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三十年後の夜明け Ⅵ

個人的に云うなら、ふくよかな御婦人は嫌いではない。


夜目にも輝く白い肌。

整った、確かに美しい顔立ち。

九龍島の真珠姫と異名を取った月龍にふさわしくここぞとばかりに着けられた真珠が無くとも、眼を引く容貌をしている。

が。

一度見たなら紛う事無い圧倒的なあの美貌には遠く及ばない。


おかしな事になったと今のモクなら笑えるが、おそらくこの闇に隠れて見ている奴には苛立たしいばかりだろう。

まして、李家の名を騙るとは思考力にも難が有る筈だ。


此処は早々に片を着けて徹底的に洗い上げるべきだった。



裏社会に住まう三人の挨拶が始まった瞬間、無音のコールが響く。


闇が動いた。



モクの肘が篠塚の首に叩き込まれる。

振り返るまでも無く中国マフィアの男女はキリーの当身を喰らって崩れ落ちていた。

当てた本人はとっくに移動していたが。


彼らの部下もかなり手荒に公安部と警察が捕縛し、その始末に年季の入った二人のG倶楽部員も少々手を貸す事となったが、戻って来た息も切らさぬ男を見てモクは苦笑する。

相も変わらず無駄の無い動きだ。


実際の話、面白くは無い。

昔馴染みに会えたのは嬉しいのだが。

「暁の奴、よほど俺が頼りなく見えたらしいな。いったい何時から着いていた?」

つい先ほどまで完璧に気配を消していた男が笑う。

「三日前だ。怪我の名残はもうない様だな。」

「ふん。煽てても何も出ないぞ。」


モクの渋い顔を見てキリーは僅かに肩を竦めた。

「いや、真面目に驚いた。ちびが心配するほどじゃない。むしろ自然な動きで安心できる。」

過去も現在もG倶楽部随一の戦闘兵士に褒められて面映ゆいモクは、いささか無理矢理に話題を変えた。


「で、あれは何だ。月龍の名を騙るとは命知らずにもほどが有る。」

キリーも僅かに眉を寄せる。

「九龍島には当然知らせねばならんな。PDの件も含めて・・・」

「中佐!申し訳ない。」


振り返ると早瀬が小走りに駆けよって来た。

自らが迂闊を踏んで此処まで追いこんだ案件をパーにする処だった男は表情も固く、だが鋭い眼でキリーを眺めた。

「G倶楽部の方でしょうか。」

おいおい、自分を助けてくれた恩人だぞ。

だが、どうやらあまりの速さに顔まで見てはいなかったようだ。


「今はな。三十年前はこの街であの事件に関わっていた。」

紹介しようとしたモクより先にキリーは平然と告げる。

「昔の借りを返しに来た。池袋にはあれから出入り禁止になってな。チャラになるとは思わんが、これで許して貰いたい。」


キリーの前身を察したのだろう。

さっと蒼ざめた早瀬が一歩踏み出した。

「まさか、あの・・・」

「だから俺もこの話を受けたんだ。ケリを着けるためにな。」

冷静なモクの言葉に早瀬がぐっと堪えた。

それに畳み掛ける様にキリーが頭を下げる。

「如何に若気の至りとは言え、迷惑をかけた。申し訳ない。」


この真摯な態度に早瀬も大きく息を吸い込むと丁寧に一礼した。

「いえ、此方こそお手を煩わせてしまいました。ご協力に感謝します。」

「やっと紹介できるな。」

改めてモクは早瀬に告げる。

「G倶楽部を知っているなら耳にした事もあるだろう。此奴は陸軍フェニックス基地司令にして第一戦闘兵士のキリーだ。」


投下された爆弾の威力はそれはそれは素晴らしい効き目だった。





硬直した早瀬を公安の部下が連れ去るとキリーの端正な顔を見る。

「暁に請われただけじゃ無かったのか。」

モクの問いにキリーは複雑な顔を向けた。

「ああ、何故だか気に掛かってな。真面目に借りを返したかった。」


見れば夜明けの天は明るさを秘めている。

その空を見つめながらキリーが呟いた。

「ガキだった頃の自分のツケを何処かで払わなくてはならないと思っていたのは事実だ。

G倶楽部に拾われてやって来た事で過去が免責されるとは今は思わないが、当時はどこかでそう思っていたんだろうな。

今はキッドにも、ちび・・暁にも誇れる自分を残したい。

今更だとは思うが。」


不意に昔が甦る。


当時のG倶楽部が。

ジ―ンやローワン、ウルフ・・・コウハクシュリ。

自分たちを置いて逝ってしまった若いままの懐かしい顔が。


