三十年後の夜明け Ⅲ
キリーの過去話、少々続きます。
良かったら付き合ってやって下さい。
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以後の二週間は河野卓には相当な針の筵だった。
他チームのみならず同じAチームの仲間でさえも眼を合わせないし、近づく事も無い。
当然会話もなくなり今までのようなチームワークは崩れ始める。
それを必死に食い止めようとしたのは久野だったが、久野本人がそれまで他人を避けて居た為うまく行きようも無い。
焦れば焦るほど空回りして行った。
そんな久野を諌めたのは高橋だった。
「落ち着けよ、河野は大丈夫だ。奴が本気で怒らない限り何の問題にもならない。G倶楽部も就いているしな。」
「お前は呑気すぎる、Aチームの成績だって考慮されるんだぞ。何より上手くやっていけない辛さをお前は知らないだろう。」
実際の話いまや全初年兵67名の中で河野卓が何者かを知らない者は居なかった。
そして立川連隊を揺るがす大事件が起こった。
初年兵訓練の終了まであと5日、その日の激しい訓練も終えた夜、久野はシャワーを使いに行き・・・戻らなかった。
就寝時刻を過ぎても帰らない久野を、元木班長以下のAチームが探したが何処を探してもその姿は無く、止む無く伊達軍曹に報告する。
連隊をひっくり返しての捜索に夜明けになってやっと見つかったが、それは思わず眼をそむける光景だった。
初年兵宿舎の屋上、そこに設置された給水塔から逆さに吊るされた全裸の久野を見た時、河野は完全に切れた。
身体中についた生々しい傷は裸にしての暴行。
フラッシュバックする記憶は、声も出ない恐怖を嗤う男達に直結していた。
助け降ろす仲間から一人河野が離れた事を誰も気付かなかった。
そして事は起きる。
Dチームに乗り込み全員を叩きのめすのに10分とは掛からず、関わった全員の名前を聞き出す。
元木と高橋、伊達軍曹が駆けつけるまでの僅かな時間に、河野は殆どの犯人を半殺し状態にしていた。
何人もの初年兵と軍曹達が遠巻きにしていたが止める事も出来ない。
「河野・・・もう、やめろ・・」
声をかける事さえ恐ろしい怒りがそこに有った。
「駄目だ、あと一人残っている。」
それは誰よりも許せないひとり、同じAチームの仲間だった。
仲間の顔をしてさっきまで一緒に久野を探していた筈なのに、Aチームのシャワールームに他の奴等を手引きした男。
久野の油断を誘った男だった。
「俺は奴を、川島を殺す。そこをどけ・・」
何時もと変わらない表情、言葉使い、冷静な眼差し。
それでも近づく事も出来ない。
あまりの威圧感にベテランの伊達軍曹さえ一歩も動けない。
凍りつく様な怒りを纏って河野卓は脚を踏み出した。
「ほほう、派手にやったな。」
振り向いた河野の眼にジ-ンが映る。
「後の一人は軍で処分する、お前が殺すと云う以上は放っては置けんからな。此処までだ、手を引け。」
それははっきりとした命令だった。
が、
「悪いな、俺を切り捨ててくれ、所詮は我慢の利かないヤクザ者だ。」
「馬鹿が、生意気な口を利くな。」
こんな中でも彼は僅かに笑って見せた。
「あんたには申し訳無いと思ってるよ、俺もやり直したかった・・・が、それでも許せない事は在る。久野の問題ではなくこれはもう俺の問題だ。」
「いや、違う。これは連隊の問題だ。俺の命令に従え。」
「・・・・邪魔をするな。」
その瞬間、河野の気配が完全に変わった。
身体中から吹き出す怒りに身を任せる姿は伊達軍曹も高橋も思わず足が退る。
眼が尋常でない光を放つ。
「河野!!」
元木の声にもう一つの声が重なった。
「小僧、俺を倒して行け。」
ジ-ンの後ろからうっそりと表れたのは、以前河野を完璧に抑え込んだ男、ジ-ンは確かロゥと呼んだ角ばった顔の男だった。
するっと流れる様に河野の前に立ったと見た瞬間、暴発する河野の叩きつけるような攻撃をただの一つも逃すことなく弾き返す。
