同期の覚悟
昨夜の騒ぎは一年生には全くお咎め無しとなり、神崎達もやはりホッとした。
一日の授業と教練を終え1600時に第三体育館に集まったのは朝倉以下、神崎、山田、及川、遠藤と森の六人。
だが、森田教官が連れて来た講師の顔触れを見て朝倉以外は固まってしまった。
「倶楽部顧問は伊達校長が引き受けて下さった。」
ずいっと前に出た校長はただ一言。
「存分にやれ、ケツは俺が持ってやる。」
「はいっ!」
気持ち良く答えたのは朝倉。
神崎はその横の男から眼が離せなかった。
嫌な奴が来た。
その男が冷ややかな視線を神崎に向ける。
「お前は・・・神崎か、こんな処で何をしている?」
陸士大の教官で世界軍事史を教えていた高村教授は眼鏡の奥の眼を光らせて神崎を見つめる。
四年間そりが合わないまま過ごした苦い記憶はまだ新しい。
だが、
「綜叔父!」
飛びついたのは朝倉、そして高村教授も神崎が初めて見る優しい顔になって抱きとめた。
「ちびか、元気だな。」
「神崎は、そうか陸士大で知ってるのか。綜叔父、神崎は軍事外交官を狙わせる。頼んで良いか?」
止めてくれ、と思いながらも表情ひとつ変えずに立つ男に高村は実に鮮やかな笑顔を向けた。
「良いだろう、お前の頼みなら襟首掴んでも引きずり上げてやる。任せて置け、神崎。」
「神崎、母ちゃんの弟だ。良かったな、綜叔父は優しいからこれで安心だ。」
ずぶずぶと底なし沼に沈み込む様な感覚を味わいながら神崎は頷くしか出来なかった。
「ナイト、世話になる。語学は頼むな。」
40代前半の如何にも場馴れした物腰の男はやはりその眼を柔らかく和ませて朝倉に笑いかけた。
「週に三日だけだぞ。俺の本業は向こうだからな。基礎体力と格闘訓練は誰が見るんだ?」
答えたのは森田教官。
「アリスに週三回来てもらう、お前とは入れ替わりだな。」
「貴方は何を教えるんだ?」
一瞬朝倉の眼が光るのを見たのは気のせいだったのか、森田教官は当然のように答えた。
「俺が教えられるのは銃火器だけだ、此奴ら程度なら左で十分だろう。」
今度は見間違いでは無い。
教官の言葉にナイトと云う男と校長と朝倉ははっきりと喜色を浮かべたのだ。
「これで形が出来た。次の一年生が入るまで集中特訓だな。一段も二段も上げておこう。」
嬉しそうな朝倉に釣られて笑ったのは少なくとも神崎では無いのは確かだった。
「ウエイトトレーニングの為のマシンが着いたぞ、全員で運び込め。」
ナイトの声に外に出ると黒服の数人がトラック二台に積まれたマシンに群がっている。
「誰だ。」
朝倉がニンマリと笑った。
「驚け、立川連隊のG倶楽部員だ。」
神崎は当然、山田達も一様に固まった。
「お前・・・」
言葉も無い神崎達に朝倉は平然と告げる。
「中古とは言え、安くは無いマシンを気持ち良く寄付して呉れたのは私達がG倶楽部予備軍だからだ。此処まで手を貸して貰うんだ、何が有ってもこのメンバーだけは独りも堕とさず上げてやる。
覚悟して置け。」
活動時間は取り敢えず二時間、だが朝倉が云うには消灯までの自由時間も使えると云う。
『あと一年しかない、徹底的に絞り込まないと上がった時に付いて行けないからな。』
立川連隊のG倶楽部員達は意識的に言葉数を少なくしていた様だったが朝倉にはやはり笑顔を見せ、マシンを設置すると朝倉の頭をポンと叩いてさっさと引き上げて行った。
着々と形は整っていくが、『認識が甘かった。』と呟いた遠藤の言葉が全員の気持ちを表している。
伊達校長が嬉しそうに体育館のドアにプレートを掛けた。
<A倶楽部>
と、表記されたそれに朝倉が首を傾げた。
「朝倉だからな、本日をもってA倶楽部を発足する。」
森田教官のひとつしか無い眼が何かを想うように閉じられ、開いた時は強い光を放っていた。
