QUEST Ⅱ
北側から南下する部隊が初めての街に入ったのはそれから二日後、晴れ上がった午後だった。
小国とはいえダノンは豊かな国で商業も工業も発達している。首都では無くともその街は彼の産まれた村よりもはるかに大きく賑やかな街だった筈だ。
今では人影も無いが雑多な商店が立ち並び、ホステルや飲食店の看板が軒を連ねている。
「どうやら逃げ足は速い様だな。」
敵国人とは言え敵対しない限りは手を出すつもりは無いのだが、この土地の住人はさっさと避難したらしい。
賢明な判断だが此方としては罠の確率が大きくなる。
「油断するな、迂闊に物に触るなよ。」
街の中心部に差し掛かった時、ソリッドは耳を澄まして足を止めた。
「何の音だ・・・」
呟いた瞬間、気が着いた。
「爆撃だ!」
小型の戦闘機は今の時代、何の役にも立って居なかった。
だからこそ油断した。
こんな処で思わぬ過去の遺物にしてやられるとは!
『全部隊、家屋の中に退避しろ!』
ヘッドセットに怒鳴りながらニックの背中を建物に向かって弾き飛ばす。視線は狂ったように他の部下を探し、その間も大声で退避勧告を叫び続ける男の眼に在り得ない光景が映った。
まるでスローモーションのように道路を挟んだ向かい側のバーの扉が開いてフードを被った姿が現われたのだ。
二機の戦闘機はたて続きに甲高い音を立てて近づき、叩きつける様な機銃掃射を浴びせかけた。
「馬鹿野郎! そこから出るな!!」
怒鳴ったが聞えないだろう。だが、その人間は一瞬にして向きを変えた。
空を見ると戦闘機は大きく旋回している。
また来る気だ。と、眼を戻すとドアを蹴っていた。
「何をやってる!早く入れ!」
「開かないんだ! 鍵が・・・」
ソリッドはそれ以上聞く事もせず突進した。
戦闘機が迫ってくる中、まるで重戦車のように突っ込んでその身体を抱きかかえながら背中からドアの中に飛び込んだ。
とてつもない音を立てて機銃が屋根を貫通して行く。転がって庇うようにうつ伏せた男のすぐ脇の床が粉砕された。
ソリッドは一動作で身を起こすと左腰の巨大な弾丸を無反動ライフルの銃口の下にねじ込む。
僅かに照準を直し、
「此処を動くな。」
一言告げると吹き飛んだ扉の横に身を寄せる。
やはり戦闘機は旋回して来た。目算で距離を測ると飛び出す。
狙いは先頭の一機、これを外せば己の身体など粉々に吹き飛ぶだろうが・・・
真っ青な空を不格好な古びた戦闘機が切り裂いて近づく。
(さあ来い、真っ直ぐに。俺は此処だ。)
機銃が道路に突き刺さりながら近づく中、男の構えは微動だにしない。
そして。
トリガーを引いた瞬間、戦闘機の機銃が男の両側を走り抜けた。
ソリッドがライフルを降ろした時、背後で爆音が轟く。
至近に着いていた後続機をも巻き込んで戦闘機は撃墜された。
大きく息をついた男の前に白いハンカチが差し出された。
「・・・・・?」
細い指先がゆっくりと伸び、破片で着いた左頬の彼自身気付きもしなかった傷を押さえた。
「良い腕だが、かなり無謀な手段だな。」
ソリッドが助けたのは女だった。
女はこんな状況にも拘らず平然と告げる。
その顔を改めて見下ろしてソリッドは驚いた。
呆れるほどの美貌。
煌めく大きな瞳とキリリと引き締まった唇、名工の手で彫りだした様な形の良い鼻筋が小さな輪郭の中に納まっていた。
「お前は・・・仲間から逸れたのか?」
「・・・まあ、そんな処だ。」
避難しそこなったこの街の一人かと納得しかけた時、ソリッドの部下たちが集まって来た。
どうやら今の戦闘機の攻撃は単発の様で部隊は一息ついた。
部隊の中で軽傷者はいたが死者は出ず、部隊を率いる大尉はおろか、大半が彼の勇気と度胸と腕を誉めそやす中でやはりソリッドは鬱屈した想いを堪えていた。
素直に喜べない自分が屈折しているのだろう。
だが、こんな戦争で英雄なんかは要らないのだ。
大局が『ロッソ』の勝利に傾いているのなら『ブランカ』はこれ以上戦う事は無い。
降状すれば誰もが国に帰れると云うのに。
『ロッソ』も『ブランカ』も・・・
小休止の合図に散って行く兵士たちだって帰国の夢を諦めてはいない。
不意に鋭い声が響いた。
