大珍味の一つにされている。
「だろ。ナマコを見て「あ、美味しそう」なんて思うか?」
「少なくとも、わたしはナマコを捕まえたとしてもポイッてするかな。とても食べる気には……」
「私も同感だ。だから、ナマコを初めて食べた人はそれはもう酷い程飢餓な状態で、何でもいいから食べないと死んじゃうような状況に陥ってたんじゃないだろうか。と私は考えたんだ」
「ああ、うん。それなら納得かも。そんな状態なら選り好みしてる暇なんて無いしね」
まぁ、そうであって欲しい、という希望的観測も混ざってはいるが。寧ろ希望的観測しかない。
そして、恐らくナマコの最初の料理は「ナマコの丸焼き」だろう。棒に刺して火で炙った感じの。まさかそのままガブリッ! は無いよな。うん、無い。
「あっ、そうだ! それならサザエはどうなのかな?」
何か思いついたようで、ちょっと楽しそうにコイツが聞いてくる。
「サザエ?」
「そう、サザエ! だってそうでしょう? 貝の中から出てくるあのニュルンとしたアレ。君は食べようと思う?」
想像してみる。
今の私はサザエなんて巻貝なんて知らないし、それが食べられることも知らない。
ある日私は岩礁で見た事も無い、棘の付いた殻が特徴的な貝を見つけた。
食べられるかは分からないが、お腹が空いていた私は兎に角腹を満たすことしか頭になく、なりふり構ってられる場合ではなかったので食べることにした。
どうやって食べようか迷ったが、取り敢えずこのまま焼いて、その後身を取り出せば良いかという結論に至る。
ジュー、ジューと水分の飛ぶ音が鳴る。
磯の香りが私の嗅覚を刺激し、空腹な私により一層の空腹感が襲ってくる。
程よく焼けた所で火から離す。
適当な棒を身の端の方に差し入れ、身をなぞる様にぐるりと回す。すると身がはがれ、ポロリと落ちる。
地面に落ちる前に素早くつかみ。口に入れる。
ああ、美味しい。
その満足感に私は浮かれ、もっと食べたいと貝の中に指を突っ込む。すると確かな手ごたえを感じる。
「ふふふ……」
高揚していた私の口から自然と声が零れる。
そして私は残っていたモノを取り出す。
ニュルリ。
出てきたときの効果音はこんな感じだろう。
「え? あ……。え?」
出てきた、身を軽く巻いている、青白いソレを見て私は茫然とする。
気持ち悪い。
ただその一言に尽きた。
浮かれた気分がサーッと引いて行くのが分かる。
ポトリとソレが私の手から砂浜に落ちる。
「ヒィッ!?」
その落ちた音だけでも私は怯えた。
心臓がバクバクと何時もの倍の速さで鼓動する。
「や、やだ。ヤダッ!」
叫ぶ。そして早くその場から逃げたくて、逃げたくて逃げたくて、一分一秒一コンマ早く逃げたくて、私はその場から逃げだした。
「オエッ」
感じたのは不快だった。
「えっ? ど、どうしたの!?」
「いや、大丈夫」
「誰がどう見ても大丈夫じゃなさそうなんだけど?」
「それでも大丈夫」
「う、うん」
初めてサザエの、それも肝の方を見たらどうなるのか検証してみたらこうなったとは、とても言い難い。
「それにしても、駄目だなサザエも。きっとあれも酷い飢餓状態の人が、どうしようも無い時に食べたんだろう」
ちょっとお腹が空いているだけでは駄目だ。もうベリーベリーハングリーな状態でなくては駄目だ。
「え、もしかしてさっきの突然のちょっと吐きそうな感じの声は――」
「それ以上先を言ったら私はお前の弁当をひっくり返すぞ?」
「それは酷いっ!」
「当然の結果だ。……それにしても、人の食に対する情熱と言うのは恐ろしいな」
凄いでは無く、恐ろしい。
「恐ろしい? 凄いとかじゃなくて?」
「そう、恐ろしい。世界三大珍味ってあるだろ?」
「えっと、トリュフにキャビア、あとフォアグラだっけ。確かトリュフはキノコでキャビアはチョウザメの卵、フォアグラはガチョウの肝臓だよね。それで、これらがどうかしたの?」
「いや、私が恐ろしと思ったのは最後のフォアグラなんだよ」
「フォアグラが?」
「フォアグラが。お前、フォアグラがどうやって出来ているか知っているか?」
「え? 普通にガチョウをさばいて、肝臓を取り出して、綺麗にしたら、はい出来上がり。って感じじゃないの?」
それだけだったら別に恐ろしいなんて思わないだろ。
「いやいや、肝臓を取り出して綺麗にするのは間違いではないけど、その前までが肝心なんだ」
「どういうこと?」
「フォアグラはな、一か月間ガチョウに蒸したトウモロコシを詰め込んで出来るんだよ」
「詰め込む?」
「そう、文字通りに。漏斗、ほら理科の実験でも使ったりするするだろ、それで直接無理やり胃に詰め込むんだよ。一日三回な」
私がそう言うと、「え……?」とコイツは放心する。それは、色一杯のカンバスからスッと一瞬のうちに色が消え去り、真っ白になってしまった様を思い浮かばせる。
「ど、どうしてそんな事をするの?」
「そうしないと肝臓に脂肪が付かないからだよ。フォアはフランス語で肝臓。グラは脂の多い、肥大したっていう意味なんだ。つまり脂肪肝、肝臓に脂肪が蓄積した状態の事を意味しているんだ。そして一ヶ月後、二キログラムにまで大きくなった肝臓をガチョウを絞め殺して取り出し、余分なモノを取り除いて、冷水に入れ身を締めて完成って訳だ」
「どうして……」
どうしても何も――
「食べたいからに決まってるだろ」
「うぇぇ……」
酷い顔をしている。まぁその様を想像してしまったのだろう。想像性豊かな事だ。
苦虫を噛んだ後、口直しに甘いものを飲もうとして飲んだら、それが何と青汁だった。というコンボが決まったら恐らくこんな顔をするかもしれない。
でもそれって、青汁を飲んだ時点で予想外過ぎて吐き出しかねないよな。
じゃあ、それがもし公共の場だったとしたら。吐き出そうにも吐き出せない。今のコイツはそんな顔だ。
「ほら、水だ」
私はいろはすを差し出す。
受け取ったコイツはグビグビと勢いよく飲み始め、ペットボトルの中身が空になった。まぁ残り少なかったしな。
そして机にダン! とペットボトルを置く。が、いろはすの容器はご存知の通り脆くできているため、グシャッ! っと勢いよく潰れる。
微妙な間が通り過ぎる。
「カッコ悪」
「出来ればそれは言わないで欲しかったかなっ? 自分でもこれじゃない感が押し寄せてきたのに!」
だろうと思ったけど、そこを敢えて言って貶していくスタイル。そんな私。
「でもまぁ、これで分かったことが一つだけあるな」
「え、なになに?」
私のこれからいう結論にコイツが目を輝かせ待っている。さっきまでのお通夜な状態は何処へ行ったのやら。いろはすにでも流されていったのか?
「食事中に、こんな話はしてはいけない。と言うことだ」
「何言ってるの? 当たり前じゃん……」
それはもう非常に非情なコイツの声が、私の鼓膜を震わせた。