マシントレーニングはきつかった。
今まで使った事の無い筋肉が軋みを揚げ翌日にはパンパンに張って思うように動けない。
全員が同じ状態だったが、朝倉だけは平然とより以上のメニューを熟している。
「慣れだ、お前らもすぐ追いつくさ。」
予備軍としては全員が同じ講義、同じトレーニングを受けるが語学でも世界情勢でも朝倉に敵う者は居なかった。
当然、格闘訓練では神崎達の顔色を失わせる強さを見せる。
神崎の叔父、アリスが来た初日に見せた組手には声も無い。
190㎝は有る長身のアリスに対して160㎝そこそこの朝倉は如何にも小さい。
だが、組んだと思った瞬間、朝倉の身体は撥ね跳んだ。
畳み掛ける攻撃にアリスが下がるとそれを読んでさらに突っ込んで行く。
神崎としていた取っ組み合いや、二年生達を相手の喧嘩など子供の相手ぐらいでしかなかったのだろう。
圧巻は森田教官の射撃訓練だった。
体育館の幾つかある小部屋のひとつに地下への階段が降りていた。
そこは広大な射撃場で、驚いた神崎に朝倉でさえ眼を見張って告げる。
「やる気満々だなあ、心配しなくて良かったかな。」
コツッと朝倉の頭を小突いて教官が笑う。
「A倶楽部の極秘事項だぞ。お前の為に曹長が用意させた物だ。二年前から手ぐすね引いて待ち構えていたんだ。」
朝倉とおそらく森田担当教官の為に。
『脚を洗う、と云ったそうだ。』
冬休みも返上してのトレーニングが続けられた三日前のストレッチの時だった。
神崎の背中に乗りながら膝を使ってグイグイと押し込み、朝倉は呻く神崎に頓着せず続ける。
『任された中東を堕せず、カイルとシュリを死なせて自らも大怪我を負って、モクは何もかも投げ出したらしい。父ちゃんは付っきりだったそうだ。自分の命さえ投げ出してしまいかねない状態が落ち着いたのは面倒を見てくれていた医者と話してから。何を云ったかは知らないけど、それでももうG倶楽部にも連隊にも関わりたくない、脚を洗うと。』
身体が硬いぞと呟いて両腕を後ろに引き上げて続けた。
『さすがの父ちゃんもそれ以上云えなかったそうだ。
何より当時はまだ緊迫した情勢だったから父ちゃんは北米に入り、モクはソマリアの国連の病院に残された。身体の傷が癒えたのはそれから半年後、日本のリハビリ施設でさらに一年を過ごして娑婆に出たのが終戦後、二年がたった時だった。』
『それで陸短に入ったのか?』
肩を取られ捻られながらの神崎の問いに、
『陸短が再建されたのはその二年後だがモクが教官となったのはまだ後だ、暫く行方不明になっていた。』
まあ、居場所は判るから音信不通だな、と云い直して、
『フェニックス基地にいきなり来たのは母ちゃんが病気をした時だ。
四歳だった私は随分懐いてたんだ。先見の明がある子供だったな。
その後帰って陸短の教官となったが教えるのは軍事史。
確かに走れないから仕方が無いんだが・・・銃火器を扱わせたらG倶楽部随一の腕だ、つまり日本陸軍随一と云う事になる。
それを封印して今まで来たから向こうじゃ心配してたんだ。』
そんな話を聞いて神崎は納得した。
教官が射撃を教えると云った時朝倉達が嬉しそうだった理由は深くて重い過去を持っていた。
伊達校長は朝倉が陸短に入る以前から此処を用意して教官と待って居た。
師匠と弟子が揃う日を何年も待って居たのか。
あてのない長い時間を・・・
何の確約もない時間を・・・
イヤーガードを着けライフルを構えると気持ちが引き締まる。
神崎は陸士大で経験が有ったが山田以下は初めての実弾経験だっただろう。
朝倉はやはり良い腕をしている。教官の指示で頭部、肩、腕に心臓までを撃ち分ける技術は舌を巻くものが有った。
「さすがに気配が良く似ているな、誰に習った?」
「独学、ジャングルでは一撃で落さないと此方が危ないから。
