再会
「今日は一年戦争後期の陸軍史だ、資料の4を参照する。」
低いが良く響く教官の声はすっかり耳に馴染んでいた。
「日本三軍の約半数は対韓国戦に投入されたがそれは厳しい状況だった。
海峡を挟んだすぐ其処の国は以前は隣国として友好関係を結んでいたが、自衛隊を軍組織とした二年後の西暦2032年、一方的な国交断絶を宣言し以後の関係は当時から今日に至るまで未だに修復されていないのは以前の授業でやったな。
日本軍は警戒を怠る事は無かったが戦争後期に突如動きを見せた韓国軍はおそらく全勢力を対日本に投入したと思われる。どちらも壊滅と云って良い程のダメージを受け復興さえ危ぶまれた。
国外で転戦していた部隊は身動きが出来ない状態の中、軍の関係部署を初めとした爆撃に晒された。
この陸士大、陸短もきれいさっぱり無くなっていたな。」
不意に情景が眼に浮かんだのは教官の声が実にリアルだったからか・・・
「軍事設備だけに留まらない攻撃だったが日本軍も手をこまねいて居た訳では無い。
大型は総て払いのけ国民だけは護ろうとしたが総てを護り切ったわけでは無い。
それはどちらの国にも云えるが。
日本に取り幸いだったのは核を使われなかったからだ。
日本の領土を必要としていた韓国は汚染されたそれを望んでは居なかった。
だが、最後期、日本の空軍、海軍の連携が功を奏し不利になった韓国側は最後の手段として核弾頭搭載ミサイルNODONN/XXXの使用を決定した。
動きはすぐに三軍総司令部に伝わり対抗手段が取られたが、韓国には不幸な事にそして日本には幸いな事にNODONN/XXXが発射される事は無かった。
何処で不都合が有ったのかは日本には伝わっては居ない。
だが、単なる不発では無く発射台に辿り着く前に少なくとも四基が爆発した事は確認された。
韓国側には致命傷となったその失策で日本は救われたに過ぎない。」
「教官。」
手を上げたのは遠藤。
「中国は何故参戦しなかったんですか。」
「三方向戦闘を避けただけと考えうる。当時中国はロシア、インドと戦端を開いていて日本は韓国に任せていた。無論韓国が勝利したとしても総取りを許す筈も無いが。
さらに言えば韓国の核施設は朝鮮半島の歴史から北部に集中している。
中国との国境に隣接したピョクトンでの汚染は中国内にも甚大な被害を与えた。
風向きが良くなかったようだな。」
表向きだけの同情はそっけなく竦めた肩が表していた。
「後始末に追われた韓国軍が急速に力を失い、中国もインドに迫られ身動きが出来なくなったがそれに前後して、まず堕ちたのはアフリカ大陸、続いて中南米そして中東。戦火は急速に鎮静化して行ったが中東の放った最後の手が北米、ニューヨークを直撃した。
戦争の前の年中東を統一する動きが有ったが中心人物とされたカイロシティのムハマド師の暗殺で中東はばらけていた。当時の関係者の見解では中東は大きな案件では無かった筈だ。
アフリカ大陸や南米に比べればだが。
だがその見越しの甘さが最悪の事態を引き起こした。
混乱が収まりつつあった時期のごく小さな核を放ったのは、米国とかねてから因縁の有った国際テロ組織アルカイダ。
ニューヨークは消滅、その余波は津波となって中米のバハマ以下の島を呑み込んで多大な犠牲を出し、さらに遠くヨーロッパ、アフリカ西部の海岸まで及んだ。
中東担当者は・・・いや、その後中東は壊滅したが取り返しはつかない、日本と各地域に設置された基地局の立て直しが後手に回ったのはそれが大きな原因とも言えよう。」
森田担当教官は一息入れて教室を見渡した。
「今の講義は正規では無い、その場で見て来た俺の見解だ。
では改めて教科書の57ページから始める。」
全員が黙ったまま教科書を開いたが気持ちは同じだっただろう。
かねてから自分たちの担当教官が元軍人だと気付いては居たが部隊も所属も見当もつかない。
右目を失い右腕は肩から肘までの火傷痕が着いている。
噂では身体中至る処に刃物傷や銃創が残っていると云う。
何より厳しい眼つきと鋭い声は、爆弾女の朝倉でさえ一言も返す事が無い程毅然とした命令する事に慣れたものであった。
