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休日の顛末 ①

「え・・・そんな暇が有るのか?」

モクが云い出したのは頭の隅にも思い浮かばなかった休日の話だった。

何時もの様に片頬で僅かに笑うとモクは言葉を続けた。

「休暇・・・とまでは行かないがせめて休日ぐらいは取りたいだろう。俺もお前もこの二年休みらしい休みを取って無いし、片付けておきたい事も有るから手伝って呉れ。」

「ああ、それは良いけど。」

頼りない応えになったのは仕方が無い。

産地のフェニックス基地もこの立川連隊でも仕事が絡まない状態は一日たりとも無かったから。

以前DR佐和が云ったようにフレアは完全にG倶楽部の珠玉、希望の星だった。


陸短の二年生時に調整室に乗り込み、フェニックス基地そのものに対しての予算をもぎ取ったのを始めとして、以後今日までうるさ型の調整室を相手に丁々発止と渡り合い、実に堂々と予算を出させ続けている。

勿論、必要な任務は完璧にこなしてその出動回数はすでに二桁に達していた。


『キッドの娘ではそう無理も言えないからな。』

と、実に物わかりの良い振りをして木島調整室長はにこやかに微笑んだが、それを伝えるとキッドは如何にも胡散臭そうな顔で鼻に皺を寄せた。

『嘉門はロクでも無いからな。使い倒されないように気を付けろよ。』

キッドの助言は大当たりだったが今更仕方が無い。

それでもG倶楽部が総出でバックアップをしてくれ、ベルリンやフェニックス基地でもあらゆる情報を流して呉れるからこそ余裕で働いて居られた。

それが丸一日、仕事を忘れて何をすればいいのか、フレアには休日と云う概念が良く解からなかった。




「おい、対向車線に入るな・・・信号を見ろっ、わっ!」

「何でこんなに車が多いんだ? 今日はお祭りか?」

さんざんクラクションを鳴らされながらも平然と周囲を見渡して尋ねたフレアに、モクは恐怖の視線を向けた。

「本当に運転免許を持っているのか、お前は。」

右側が見えないモクはさすがに一般道での運転は控えているが、フレアが出来ると云うので二人は立川連隊から車で出たのだが。

フレアの運転経験はフェニックス基地とその周囲に限定されていた。

勿論広大な北米大陸ならではで、何処まで走っても人影さえ無い荒野や砂漠地帯がメインであるし、街中にしても郊外とは言え東京の混雑する道路を走るのとは遥かにかけ離れている。

ましてや。

「ジープでガンガン走るのは得意なんだけどなぁ、荒野を。」

「話を逸らすな、免許は?」

モクの脳裏に浮かんだのはとことん詐称された履歴、年齢さえ二年も誤魔化して・・・陸短には十六歳での入学だった。

「エラ-は技術さえあれば問題無いって云ってた。」

日本の様な教習所はおそらく無いし、この分だと行った事も無い。

運転免許証はエラ-の偽造ったものに違いない。


頭を抱えたいがたとえ一つしかないとは言え、この状態でフレアから眼を離すことは出来なかった。

「頼むからぶつけるな、面倒な事にな・・曲がるときはウインカーを出せ、黄色は取り敢えず止れ。スピードは出すなっ、他の車と早さを合わせろ。」

モクは思ったより煩いタイプだなと、フレアは新たに知った男の未知の部分に微笑んで機嫌よくハンドルを切り返した。

目的地にたどり着いた時、モクはぐったりと疲れ切っていたが、どうやらこれから先の幸運をすべて使い切ったお蔭か、何処ぞにぶつける事も無く、人様を踏んづける事も無く、周囲を騒然とさせながら車庫入れも果たしていた。


奇跡のようだ・・・むかし無理やり乗せられたエラ-のヘリを思い出したが、無事に辿り着いた安堵で何もかも許容できる境地に達していたモクは一言も余計な事を云わずに車から降り立った。

「此処は何処だ?」

大きくは無いが瀟洒な、洗練された造りの建物のロビーに躊躇いなく入って行く男に尋ねると意外な答えが帰って来た。

「俺の家だ。」

それは男がまだ十八歳の頃、家督を継がない代償として親からもらった物だった。

戦争は生き延びたもののやはり年月には勝てず、モクが陸短の頃立て直した比較的新しいマンションであったし、以前の場所から少し郊外に移った為その分外観内装ともに金を掛けられたのだろう。