もっとも始めた五歳の時は母ちゃんが着いていたけど。」
腕の角度や肩の位置を直しながら教官の顔つきが変わっていくのが判った。
手本を見せろと朝倉が云うと少し考えて左用の銃を手に取る。
ゆったりと構えた教官とは反対に、珍しい朝倉の緊張した顔が印象的だった。
それは言葉も無いほど完璧な技術。
最初の弾丸が撃ち込まれた痕以外に僅かなずれも無く10発の弾丸が同じ位置に決まった。
シートにはたった一つの穴しか残って居ない。
「この距離でぶれる事は無い、仮にもG倶楽部の第一狙撃手を拝命していた以上はな。」
僅かに伏せた瞳の中には確固たる自信が覗える。
ぞくりと肌が粟立つ感覚に見れば全員が同じ表情となっていた。
これがG倶楽部の力量、日本陸軍最精鋭を謳われるG倶楽部の創立メンバーであればこその実力だった。
例え二十年近い年月を指ひとつ触れなくてもこれだけの腕を保ち続けられるものなのか・・・
「朝倉は実弾に慣れているから良いとして、神崎、山田は拳銃の方が良い。
及川、森は小銃だ。狙撃は向き不向きが有る、お前たちには合わない様だ。」
そして、
「遠藤、お前には資質が在るがやる気は有るか?
狙撃手ははっきりとした殺意を持って引き金を引く。
スコープの中で自分の手で殺した敵を必ず見る事になる、かなりキツイ仕事だ。
覚悟が無いととても出来ない。今すぐじゃなくて良いが良く考えて置け。」
遠藤は頷いたがやはり真剣な表情で黙り込んでいた。
後は神崎、山田に拳銃を使わせ、及川等に小銃の指導を着ける。
一線を退いたとはいえ森田担当教官の腕は衰えては居ないようだった。
言われた通りにすれば驚くほど的に当たる。
うっかり才能が有る気になったと山田が云って朝倉に笑われていた。
一月の終わりに神崎は祖母の葬儀で実家に帰っていた。
「お前のお蔭で最後に親孝行が出来た。」
叔父の言葉が沁みる。
「ばあちゃんは良く云っていた。悠里は沢山の人を護るために軍人になったのだから何処で死んでも後悔はしないだろうと。子供の俺でも・・嘘とまでは云わないが本心じゃないのは判ったよ。」
「沢山の人も護ったが護りきれない人ももっと沢山いた。その度に泣いたな、力の無さが悔しくて。」
冬の透き通る空気を割って煙が空に昇って行く。それを見送って叔父が低く告げた。
「本気で軍人になる気か、お前のお母さんは反対してるだろう。俺を待つお袋を見て来たからな。」
それは深く優しく響いた。
「まあ確かに最初は叔父貴を探すためだったのは認めるよ。
でも今は違うな、俺が知らない世界に身を置いてその身一つで戦う人間がこんなにいるとは思わなかった。朝倉が・・・やけにデカく見えて参ってる。」
それは仕方が無い、と悠里叔父は笑った。
「軍事外交官を狙うらしいがそれも厳しいぞ、各国の同様の奴等と渡り合うのは気の張る仕事だ。まあお前が決める事だ、俺が手を貸せるのは多くは無いが格闘ぐらいは仕込んでやろう。」
その言葉は本当だった。
戦闘兵士アリスが腰を据えて取り掛かるといきなり腕を上げたのは及川。
二月の半ばにはA倶楽部の朝倉以外ではダントツに伸び、神崎や山田では相手にはならない。
だが、アリスは未だに朝倉とは組ませなかった。
「今の段階でちびと組むのは自殺行為だ。あれでもフェニックス基地G倶楽部の第二戦闘兵士を拝命しているし、キャリアも積んでいる。実戦経験の有る無しは戦闘兵士には大きい物だ。」
神崎の眼が一人黙々とマシントレーニングを続ける朝倉を見る。
やっと17歳になったと喜んで、山田達を唖然とさせたのはついこの間だった。
「どうも奴には騙される。」
山田の言葉に森が笑う。
「きっとまだ有るぞ、とんでもない隠し爆弾が。」
及川は笑っただけだった。
神崎が苦手としている朝倉の叔父、高村教授の講義は陸士大で受けた物とはまるっきり違っていた。