どんな作戦に出たのか判らないが、最前線には違いない。
当時の年齢ならば30歳前後、軍人として一番脂の乗り切った時期だった筈だ。
森田担当教官の講義はクラスの小競り合いさえ消してしまった。
高橋達の朝倉攻撃も勢いを失くしたようだが神崎は其れが長く持つとも思えなかった。
いずれ蒸し返す筈だと確信は有る。
神崎から口火を切る気は無いがその覚悟だけはして置かなくてはならない。
「神崎、一限目のノート貸してくれ。」
実に呑気に朝倉がやって来た時神崎は憂鬱そうに考え込んでいた。
「なに難しい顔をしている、お前が悩む事なんかどうせ晩飯の事だろう。ノート貸せよ。」
「お気楽が取り柄のお前が云うな、ほれ。」
渡されたノートを受け取って笑う朝倉にやっと尋ねた。
「森田担当教官が助けてくれたか、今まで以上に頭が上がらないな。」
「ふん。で、今回の騒動お前の読みは?」
いきなり直球が飛んで来た。
視界の中に高橋は居ない。
「奴だな、衛星対応端末は危険だぞ。次からは担当教官の脚元で使え、日本語でな。」
「あはは、やっぱりそれか。お前も中々耳が速いな、何処で仕入れた?」
「教員便所。」
「ダダ漏れだな、場所が場所なだけに。」
平然と笑う朝倉に神崎は声を低めて告げた。
「これをネタにされるぞ、言動に気を付けろよ。」
だが朝倉は肩を竦めてみせる。
「一度は許すが次は無いな。表だろうが裏だろうがチクリ野郎の良いようにはさせないさ。」
話の早い事だ、と神崎は片頬で笑った。
身体能力なら全一年生随一、教科も学年で常に十位内には入っている朝倉に、だが神崎は表情を改めた。
「奴等は俺を狙ったんだ。お前が居なければ神崎班のトップは消えるからな、と云っても奴らが上に立てるとは思えんが。ともかくとばっちりを喰わせて悪かった。」
「お前が謝るな。貸をひとつ付けて置けばいい。」
森田担当教官の講義が稼いだ時間は僅か数時間だった。
昼飯が済み午後からの一年生全員による野外演習に入る頃には、朝倉の早すぎる解放が裏取引の賜物だと云う噂が広がっていた。
神崎達の二組以外の三クラスにまで。
おそらく休み時間を使って高橋達が触れ回ったのだろう。
「暇な奴等だぜ。」
遠藤、森等がムッとする顔に朝倉は平然と言い放つ。
「放っとけよ、それより今日の紅白戦で思い知らせてやろうぜ。鈍亀どもを叩きのめすぞ。」
妙な事に神崎班の結束が固まった。
チーム分けは班ごとに紅軍白軍に割り振られ、神崎班8人は紅軍、しかも得意の遊撃の位置に着いた。
主力部隊には高橋班と一組、三組からなる25人、迎撃隊は護りの堅さに定評のある四組の10人、小坂班。対する白軍は総勢42人。各陣地に掲げられた旗を奪えば勝利となる。
至る所に教官が立ち監督していたが、今回使用する模擬弾はペイント弾で当たれば誤魔化す訳にはいかなかった。
何時も使用する演習場は慣れたフィールドだったが、当然相手も同じだけ慣れていて油断はできないと話すうちに神崎が打ち合わせから帰って来た。
「主力部隊の作戦は正面突破だそうだ、俺達は勝手にしろと云われたから勝手にするぞ。」
「馬鹿だな高橋は。白軍には三組の足の速い及川班が居るのに何でそんな芸の無い事をする?」
森の言葉に遠藤も乗った。
「掻き廻されるだけだ、こっちで潰すか?」
神崎は黙って立つ朝倉を見てニヤリと笑った。
「時間制限は二時間、それまでに各班の当たりを見る。俺達の今の目標は対二年生戦だ、それまでにプラスマイナスの要因を掴んでおきたい。今回の旗なぞ放っておけば良い。」
「ああ、そうか。」
眼が覚めたかのように遠藤が笑い、森達も頷いた。
「確かにそうだな。」
「神崎、主力は誰が頭だ?」
尋ねたのは朝倉。
「頭脳派を自慢しているお兄ちゃんだ、あれが頭だと思うと情けないが。」
「揉めないか? 一組の山田は短気だぞ。まして高橋じゃ間違ってもプラスの要因は無いし、主力は切るか?」
口調は軽く他のメンバーも笑って聞いていたが、朝倉の眼は別の事を告げている様だった。
神崎は僅かに考えて、
「今日の主力では話にはならん、が組める班は繋ぎを取っておきたい。各班の見極めは確実にしておこう。」