眼を向けるとニックがさっきの女の手を捻り上げている。
「止めろ、それは非戦闘員だ。」
止めに入ったソリッドにニックが反論した。
「違いますよ、この女は武器を持っている。」
「馬鹿な。」
幾ら手が足りないとは言え女を戦闘に巻き込んで良い訳が無い。それは『ロッソ』だけの考え方では無く『ブランカ』とて同じ筈だ。
だが、ロロの慣れた手が女の巻き付けたマントの下-それは明らかに戦闘服だった-から探し出して並べた物は間違いようも無く武器の類だった。
拳銃と予備マガジン、大型ナイフ、用途の知れない棒・・・
「すいませんがソリッド、これ以上は俺には無理だ。いくら敵国人でも女の身体を触るのは御免こうむりますよ。」
如何にも嫌そうに呟く気持ちは判る。
やれやれだ。
ソリッドは溜息を吐いて女の前に立った。
「俺達は真面な兵士で居たいし、女性を触るのは控えたい。だからお前の持って居る物を自分の手で出して貰おう。」
驚いた事に女は僅かに笑ったようだ。そして黙ったまま両袖を捲くり、革で出来た幅広のアームシースから細い投げナイフと素晴らしく切れ味の良さそうな銀線を取り出した。
さらに右脚の裾を上げて同じようなナイフを二本取り出す。
最後にシャツの下、胸元から手の平に収まるほど小さい拳銃が出て来た。
これで終わりだと云うように両手を広げた女にソリッドは呆れた視線を投げながら大型ナイフを手に取った。
このナイフ以外はどれも小ぶりだが総てが良く手入れをされ使い込まれた物だ。
「武器を持っていると云う事は軍属と見なされる。少なくとも『ロッソ』ではな。民間人でないなら捕虜となるが・・・捕虜宣誓をして貰えるか?」
ソリッドの仏頂面に女の瞳が煌めいた。
「捕虜宣誓は敵に対してするものだろう。私は貴方方の敵では無いが。」
肌の色も眼の色も、まして整った顔立ちも確かに違う。
「ブランカ人では無いと云うのか? どう見ても『ロッソ』の者には見えないが。」
柔らかなオリーブ色の日焼けした肌は、確かにどちらのものでは無い。
ロッソ人は赤銅色、ブランカ人ならば透ける様な白い肌を持つはずだ。
が、
ふふっと、今度は確かに、間違いなく、笑った。
周囲を屈強な兵士たちに囲まれて、つい先ほどは機銃掃射で死にかけたと云うのにこの余裕はいったい何だ。
俺の疑問に答える様に柔らかに笑う。
「私はこの国の人間では無い。だが、今それを云っても信用されない事も承知している。気が済むと云うなら此処で捕虜宣誓をしても構わない。」
恐ろしく怜悧な応えにソリッドは頷いた。
「では、姓名と所属する部隊名、階級を。」
男の言葉に返されたのは。
「名はタカトウハル。ニホンリクグン、タチカワレンタイ所属、トクベツクイキセンモン部隊。階級は一等ソウチョウだ。一命を救ってくれた貴方、ソリッドに対して敵対行動を取る事はしないと誓おう。」
当然ながら女は本隊司令部に送られる事となったが、聞いた事も無い所属部隊名と初めて耳にする変わった名前。しかも一等曹長と云う呼称が最上級下士官だと知れるとソリッドの部下だけでなく騒ぎが持ち上がった。
女性が軍人などと聞いた事も無い。
部隊長のザップ大尉は女とソリッドを何度も見比べて――彼女の存在自体がまるで彼の責任であるかのように――溜息を吐いた。
「あ、あ-・・・つまり貴官と同じ階級と云う事だな、ソリッド分隊長。」
何となく嫌な予感がする。
険しくなる表情に部隊長は駄目押しをした。
「この女性・・・軍人を見つけたのは貴官だし、救ったのも貴官だ。まして捕虜宣誓をさせたのも・・・ソリッド分隊長、貴官に一任する。司令部は捕虜を抱えて動く事は多少きついからな。」
ザップ大尉は剣呑なソリッドの顔から女の顔に眼を映して、まるで似合わない笑顔らしきものを浮かべた。
「た、たと-・・・?」
「タカトウです。大尉。」
落ち着き払った美貌が冷静に答える。
「あぁ・・・では貴方はソリッド分隊長に預けられる。我々は女性に暴力はふるいたくない。どうかそんな事にならない様に指示には従って貰いたい。」
「承知しました。ご配慮に感謝します。」
どうやらソリッドへの配慮は完全に黙殺して話が着いた様であった。