室内の平米数も倍までも行かないがかなり広くなっている。

LDKに大きなクロゼット付の寝室と書斎の、部屋数こそ少ない物のゆったりとした造りになっている。


「・・・何も無いぞ。」

掌紋ロックで開いたドアを抜けるとフレアは呆れたように声を上げた。

確かに何も無い。

まるでこれから購入者を待つ不動産物件そのもの。

「前の家財は立て直しの時に全部処分したからな。新たに誂える必要も無かったし。」

陸短や連隊は金が掛からないと男は笑った。

手続きだけはしたし掌紋ロックの登録も済ませていたが一晩たりとも此処で過ごした事は無い。

当然家具家電の類は一切なかった。


「うわぁ、凄い!」

心底驚いた声に見ればベランダに立つフレアが居た。

何か変わった物でも有るのかと出てみると、其処から見えるのはごく普通の街並み、視界の隅々を埋め尽くした家屋や商業ビルであった。

「何が凄いんだ?」

何気に聞いたが返された答えは、

「全部家だ。此処に全部人が住んでるのか? 地面が見えないぞ。山も無いし畑も無いし牛や豚は・・・居ないのか。」

男の頬が優しく緩んだ。

フレアにとって家とはフェニックス基地。そこから陸短、そして立川連隊。

それ以外の場所は任務で訪れるだけの仕事場だった。

東京は下町生まれのモクからすれば如何に都内でも郊外のこの街はのんびりした田舎だったが、フレアには驚きの対象だったのだろう。


「山も川も少し行けば在るし、牛や馬や豚は近県に行けば居る。此処は人の住む街だ。」

観光なら今度連れて行ってやると云って男はメジャーを取り出した。

あちらこちらを計りだしてメモって行く男をフレアも手伝い出した。

窓枠まで計り終えてやっと顔を上げたモクに尋ねた。

「次は何を計るんだ?」

にやりと笑って、

「お前の身長。」

真っ赤になって嫌な奴だと呟くフレアを笑いながらモクは、

「出るぞ、すぐ其処だから歩いて行こう。」



開店したばかりの店舗は、商業ビル内に入っている家具から生活雑貨を扱う店で時間的に客は少なかった。

「本当ならいろいろ探したい処だが時間も無いし此処で済ませて置けば搬入も楽だしな。」

買う物の種類は決めて有ったのかモクはサイズだけを見て次々と決めて行った。

ベッドにソファ、食器棚等々・・・

「どうした、気に入らないか?」

見るとフレアはモクの後をついて来るだけで店に入ってから口を利いて居ない。

見返した視線は何とも頼りない表情が浮かんでいた。

「何だ?」

「いや・・・こんな店は知らないから、驚いてる。」

それは知って居る。

フレアの生活圏は厳しい条件下でやり繰りしていたし、食べるのがやっとでは買い物の概念が根本から違うのだ。

一般的な日本人ならこれは当然の買い物、必要な生活用品で無い方がおかしいのだが。


日本は豊かな国なんだなと呟くフレアにモクは低い声で返した。

「俺にはフェニックス基地の方が豊かな生活に見えた。日本では金さえあれば何でも手に入るが、何を求めるかはまた別だ。キッドもキリ-も大変だと云いながらも幸せそうだったな。羨ましく思ったのは事実だ。こんな物は贅沢なんかじゃ無い、唯の金との物々交換だ。」