「承知。」
初戦は二時間も持たずに終わった。
やはり朝倉の見立て通りに主力部隊が内部分裂を起こす間に白軍の遊撃、及川班に攻め込まれ切り崩されて終了したのだが、神崎班は白軍主力の三班と渡り合い力量を図ることが出来た。
第二戦目は山田班が頭を取ったが、むくれた高橋の何時もに輪を掛けた動きの悪さに怒鳴り合いの喧嘩で終了となった。
「あっけないな。朝倉、お前行って高橋を堕して来いよ。」
遠藤の冗談とも取れない言葉に朝倉が答えた。
「『神は重荷をそれに耐えうる者に与える』。なあ神崎、みんなでこっそり応援するから頑張れよ。」
「嫌だ。」
宿舎の神崎の部屋で笑っているとドアが叩かれた。
入って来たのは及川と山田。
狭い部屋がいよいよ狭くなったが、朝倉や遠藤、森がベッドに上がり込み場所を広げる。
山田が驚いたように朝倉を見て呟いた。
「お前の嫌疑は晴れたのか?」
「勿論だ。」
あっさりと答えた朝倉の返事を神崎が補った。
「朝倉は国外の両親に衛星対応端末で連絡を取っただけだ。どうやら高橋はそれをスパイ容疑と直結させたらしい。」
山田や及川だけでは無く森や遠藤たちの顔色まで変わった。
「何でまず教官に云わない。何で軍憲に持って行くんだ。」
「仲間を売ったのか? 高橋は。」
口々に言い立てる声を朝倉の冷静な声が遮った。
「騒ぐな、私も迂闊だった。どうも馬鹿の思考回路は理解できなくてな。次は気を付けよう。」
「親相手でそこまで発展させるかな。」
及川は頭が良い、神崎の思考に応える様に朝倉は笑って、
「方言と同じなんだ、うちは北米、西海岸だがいろいろな言語が混ざってて会話はミックスになる。その方が意思が通じるから親が相手だとついな。」
「帰国子女って奴か、何だか似合わねぇな。」
遠慮のない森の発言に神崎も笑った。
「口さえ開かなきゃお嬢様だ。大方ホームシックにでもなったんだろう。」
朝倉は当然のように顔を上げる。
「これでも一人娘だぞ、親だけじゃ無く育ての親からお世話係や家庭教師に至るまで有象無象がついて育った身だからな、こっちに来るときはメッチャ大変だったんだ。」
「嘘だろ。」
「信じられない。」
「想像できない。」
「夢か妄想じゃないか?」
「やかましい! 山田、お前達は何しに来たんだ!」
朝倉に一喝されて及川と山田が顔を見合わせた。
「確かに、朝倉お嬢様の話じゃない。」
山田はおもむろに神崎に向き直った。
「一年生は既に150人を切っている。二年生も似た様なものだがクラス単位で遣り合っても意味が無いだろう。
手を組まないか? 及川とは合意したんだが。」
及川も言葉を添えた。
「山田は短気だが正攻法から変則までの幅が広い、神崎達は俺達でも追い切れない速さと攻守が実に良いバランスを保っているし、顔触れから見て入隊は立川だろう。
まして今日は白軍の主力を見ていた。だから誘いに来たんだ。」
及川は僅かに笑って続けた。
「神崎の頭も、朝倉の実力も俺達は高く買ってるんだ。高橋の馬鹿に構う気は俺には無いしな。」
神崎の視線が仲間たちを見て、山田と及川に戻された。
「その話、乗ろう。俺達も似たようなことを考えていたし、今の目標は疎かには出来ない。最終目標の為にもな。」
その言葉に及川と山田はニヤリと笑った。
「だと思ったよ。今後は仲良くやろうぜ。」
翌日、朝倉の噂話はおおよそが立ち消えになっていた。
神崎班は特に何をしたわけでは無い、おそらくは山田や及川がさり気にカバーしたのだろう。
「仲間か、前は馴れ合いみたいで嫌だったんだけどな。」
神崎に云っているのか独り言なのか判らない呟きに男の眼が自分の肩より下の顔に向けられた。
北米で育ったと云う朝倉の表情は歳に合わない厳しい物が浮かんでいた。
「向こうはこっちより大変だっただろう。」
教員棟で耳にした噂を鵜呑みにする気は無かったが、一年戦争後の日本の復興は単一国家ならではの速さが有った。北米では言語同様に入り交ざった民族間で諍いが絶えない状態なのは聞く必要さえない。
思わず出た言葉に朝倉は僅かに笑った。
「嫌な奴だな、何処まで知ってる?」