まるで図る様に河野の手も脚も平然と受けながら僅かに笑みを浮かべた。
「ほう、また上がったな・・・だが今のままでは、」
弾いた掌はそのまま河野の首筋に落とされた。
「ジ-ン、こいつは俺が貰う。」
真っ直ぐたったまま言い放った男にジ-ンは頷いた。
「任せる。」
崩れ落ちた河野を冷ややかに、だが何処となく満足げに見下ろしてロゥは告げる。
「ウルフ、運んでくれ。歴代第一順位の記録でも初めてだぞ、営倉での任官は。」
「河野卓、貴官はG倶楽部所属となる。今後のより一層の努力を望む。」
そこに元木伍長が居なければ鼻でせせら嗤っていただろう任官指令を受けながら、河野は黙って立っていた。
こんな形での任官は真っ平だったが、今の河野には何一つ言い返す事も出来ない。
如何にもな不満顔を元木が笑った。
「G倶楽部はそれほど薄情ではないぞ、お前の強さも弱さも解かっている。怒りに身を任せるよりはG倶楽部に任せてみてはどうだ?」
仏頂面の男に続ける。
「久野を襲った川島以下7人は懲役だ、明けても犯罪者の烙印付の人生を生きなくてはならん。そんな奴らの為にお前が罪を負う事も無いだろう。久野は心配していたぞ。」
「・・・久野は・・どうなった?」
元木が苦笑した。
「薄情な奴だな、今まで忘れていたのか? 安心しろ、怪我自体は軽いしもっと脆いかと思ったら案外しぶとい性格のようだ。奴もお前同様外では生きて行くのに苦労するタイプだからな、お前とセットでジ-ンに押し付けた。」
その口調に河野が眼を上げると元木の表情が一変した。
「日本陸軍立川連隊、G倶楽部所属、元木秋生。中尉だ。仲間にはディランと呼ばれている。」
心底驚いた河野の呆気にとられた顔を見て男は破顔した。
「通常の担当伍長は11月までだが、俺の任務はこれで終了だ。次の仕事が控えてる・・・河野、俺が帰って来るまでには一人前の戦闘兵士になっていろ。お前は良い兵士になる筈だ。」
くるりと踵を返して歩き去る男は振り返りもしなかった。
G倶楽部に入った河野は毎日気を失うほど叩きのめされていた。
ローワンの仕込みの激しさを堪能する毎日が続き他の事に眼が行かない。
気が付くと其処に高橋と久野が立っていた。
「よう、いつ来たんだ?」
仰向けにひっくり返ったままの挨拶に高橋が笑う。
「本当に薄情者だな、俺達は三日前から来てるぜ。」
久野も吹き出した。
「挨拶したぜ、お前も返事をしたんだが。」
「済まんな、俺はここ最近、半分死んでるから・・」
云いながらも意識が飛んでいった。
ひと月、二月と、同じ日々が続いたが河野は飽きもせず、嫌気も刺さずにローワンに向かって行き、その合間にジ-ンについて語学から地理、世界情勢や日本の立場までを詰め込んで行く。
ある日急に気付いた。
眼が覚めたと云うべきか・・・今の自分が何をしなくてはならないのか。
それは驚くほどの衝撃だった。
池袋のチンピラが、人殺しのヤクザ者が、怒涛の様に攻め立てる世界を食い止めるクライシスポイントに立っていた。
恐ろしい認識だった。
眼がくらむ恐怖がそこに有った。
今まで好き勝手に生きてきた時間のなんと無駄な事か。
吐き気がするほどの急展開に耐え切れず膝が落ちそうになった時、ローワンが囁いた。
「恐ろしいだろう、今のこの情勢をどこまで耐えられるかで今後が決まる。生命を惜しむな、だが無駄にするな。
お前が生命を呉れてやっても惜しくない者を育てろ。
G倶楽部はそうして引き継がれて行くんだ。」
その暗い眼の中に有るのはG倶楽部への誇りと愛情、国家と仲間への忠誠心、これがローワンの本当の姿だった。
三月目に入る頃、河野卓にもやっと名前が与えられた。
既に高橋はマッド、久野はエラ-と呼ばれていたのだが、河野に対してはウルフも慎重だったらしい、と後から聞いた話だが・・・
つけられた名は『キリ-』
千の手を持つ観世音菩薩を由来とする。
後に伝説となるG倶楽部の戦闘兵士キリ-の誕生であった。