店員に聞こえない様に低く続けた。

「ファブリックと食器は選んでみるか?」

「良いのか?」

「良いさ、好きなものを買えば良い。」

「モクはお金持ちなんだな。」

表示された金額に眼を丸くしたフレアに男は笑った。

「軍人を長くやってて独身だと使い道が無いからな。」

手触りの良いシーツやクッション、柔らかな色調のカーテンに挿し色はモクの好きなグリーンを入れてふたりで選ぶのは思ったより楽しい仕事だった。

食器も多くは無いが最低限揃え、フレアが初めて見る様なキッチン用電化製品は実にお洒落で目移りがする。

まして電子レンジや冷蔵庫に至っては。

「こう云うものは電気屋さんじゃないのか?」

「ああ、家電屋には当然有るがセンスがな。どうせ大して使わないから実用性よりデザインで選ぶ方が良い。」

センスだのデザインだのと云う男は確かに身に着ける衣服も洗練されていた。

華美なものでは無い。

がフレアでさえ判る上質なシャツとジーンズ、軽く羽織ったジャケットも品が良く手触りの良い素材である。

自分を顧みてフレアは悲しくなってしまった。

私服はジーンズしかないし、上に至ってはパーカーをずぼっとかぶっただけである。

つり合いの取れないこと甚だしい。

「急がせたから今日の午後には搬入される、二時までなら他にも回れるな。」

会計を済ませて来たモクは次の店にフレアを連れて行った。

「せっかくの休日を付き合って貰ったからな、バイト代を出そう。」


其処は男女から子供までのトータルで揃う大型服飾店だった。

やっと二十歳のフレアではモクと同じ類の洋服は似合わないが、其処は如何にもな女を強調しない街着を扱っている店だった。

「あの当時のキッドも私服はジーパンしかなかったそうだが幸いその頃はシュリが居た。奴のセンスは実に良くて俺も時々組み合わせを盗ませて貰った。」

キッドの場合は大概が遊ばれていたんだがと云いながら、モクは躊躇いもせずに幾つかのトップスを並べて、

「こんな感じは嫌か?」

嫌じゃ無いと云うとさらに幾つも並べて行く。

試着をして何組かの上下を整えたのは時間にして一時間弱。

お昼は簡単な、だが実に美味いサンドイッチだった。

新鮮な野菜とローストビーフを挟んだそれはパンも具もフレアが初めて食べる味だった。


「・・・どうした?」

半分以上残してフレアが置いた食事にモクは怪訝そうに眼を向けた。いつもは綺麗に食べるのに。

「残してごめんなさい。お腹がいっぱいで・・・」

表情が何処か暗い。これは振り廻し過ぎたかと思い、

「疲れたな、気にしなくて良いぞ。後はゆっくりして居ろ。」



マンションの部屋に帰ってすぐ家財道具が納入された。

モクの指示で次々運び込まれる家具が設置される間にフレアはキッチン用品を片付け、珈琲を淹れる。

リビングは見えていたから驚かなかったが、他の部屋は見違える様に様変わりしていた。

寝室も書斎もバスと洗面所からトイレまで、素っ気なかった空間がモクの選んだ趣味の良い家具で埋まっている。


「凄い。」

「まあこんな物だろうな、珈琲を淹れてくれたのか?」

家具が入っただけの生活感の無い空間に香しい香気が確かに漂っていた。

場所は違うが何時もの様にソファに並んで座ると男は気掛りそうに尋ねた。

「大丈夫か? 熱は無いな。」

「体調が悪い訳じゃ無いんだ。」

じゃぁ何だと首を傾げた男にフレアは困った様に笑った。

「手伝うのは構わない、むしろ楽しかった。モクの役に立てたから。でも・・・私は貴方に釣り合わないんだって思い知らされたみたいだ。」

「・・・何を・・」

驚いたモクをフレアは止めた。

「貴方が大人なのは知って居る、自分がガキなのも。でも仕事でも到底敵わないほど何時だってカバーして貰う上に、プライベートでは更に届かないんだ。今日だって何も考えずについて来ただけで全部面倒見て貰って・・・本当に私が隣に居て良いのか判らなくなった。

私を断れなくて仕方が無く折れてくれたんじゃないのかって。

貴方ぐらい趣味の良い大人の男の人が選ぶならもっと大人の女性だと思うし・・・こんなガキじゃ無くて・・・」

考えれば考えるほどモクに釣り合わない自分が此処に居る。

ただ隣に来たくて、傍に来たくて待ち続けた十二年間が今では無性に懐かしい。

優しいモクはキッド達の手前断れなくて受け入れたに過ぎないんだろう。

だが。


「何時かお前に云ったな、嫌になったらそう云えと。

お前が望むなら何でもしてやると。

だからお前が離れたいなら俺は黙って手を離すつもりでいた、あの時はな。」

おもむろに身体ごとフレアに向き直る。

「今は黙って離す気は無いぞ、嫌なら理由を云え。」

「・・・・・・・・え。」

こんな真顔のモクは初めて見る。

「え、じゃ無い。俺の何処が気に入らないか言ってみろ。オヤジだからか、年齢差か、若い男が良くなったか、まさかディランの方が良いだなんて言んじゃないぞ。」

「何でそうなるんだ、そんなはず無いじゃないか。」

「じゃあ何だ!」

フレアの眼はまじまじと男を見つめ一言告げた。

「大好きだ。」

「・・・・・・俺もだ。」



フレアの本音を改めて聞くとモクは身体から力が抜けるような気がした。

「お前は・・・幾ら知らないとは言え俺がどれだけお前を待って居た事か。それを着る服だの、小物の趣味だので釣り合う合わないの判断を下したか。云って置くが俺はお前が四歳の時から陸短で待ち続けたんだぞ。四歳児が約束どころか俺自体を忘れても当然なのに。それを・・・」