歯切れの良い口調、鋭い切り口、皮肉交じりの寸評を加えた各国の政情が不思議なほど頭に刻み込まれていく。神崎でさえ引き込まれるほど講義は面白かった。
聞けば陸士大受験時の家庭教師は当時のG倶楽部総帥ジ-ンと云う。
『真に偉大な人だった。』
多くは無い言葉に却って心情がこもっていた。
三月に入って二年生が卒業すると、伊達校長の指示で空いている小部屋を片付ける。
倉庫から持ち出したデスクや椅子を並べると、再び立川連隊G倶楽部がやって来た。
次々に運び込まれたのはコンピュータからモニターなどの情報機器だった。
手際よくセットする女性兵士は酷く怜悧な表情で朝倉に眼を向けた。
「フレア、これを使えるだろうな。」
朝倉も真顔で頷く。
「エラ-に仕込まれたから大丈夫だ、これで里心がついてもべそを描かずに済むな。」
「そんなに可愛い玉じゃないだろう。」
「何を云ってる、これでも天下無敵の17歳だ。今可愛く無くてどうする。」
可愛いか可愛くないかはともかく、A倶楽部は完全にG倶楽部のミニチュアと化した。
情報管理に才能を見せたのは森だった。
森は言語も強く今では朝倉張りのミックス語で会話が成立するまでとなり、ナイトを驚かせた。
そして遠藤はやはり狙撃手の位置に着いた。
『狙撃手は単なる殺人者では無い。
陸軍最精鋭G倶楽部の戦闘兵士は最前線に立つ。その背中は常に俺達の前に有り、その背中を護るために狙撃手は存在する。』
射撃訓練の合間に出された森田教官-モク-の言葉に感銘を受けたのは遠藤だけでは無かった。
そして、短い春休みはG倶楽部体験ツアーで締められる事となったのだが・・・
「なあ、引率頼むよ。」
「アリスに頼め。」
「アリスはフェニックスの様子を見に行くから居ないだろ。」
「ナイトが居るだろう。」
「ナイトは私達にばかりかまけて居られないじゃないか。」
「俺は嫌だ。」
理由も理屈も無い、唯の感情で切り捨てられるとさすがの朝倉もそれ以上は云えず引き下がるしかない。森田担当教官は大概の事は受けてくれるが、立川連隊のG倶楽部ツアーの引率だけは頑なに断わり続けていた。この三日同じような会話が繰り返されていたが進展は無かった。
「あれほど嫌がってるんだ、無理強いはするなよ。」
神崎に云われて朝倉は珍しく剥れた表情を見せた。
「狙撃手とのコンビネーションをやりたかったんだ、向こうには居ないから楽しみにして来たのに。」
「立川にだって居るだろう、現役が。」
及川が宥めても朝倉の機嫌は直らない。
「最大戦速も出せずに遠慮しながら走って訓練になるか? 大体が知らない奴に背中を任せたくは無いんだ。」
実際の処、戦闘兵士とスナイパーの連携は神崎達には理解できないし、想像も出来なかった。
難しいのかと聞くと真顔で頷く。
「全速で走る後背から弾が飛んで来るんだぞ、一つ間違えれば味方に遣られる。モクの腕は母ちゃんのお墨付きだしベテランだからおかしな反射を抑えられる。練習にはうってつけなんだ。」
「仕方が無いさ、一週間の間に慣らせば良い。今までだって教官には無茶を云ってるし、休みも取ってないしな。」
山田の言葉に朝倉も渋々頷いた。
確かに陸短祭以降、森田担当教官は休日返上でA倶楽部の面倒を見続けている。
教官曰く、放し飼いには出来ないとの事だったが、他の講師は交代だし多くて週に三日、顧問の校長に至っては数える程度しか顔を見せない中、森田教官だけは毎日最後まで付き合って呉れていた。
「まぁそうだな。歳も歳だし、使い倒して寝込まれても困るのはこっちだし、諦めるか。」
絶対に森田担当教官には聞かせられない捨て台詞を吐いて、朝倉は引き下がった。
少し昔、礼儀は弁えていると聞いたのはきっと神崎の空耳だったのだろう。