「さあな、噂だけだ。俺が仕入れたのは。」
空っとぼけた神崎の高い位置にある顔を見上げてまた笑う。
「どうせ一般教員の戯言だろう。真に受けるなよ、大概の場合真実はもっと重い物だ。」
「その年で真理を知るのは大したもんだが、噂も馬鹿にはならん。目くらましが必要な場合は特にな。」
返事が無い事に見下ろすと何時に無い真面目な視線とぶつかった。
何だ、と問う神崎に、
「お前、何処の大学を出たんだ?」
いきなり方向転換した質問に一瞬戸惑い黙り込んだ男に、朝倉は大人びた笑みを投げる。
「まあ良い。仲間其の一が切れる頭を持っているのは良い事だ。」
其の一・・・ぷぷっと吹き出した神崎に続ける。
「もう一つ質問だ。何で陸短に入った? 初年兵として入隊すれば話は早かっただろう。」
朝倉の見る神崎の表情に僅かな陰が浮かぶ。
「俺にも解からん、届は出したんだが挿し戻された上に此処に入る様に勧められた。余程甘ちゃんに見られたかな。」
「誰が勧めた?」
「立川連隊本部の記載だったな。」
「・・・なるほど。今日の合同訓練の組み分けは出たのか?」
また代わった話に神崎は内心で笑った。
云いたくない話をさせた気遣いが見えるが、まだ若いと云うより子供の朝倉には大人のフォローは難しいのだろう。
「出ている。今日は高橋班は敵だ、存分に叩いてやろう。」
勿論朝倉に異論は無かった。
高橋班と組んだ四組の平井班には気の毒だったが、今回の八つ当たり的な攻勢は神崎やその班員には実に気持ちの良い物だった。
高橋の頭の中など読むにもあたらない。
此方の思う様に動く的は格好の獲物だった。
まして及川班と山田班が味方なら云う事が無い。
一戦目は叩くだけ叩いて終わったが、二戦目は多少の作戦を立てる。
頭に立った山田は神崎を参謀として引き抜き、班を朝倉に任せて及川と左右に展開させた。
フィールド内を思う様駆け抜ける朝倉はまるで水を得た魚か翼を持った鳥のようだった。
「さすがにコンビだけ有るな、奴を良く動かせる。」
山田の言葉に神崎が笑った。最初の四か月は喧嘩に明け暮れていたとは思えないほど確かに朝倉は思惑通りに働いてくれるが、それは朝倉がこちらを知って居るからに過ぎない。
神崎の考えを実践できる力を持っている朝倉なればこそのコンビだろう。
「主力とぶつけるか、それとも回り込んで殲滅させるか、なんなら隙を突いて旗を戴くか、参ったな。選択肢が多いのも考え物だ。」
山田の呟きに冷静な声で答える。
「こちらも主力を出そう。遊撃はあくまで遊撃だ。」
「・・・あぁ、確かに。お前作戦司令部でも通用するぞ。」
口調は軽かったが冗談とも取れない視線で神崎を見てから山田は指示を出し始めた。
山田は指示を出し始めた。
自軍の動きを見て朝倉は及川と綺麗な展開を見せる、それは主力本隊を護りながら迎える形になった。
さらに朝倉が後衛を固めている事を見て取った神崎の指示で山田は突撃の命を下す
雪崩を打って攻撃に出た紅軍を高橋等白軍は迎撃すらできずに壊滅した。
二戦二勝、これで昨日の借りは返した。
神崎と何語か判らない鼻歌を歌う朝倉が教室に戻ると既に担当教官が入っていた。
早速今日の総括に入るが相変わらず厳しい批判が厳しい声で突き付けられる。
唯一の褒め言葉は最後の紅軍の本隊突入とそれをカバーした遊撃二隊のみだった。
もっとも一戦目では良いだけ叩いた神崎班はくそみそにこき下ろされたが・・・
「班と云う単位だけでなく、ましてクラスと云うだけで無い。お前達が目指すのは軍と云う組織だ。
誰が頭に立っても上の真っ当な指示に従う率直さは常に心がけろ。
窮地に陥った時に頼れるのは敵では無い、味方・・」
締めくくろうとした森田担当教官の声がいきなり開いたドアで止まり、其処に立つ人を見て息を飲んだ。
森田担当教官が驚く姿は初めて見たが、神崎達はさらに驚愕する物を見てしまう。
女性だろう、とは思うがその小柄な人はフワッと浮き上がる様に鬼より怖い森田担当教官に飛び込んで抱きついたのだ。
しかも、在ろう事か、鬼より怖い森田担当教官がしっかりと受け止め抱きしめるに至っては全員眼が点状態で声も無い。