「モク、興奮すると血圧が・・・」

キッチンカウンターから男が振り返った。

「煩い! 確かに歳だが其処までじゃ無いし、血圧は低い方だ!」

「はいっ。ごめんなさい。」

「ごめんで済むか。ホセの暴露でどれほど揺さぶられたか、それでも俺がお前を貰う訳には行かないと断腸の思いで蹴ったのに・・・負けたらホセに盗られると思った瞬間の血が逆流する感覚をお前は判らないからそんな事が云えるんだ。いいか良く聞け、今でも俺はお前を貰う訳には行かない。だがお前にならこの俺を呉れてやる。俺の総ては一切合財お前の物だ、煮て喰おうと焼いて喰おうと好きにしろ。解かったか!」

呆気にとられたフレアに、

「返事は!」

「はい! 了解しました!」

担当教官の凄味は未だに健在だった。

思わず直立不動に敬礼までしたフレアに男は近づくと少し屈んで目線を合わせる。


「生き残ったのはお前と出逢うためだと思った。

あの四歳のお前の泣き顔に俺は鷲掴みにされたんだ。それだけは疑うな。」

こくりと頷いた拍子に涙がこぼれた。

その小さな身体はやはり暖かく抱きしめるとモクの気持ちが落ち着いてゆくのも昔と変わらなかったが・・・

「もう二十歳になった。」

云いたい事は解かって居た。

「だからこの部屋を作りに来たんだ。お前をおかしなホテルに連れて行きたくなかったからな。」

この一年半、優しく抱きしめてくれキスもしてくれたが男はそれ以上に進もうとはしなかった。だから余計にフレアは考えてしまったのだが・・・

「少し遅くなったが、二十歳の誕生日おめでとう。この部屋ごと俺まで込みでお前にプレゼントだ。」



自分の腕の中で微睡む暁を見つめて男は微笑んだ。

今まで抱く事を引っ張ったのは暁の為である。

ディランほどでは無いが自分に明らかな好意を示す女に対して彼はさほど遠慮はしなかったが、暁だけは心底大事にしたかった。

擦り込みと思い込みで男を慕っているならやがて眼が覚める筈だ。

その時に後悔させたくないが為に一年半と云う時間を与えた積りだったが、モクに抱かれる事に暁には何一つ躊躇いは無かった。

此処まで来たら本気で付き合うしかない。

例えキリ-に怒突かれたとしても・・・


(いや・・・キリ-だけじゃないか。)