明けようとする世界に二人の男は面を上げ、ゆっくり背中を伸ばした。







「こんな時間にやってる店なんか碌なもんじゃないぞ。」

ここ暫く根城としていた土地だから、モクは良く知っている。

「俺だってそう云ったんだが、判るだろう。俺が奴を止められないのは。」


情けない台詞にモクは苦笑する以外にない。

モクであっても暁の決定に逆らえないのだから。

文句を言うぐらいは出来るが聞き入れるかは相手次第。

大概聞き流される。


二人が向かったのは終日営業の店だった。

朝は朝飯を出し、昼は昼飯を出し、夜は居酒屋に変わるが酒はいつでも出すのが売りの呑兵衛御用達の店だ。

そこにキッドが待っていると云う。


おそらく高い確率で騒ぎが起こっているだろう。

店側も客層も真っ当では無い場所にキッドがいる。

あの、キッドが。


「まぁ、キッドには心配はいらないな。」

呟いたモクに返された言葉は、

「俺が心配してるのは周囲だ。」

確かに。

ついさっきまでの捕り物よりも大事になりそうな予感が有る。


その店は駅裏にあった。

ビルとビルの隙間に挟まった古い家屋は、外側は無事に見える。

引き戸に嵌った中の見えない擦りガラスも、引き戸自体も。

キリーの手がカラリと扉を開くと明るい光が流れ、どうやら照明も無事なのが判る。

だが。

ある筈の音が無い。

話し声も嬌声も、皿小鉢の触れ合う音の一つも無い。


「待たせたな。」

キリーの声にキッドが居るのは判ったが、後に続いたモクが見たのは。


「「お帰り―、お疲れ―。」」


正面のカウンターに並んだ二つの顔。

よく似た綺麗な・・・・酔っぱらい母娘が揃って手を挙げた。




聞きたい事はいろいろ有るが、モクが最初に尋ねたのは今の状況だった。


「それで、これはいったい何だ。」

キッドと暁を挟んで座ったカウンターの向こうには店主。

剃り上げた頭に幾つもの古傷と厳つい顔の向う傷、迂闊に過去を問えないタイプの男が立っている。

背後には四人席が幾つか。

半分は埋まっているがどう云う訳か誰一人声を立てず背中を伸ばしてきっちりと座っている。

その不思議さよりも尚、気になったのはカウンター横の重なった人間たちだった。

六.七人の男の山はどうやら意識が無いらしくピクリとも動かない。


「ああ、それ。煩いから片付けて置いたんだ。」

機嫌良く暁が応える。

「母ちゃんが。」


「後ろのお客さん達はどうしたんだ?」

表情ひとつ変えずにキリーが問うとキッドが可愛らしく小首を傾げる。

「さぁ、みんな帰ると寂しいし、お店にも悪いから騒がず楽しく飲んで貰ってるだけだけど?」

ああ、成る程。と二人は納得した。言外の言葉の方に。

おもむろにキリーが振り返る。

「連れがご迷惑をかけたようだ。そこの人たちを連れ帰って戴けると助かるんだが。」

物静かな言葉が終わらぬうちに全員が立ち上がった。


あっという間に誰も居なくなった店内に残ったのは四人と店主。

その店主が僅かにため息をついた。

「あんたら何もんか知らないが、此処は龍神繪のシマだ。早く帰った方が良いぜ。」


見てくれとは違い相当に親切な男のようだが、おそらくキッドに配慮した結果だろう。

だから、モクも親切な情報を漏らしてやる。

「龍神繪は消えた、ついさっきだ。ちなみに中国マフィアも当分この土地どころでは無いだろう。暫くはざわつくだろうが真面な商売をするなら恐れることは無い。」


店主はじっとモクとキリーの顔を見て、頷くとグラスを並べる。

「今つまみを用意する、待っててくれ。」


「で、全部片付いたんだな。」

どう見ても酔っぱらいの暁にカウンター脇にあったジャグの水を渡してモクが頷いた。

「ああ、キリーに助けられた。」


一連の話に笑ったのはキッドだった。


「月龍が出たか。向こうに知らせてやろう。」

「似てたか?」

嬉々として尋ねる暁に応えたのは二つの声。

「「全然。」」

更に笑い声が響いた。


「楽しい一夜だったな。こっちもいろいろちびから聞いたぞ。」

にんまり笑うキッドの顔を見て。

暁をじっと見つめるキリーを見て。


最大の危機を知ったモクはごくりと息を呑んだ。







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