余りの出来事に気付くのが遅れたが神崎の眼が入口に立つ二人の男性を捉えた。
年長の男は森田教官と同年齢ぐらいか、端正な顔立ちに優しい眼差しの渋いナイスミドル。
もう一人はもう少し若く見える。
ずば抜けた長身を僅かに屈め教室を覗き込んでいた。
眼が合った。
この顔は知って居る。
婆様の手の中で擦り切れるほど見た写真に20年と云う年月を足せば・・・この顔になる。
何とも云いようの無い神崎に向こうが先に声を掛けた。
「晴海か、親父そっくりじゃないか。デカくなったな、こんなもんだったのに。」
明るい声でデカい掌が作ったのは親指と人差指の隙間だった。
そんなはず無いだろ。
「挨拶しろよ神崎、お前の叔父さんだぞ。」
朝倉の言葉に立ち上がった神崎はその顔を見てやっとすべてが繋がった。
「お前・・・このために電話したのか。このために軍憲に捕まったのか・・・」
「余計なお世話だったか、それなら謝ろう。」
呆れるほど冷静な朝倉の言葉に答えたのは叔父。
「ちびにワッパ掛けた軍憲の野郎は病院送りになった。取り調べで暴言を吐いた奴等もだ。後は詰まらんタレこみを入れた馬鹿野郎だけだが・・・どうする? ちび。」
男の言葉に教室が初めてざわめいた。
「軍憲を叩いたのか・・」
「何もんだよ、神崎の叔父貴って。」
「タレこんだのって???」
「クラスに居るのか?」
「それより・・・ちびって誰。」
ちびが発言した。
「どうせ母ちゃんが暴れたんだろ、此処でこれ以上騒がれるとやり難い。後は私が処理する。それより・・・あれを何とかしてくれ。」
朝倉の指した先にはまだ首に女性をかじりつかせた森田教官が居た。
「なんで二人が来る、私が呼んだのはお前だけだぞアリス。」
苦々しいその声に50絡みのナイスミドルが振り向いた。
「キッドが授業参観をしたがってな。それにお前に人間の友達が出来たと聞いたから見に来た。」
云いながら手を伸ばして森田教官から女性を引き剥がした。
魔法のように手の中に現れたハンカチを渡すとその顔を教官に向け微笑んだ。
森田教官も笑顔を返す。
「・・・おい、見たか神崎。笑ったぞ・・・」
朝倉の声に神崎どころでは無い、クラス中が硬直した。
超絶おっかない鬼教官の笑顔は思ったよりも遥かに可愛いものだった。
朝倉の両親と神崎の叔父が、森田担当教官と同じ部隊で戦友だと聞いて魂消たのは、当然だが朝倉以外の全員だった。
もう一つ魂消たのは朝倉の母親がとてつもない美形だったこと。
直に40歳になると聞いてまた魂消た。
どう見ても30歳そこそこにしか見えない。
父親も渋い上に鍛えられた体格は服の上からでも良く解かる。
しかも整った端正な顔立ちは朝倉以外の女子学生の注目をあびて溜息をつかせた。
「格好良い、あんな小父さまってなかなか居ないよね。」
「やっぱり男は大人でなくちゃ。」
「そうねえ、ガキは煩いからねぇ。」
「森田教官も渋い良い男だけど、朝倉のお父様も素敵だね。」
「そうそう、どっちも棄て難いよねぇ。」
勿論教官を初めとした大人御一行に神崎が連れられて居なくなってからの云いたい放題に、それまで黙って聞いていた朝倉が口を開いた。
「悪いなぁ、父ちゃんは母ちゃんにぞっこんだからな、諦めてくれ。父ちゃんは母ちゃんが何しても怒った事が無いし、母ちゃんから眼を離した事が無いんだ。」
また溜息が漏れた。
「やっぱり。あんな美人だとそうなるよねぇ。朝倉、ホントの親なの?」
「もうちょっと似てれば良かったのにね。」
口々に言い立てる女子の声に森と遠藤が反論した。
「朝倉はまだ子供の顔なんだ、今は仕方ないだろう。」
「二年もすれば大人の顔になるさ、気にするなよ。」
「いや、してないし。
大体母ちゃんの顔は反則なんだ。あれでどれだけの男が騙されるか知らないだろう。」
その台詞にそれぞれが様々な想像を思い浮かべた時神崎が帰って来た。
「朝倉、悪いが班を頼む。叔父貴を婆様に届けて来る。」
「承知。」
何とも云えない眼差しが朝倉に向けられた。
「帰ったら話が有る。」
「あいよ、ノートも貸すぜ。」
お気楽な返事に苦笑を漏らして神崎は教室を後にした。