急に思い出したのはエラ-やアリス、ルウとナイト。そしてディラン。

あの戦争を生き残ったG倶楽部の男達は何よりも暁、ちびを大切にしている。

「ひとり一発にしても・・・キツイな。」

思わず呟いた言葉に暁がうっすらと眼を開けた。

華が開いた様にこぼれる笑顔と男の首に巻きつく白い腕にモクは苦笑した。

仕方が無い。

この代償なら何をされても文句は言えないと思えるほど暁は可愛かった。

「身体は大丈夫か?」

低い声に応えたのは笑顔。

「モクは?」

心配性の恋人の唇を塞いで囁いた。

「頼むから帰りの運転は気を付けろよ、エラ-のヘリ並みに心臓に悪いからな。」



「母ちゃんには言っても良いか?」

夕飯を取りながらの暁の問いにモクは苦笑で応えた。

「隠しようも無いだろう。キッド処か多分・・・知れ渡ると思いがな。」

キッドが呆れるほど綺麗になった時、当然ジ-ン以下の全員が理解していた通りの奇跡が今まさに暁にも降りていた。

柔らかな表情、眉も眼も唇も何より肌の輝きが別人のように煌めいている。

モクの選んだ短ジャケットとパンツはその暁に良く似合って誰の眼にも間違いなく美人だ。

当時のキリ-の困惑と諦めの境地が手に取るように解かったが、今更どうしようもない。

だがやはり暁はキッドの娘だった。

如何にも不審そうに首を傾げながら摘まんだ天ぷらをぱくりと頬張った。

「美味いな、お昼のサンドイッチもこれも初めてだ。」


フェニックス基地では幾らキッドが手を掛けているとは言っても完全な和食は難しい。

成城の街の小さな、だが小奇麗な天婦羅屋は平日のせいか半分ほどしか席は埋まって居なかったが居心地が良い。

次は寿司屋かなと考えながらモクもさくっと揚がったかき揚を口に運んだ。

「ホセにも喰わしてやりたいな。」

思わぬ名前にモクが眼を上げると暁は何時に無い真面目な顔を見せていた。

「ホセは両親とも居ないんだ。母ちゃんが連れて来た時、群れから逸れて餓えた山犬の様なガキだった。両手で抱え込むようにしてご飯を喰って居て・・・見てると泣けて来た。

G倶楽部に上がれば餓えずに済む、ひもじい思いをしなくて済む。

父ちゃんと母ちゃんを見ててそう思ったんだろう、だから私と結婚したかったんだ・・・馬鹿だろ、G倶楽部は日本陸軍なんだから不法入国者のホセはG倶楽部には入れないのに・・・何度言っても判らなかった。」

「判りたく無い事なんか幾らでも有るさ。」

静かな言葉に暁は驚いたようにモクを見返す。

「ガキの想いは純粋なだけに強い物だ。だがな、ホセがお前を好きなのはG倶楽部目的だけじゃ無いのは解かってやれ。奴はやり方を間違えたかもしれないが真剣にお前を愛していた。同じ思いを持つ人間には解かる事だ。」

「・・・・・・うん。」

少し昔を思い起こす様に時間を掛けて暁が頷いた。

「何時か、連れて来てやりたいな。そしたら日本語も真面目に勉強するかもしれない。」

ホセが真面に話せる日本語は『戴きます』だけだと云って暁が笑う。

少し潤んだ瞳が煌めいてやけに大人に見える。

モクは笑いながらも僅かに眼のやり場に苦労してしまった。


食後に渋いお茶と白玉小豆を出されて暁が嬉しそうに笑った時だった。

どれほど気を緩めていても二人とも緊急事態の異様な空気には敏感である。

僅かにざわめいた外にそれを感じ取り揃って顔を向けた瞬間、荒々しく扉が開かれた。

飛び込んで来たのは一人の若い男。

だが、その顔にも身体にも血が飛び散っている。

しかも拳銃を持った右手を振り廻しレジの横に居た店員の女性に突き付けた。

「暁。」

男の姿を見た途端動こうとした暁をモクが低く抑えた。


女性店員の頬に押し付けられたチーフ.スペシャルはセーフティが解除されている。

「誰も動くな!」

強くはっきりと告げた男は僅かに銃口を頬から離し店員の身体を掴んで今度は背中に押し付け、店員を盾にそのまま座敷に上がり込んで来た。

余りの事態に店内は凍りついているが、外は酷い騒動に陥っていた。

モクの眼はおそらく人を撃って来たであろう男の様子を伺ったが、其処には酷く冷静で油断の欠片も見えない。

とても慣れているとは言い難い。

訓練された警察官や軍人ならば此処まで返り血を浴びる事は無い筈だが、こんな極限状態-人質籠城-でも不思議と落ち着いている。

こういう時は多少狼狽えてくれた方が制圧し易いのだが・・・と、男の目線が掴んだ店員にちらりと流れた。

蒼褪めるを通り越して唇まで真っ白になった女性店員に気付いたのは男だけでは無かった。

「その人、気を失いそうだよ。」

暁が静かに続けた。

「可哀想だよ。放してやれないかな。」

男は暁を見つめ僅かに頷いた。

「解かってるが・・・まだ人質は必要だ。お前が替るか?」

暁は実に慎重に躊躇う素振りを見せる。

怯えた表情は童顔の暁の高い戦闘能力を隠しきっていた。

「・・・良いけど・・・それ、本物?」

「生憎本物だ。大人しくしてくれたら撃つ気は無いから安心しろ。」

こっちに来いと云う言葉に従って暁は動いたが銃口は店員からギリギリまで離れず、さすがの暁でも反撃できないまま背中にゴツリと押し当てられた。

「人質は一人いれば良い。一人ずつ外に出ろ。」


モクが誘導して子供や女性客、年配者から男性客を外に出していると、奥の調理場から出て来た店主らしき男性が暁と替ると云い張った。

だが、

「悪いな、反抗されると困るんだよ。人質はこの娘の方が良い。その人を連れて行け。」

腰を抜かした女性店員を連れた店主が出て行くと店内には男と暁、そしてモクの三人だけとなった。

既に警察が包囲しているのだろう。

さっきまで騒がしかったパトカーのサイレンは収まっていたが、カラフルに光る回転灯と扉が開く度の騒然としたざわめきは非日常的な事態をこれでもかと強調しているようだった。





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