三十年後の夜明け Ⅰ
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男は自分がロクでも無い生き方をして、ロクでも無い死に方をするだろう事は多分生まれた時から知っていた。
父親は半分やくざ者で母親はまともな人だったが早くに死に、盗みもかっぱらいも恐喝も彼は10歳にならない内に覚えたし、そうで無くては生きて行けなかった。
17歳で家を飛び出したがそこまで待ったのは妹が居たからに他ならない。
母親似のみっつ下の妹は身体が弱く、彼が面倒を見ていたが14歳になる僅か前に高熱を出してあっけなく逝ってしまった。
医者に見せる暇も無い、それはまともな食事も取れない為に身体自体が弱っていたからだった。
妹を失くして初めて彼は自由になった。
ろくでなしの父親も娘だけは可愛がっていたのか、泣きながら酒に溺れる姿に冷ややかな一瞥をくれて彼は背を向けた。
以来、彼の中に父親の姿は欠片も出てこなかった。
街では彼は何の苦労もせずに楽々と暮らしていけた。
若いながらも180を優に超える長身に加え、育ちからくる鋭い眼差しは大の男でも黙らせる迫力を備えていたし、荒事にも躊躇うことなく飛び込む胆力もあった。
彼を誘ういかがわしい団体は引きも切らなかったし、自分にはそれしか道が無い事も承知していたから大して悩む事も無く受け入れたのは当然と云えば当然であったろう。
結局の処、彼は父親と同じ道を辿るだけであった。
あの男と出会うまでは・・・
組に入って二年が過ぎた頃には顔も売れ、腕も上げ、いっぱしのやくざ者になっていた彼を、土地の者で知らない人間は居なかった。
そしてそれは日本人だけでは無い。
彼の組が治めていた池袋は多彩な人種の坩堝だった。
表向きは華やかな街で昼間の大通りは女性から学生が闊歩し買い物に勤しみ、夕方から最終電車までは会社帰りのサラリーマンが飲み歩く、どちらかと云えば健全な街の表情を見せていたが其処には当然裏の顔も潜んでいる。
彼が生きるのはその裏の社会、闇の世界・・・
それは同じ匂いの人間を引き寄せるのか。
国を超えた諍いが抗争に発展するのは常の事だったが、今回は規模が桁外れで警察では抑えられない大事件となって行った。
きっかけはごく些細な事、日本人コールガールが酔った為にひとつ通りを間違えて客を誘い、それに怒った中国人コールガールが何人かでリンチに掛けた。
池袋コールガール事件のそれが発端だった。
だが、その被害女性は彼の兄貴分の世話を受けている言わば身内、相手はうわべは取り決め通りに仕事をしているが隙を見ては日本陣地を侵略する敵国人。
男達は黙っては居られなかった。
僅か二日で池袋とその周辺は真っ二つに両断される。
一般市民は近づくことも出来ないままテレビや新聞で成り行きを見守り、手を付けられない警察に不審な眼を向け始めた。
死者37名、負傷者266名。
家屋倒壊はビルを含めて16家屋、火事は8件。
ボヤ騒ぎは無い、消防車が入れない為火の手が上がれば綺麗に焼けつくされるだけだった。
五日目に国が動き陸軍が投入される・・と、瞬く間にけりがつけられた。
軍は強大な軍事力を使いもしなかった。
池袋の街に表れたのは僅か10人の黒ずくめの男達。
完全に血に狂った男達をあっけなく倒すと双方の代表者を呼び手を打たせる。
「これ以上は無意味だ、死にたいのなら俺達が相手になる。どうするかは自分で決めろ。」
彼の兄貴分は他の30人以上と並んで転がっていた。
「早く手を打たないとこいつらは死ぬぞ、こっちはその方が後腐れが無くて良いがな。」
大柄と一言では言い表せない体躯、厚い胸板も引き締まった背中も敵を倒すためだけに鍛えられた男の眼は不思議な色を放っていた。
綺麗な緑灰色・・・
僅か10人の軍人に抑えられるのは屈辱だが何にしても勝ち目はない、相手は全員で掛かった訳では無いのだから。
半分の5人は表情ひとつ変えずにただ観ていただけだった。
「あんた達は何だ?」
彼の問いに緑灰色の眼の男が笑う。
「G倶楽部、俺はジ-ン。」
自分と驚くほど歳は変わらないだろう男は余裕で続ける。
「お前は良い腕だ、軍に入れ。俺が見てやる。」
男の後ろに彼を叩きのめした角ばった顔の男が立っていた。
「チンピラで終わるには惜しい・・・」
不気味な殺気は今は消されていたがその眼だけは油断の欠片も無いまま彼を見据えていた。
その眼に押し切られたわけでは無いが彼と仲間たちは和解に応じ、中国人たちもそれに倣った。
事態は収拾し、街は少しずつ片付き半年もすると以前のような活気に満ちた繁華街へと戻って行ったが、その頃彼は困った立場に立たされていた。
退院した兄貴分が面子を潰されたと騒ぎ出したのだ。
警察機構ではないのと、別の取り決めがあったのかは判らないがあれだけの騒ぎにも拘わらず逮捕者は出ていない。
それが彼の裏切りだと、最初は疑いやがて決めつけへと変わって行った。
何をどう言っても無駄だった。
罵られ謗られ殴られても抗いはしなかったが、自分の女に手を出されて初めてぶちぎれた。
僅か一年ほどの付き合いだったし、惚れているとも言い難いがそれは確かに彼の女だった。
仕事が終わっても帰らない女を見つけたのは翌朝、例の事件で燃えたビルの建築現場で全裸で倒れていたが、意識が戻らないまま死んでしまった。
唯のレイプ事件では無い事は犯行に及んだ兄貴分が笑いながら彼に告げた。
「俺の女も痛い目にあったんだ、裏切り者のお前の女は死んで当然だろう。」
はなから殺すための強姦、恐怖の中で死んでいった女。
初めて可哀想だと云う感情が湧きあがり気が付くと兄貴分とその取り巻き三人が倒れていた。
四人とも絶命・・・それでも彼は何処か冷めた眼で自分を見つめていた。
逃げた処でどうなる訳でも無いし、何処で野垂れ死ぬのも同じだと・・・そのまま自首した彼は半月を拘留所で過ごす事となった。
「このままではお前は死刑だ。どうせならその生命、俺に預けろ。有効に使ってやる。」
ぼんやりした眼に映ったのは鉄格子の向こうに立ったいつかの軍人だった。
こんな処で会う顔では無い。
「・・・此処で何をしている。」
間の抜けた質問に男は真顔で答えた。
「お前を貰い受けに来た。この先の人生を生きて戦え、河野卓。」
運命なんて信じない、自分が選べない人生なんか欲しくない。
だが・・・選ぶほどの何が有るのか、今のこの人生に。
緑灰色の瞳が綺麗だと思ったなら、その眼が呼ぶのなら、
「・・・おとなしく感謝なんかしないぞ。」
憎まれ口にさえ男は不敵に笑っただけだった。
そのまま彼はジ-ンという軍人に身柄を引き渡される。
「約束事は一つだけだ、池袋には脚を踏み入れるな。」
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(約束を破ったな。だがジーン判ってくれるだろう、ちびを泣かせたくは無いからな。)
池袋に入り込んで三日、キリーは身を隠しながらも常にモクのコール音を捉えていた。
G倶楽部員の癖。
作戦中は常に発信するチップをおそらくモクは意識もしていないだろう。
モクを追いながら彼は街中を動き回る。
眼にするのは初めての池袋だった。
三十年と云う時間の流れが実感できるが、変わらないのは中国人街と小規模になったコリアタウン。
そして、不意に現れる昔の池袋。
角を曲がった時に、立て込んだ裏路地に、思いもかけない過去に出会う。
それに続いて永く熱かった日々が甦った。
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河野卓が放り込まれたのは陸軍の初年兵訓練の只中であった。
気をつけや敬礼位は出来るし、走るのも得手とまでは云わないものの苦手でも無い。
むしろ直立不動を維持するのがきつかった。
長年の自堕落な生活とヤクザな性格には不向きな物だろう。
それでも何とか入隊式を済ませてAチームに残ったが直ぐに問題が発生した。
女っ気の無い軍では可愛い顔の男や線の細い男は標的にされる。
後には上層部が頭を抱えるほどの女性兵士が入る事になるが、河野の時代ではそれは非常に少なくAチームでは久野聡がターゲットにされていた。
河野にはその気は無かったせいか気付くのには遅れたが、入ったトイレで違和感を感じた河野がドアを蹴破ると二人のチームメイトに抑え込まれた久野の怒りに染まった眼とぶつかった。
「止めろよ、嫌がってるぜ。」
面倒くさそうに告げた河野にふたりは平然と答える。
「お前だってしたいだろ。」
「待ってろ、今廻すか・・」
河野の両手が伸び二人を引きずり出すと容赦無く殴り飛ばした。
気を失った二人に見向きもせず久野を引き起こした。
「エライ目に合ったな。」
両手の戒めを解くと久野はさるぐつわを外し黙って頭を下げる。
怒りの余り声も出無い様だった。
「これはどうする?」
目線で示した先の男達に久野はやっと声を発した。
「殺してやりたい・・」
綺麗な顔、優しい表情、線の細い居住まいは確かに男には無いものであったが、中身は相当な激情家だろう。
震える肩に河野はあっさり告げた。
「こんな奴らの為に目的を諦めるのは馬鹿げてる、班長に下駄を預けよう。」
「・・班長?」
「上官はその為に居るんだ、使い倒せば良い。」
Aチームからふたりの新兵が消えたその日が、後のエラーとの出会いだった。
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まさか、此処まで久野と付き合うことになるとは思わなかったな。




