out of standard Ⅴ
実際、まる三日で特区は劇的な変化を遂げた。
朝から丸一日、走って走って走る。
初年兵並みの走りっぷりにも脱落者は無く、動きも実に切れが良くなってくる。
展開も速まりその中に居る筈のフレアやオリ-、リオウが目立つ事も無かった。
「これなら次のステップに進めるな。」
G倶楽部が画策していたのは再度の富士での演習だった。
「今回は特区、G倶楽部対陸戦、機甲化部隊の殲滅戦だ。」
ロブから聞いて香村以下特区隊員は蒼褪めた。
「正面から真面にぶつかる。目的は簡単だ。機甲化部隊を黙らせ、陸戦隊を潰すだけになる。」
その作戦会議に参加したのは特区では分隊長以上とG倶楽部の大半だった。
「ダンテと西神は抜けるが来月から香村が少尉となって特区を率いる事になった。香村少尉の顔を潰すなよ。」
ロブの言葉に内藤、南田そして高任は破顔したが、香村本人は何とも複雑な表情を見せた。
「香村は通常の特区部隊とG倶楽部戦闘兵士部隊を見て貰うが使い方は任せる。うちの連中の力量を良く知って置いた方が良いからな。それ以外のG倶楽部員は俺の指揮下で動くが、今回は時間制限が無い演習だから早目に片を付けたい処だ。何か質問は?」
香村は真剣な表情で考え、やがて。
「どちらかひとつなら対処も出来るが機甲化と陸戦隊を同時攻撃は厳しいな。
フレア、戦闘兵士はどちらが得意だ?」
にやっと笑って。
「では機甲化部隊を潰すか。蓋の中に手榴弾を放り込めば済む。手が空けばお前の指揮下に入る事も可能だし、こっちも手を借りるかも知れないな。そこはフリーランスで行こう。」
「了解した、ロブの指揮下のスナイパー隊には最初の段階の掻き廻し役と戦闘兵士の援護を頼みたい。」
「承知。」
応えたモクにフレアが告げる。
「スナイパーの支援要員を各二名特区から用意して貰う。任せていいか香村。」
了承した香村から全員の顔を見渡して、
「今度の対戦相手が公な以上、向こうも何らかの手は打ってくるだろうからな。」
と告げて立ち上がった。
この処、フレア達が特区隊員に混ざってレベルを上げてくれたおかげで香村には実に楽な訓練となっていたが、いざ実戦さながらの特訓となると戦闘兵士の動きは桁が違ってとてつもない速さを見せつけられる。
その背中を完璧に護るスナイパー三人の腕前も呆れるほど精緻で、立川連隊の正規部隊のスナイパーなど単に射撃が巧いと云うだけであろう。
香村は一度モクの後ろに張り付いてフレアとの連携を見せて貰ったが、それは声さえ出ない見事な物だった。
双眼鏡の中、フレアの先わずか数センチをシルバーチップが掠めるが、フレアの脚はとてつもない速さで躊躇いなく駆け抜けていく。
「道を付ける、と言うんだ。戦闘兵士が次に何をするか、優先順位が何処からかを俺達も知って置かなくてはならない。知ったうえで敵を排除する。単に背中を護るだけじゃ無く同じ目的を持って戦うのが戦闘兵士とスナイパーコンビだ。後手に回っては戦闘兵士を護るどころか足を引っ張るしかないからな。」
日本陸軍最精鋭G倶楽部の誇る第一狙撃手の呼称は伊達では無いと思い知らされた。
「聞いて良いですか。」
訓練後、隊舎に引き揚げる途中香村はモクに尋ねた。
「陸短の時は軍事史を担当してましたね。何故実技を教えなかったんですか?」
モクは昔の教え子に僅かに苦い笑みを返した。
「あの頃の俺は半分死んでたからな。最近になってやっと生き返ったんだ。」
怪訝な顔の香村に男は指先を振った。
先に見えたのは細いフレアの背中。
「あれが俺を叩き起した。」
森田担当教官が一年戦争に参加していた事は周知の事実。
その当時に受けた負傷で退役し教官となった事も知られていたが、どうやら複雑な事情もあったようだ。
多くを語らないがこれほどの腕を封印するには相当の理由が在ったのだろう。
そしてそれを起こすならやはり戦闘兵士に不可能は無いらしい。
だがモクは一つしかない左眼を香村に向けて笑った。
「お前だって叩き起こされた口だろう。」
「・・・・そんな生易しいもんじゃ無いですよ。」
直下型の激震でした、と呟く香村は複雑では有ったが以前の様に怒った表情では無かった。
「実は・・・心配な部分と楽しみな部分が混ざってて、困惑していると云うのが本音です。俺達特区が邪魔をしなければいいんですが。」
咥えた煙草に火を点けて元教官が頷いた。
「気持ちはわかるな。俺も同様だ。」
香村の驚いた顔にモクは続ける。
「ブランクが長かったしフレアの身体能力は並みじゃ無い。今日でおよそ八割、いざとなれば何処までだして来るやら。あれに匹敵するのは今ではフェニックス基地のキリ-ぐらいなものだろうが、次を育てて引き継がないと・・・何時までも俺やキリ-が表に立つのは厳しいからな。」
だからお前達なんだと真面目な顔で告げた。
「レベル的には此処のG倶楽部はフェニックス基地よりかなり下だ。意識も実力も引き上げなくてはならんが、すぐに出来る事じゃ無い。次の時代、次の世代が育つまでには相当に時間が掛かるだろう。特区でもお前以外はごく普通の兵隊たちだ。お前が抜ければいずれは力を落して行くだろう。それを少しでも先に延ばす為には今、この時のレベルを限界無視で上げて置くしかない。一つの部隊を任されたと云うのはそう云う事だ。そうした意識をお前が次に繋げろ、その為の香村将史として生きろ。」
スパンクを喰らったようだった。
今まで当然の様に生きて来て当然の様にしてきた総てが目標となって、いきなり形を創り眼の前に現れた様に感じられた。目前に道が開ける。
「・・・・・承知。」
フレアに叩き起こされ、モクに叩き込まれた言葉を呑み込んで応えた男に元教官は初めて見せる優しいと云って良いまなざしを向けた。
七月半ば、これでふたつき続けての演習となった特区隊員たちは静かに待機していた。
「開始から速攻で畳み掛ける。G倶楽部に後れを取るなよ。」
前回とは異なる酷く冷静な香村少尉の声に内藤以下は実戦で聴く本気を感じ取っていた。
こんな声の時は一切の容赦も無い事を長年の付き合いから知り尽くしている。
内藤と南田は視線を交わして頷き合うと表情を引き締めた。
腕のクロノメーターを見つめていた香村が一言。
「掛かれ。」
弾かれた様に飛び出していく部下の只中で香村と高任が左右に展開しながら部隊を率いて走る。
当然、G倶楽部戦闘兵士部隊も含まれる手勢はまるで全員が戦闘兵士さながらに、音を立てずに機甲化部隊とその後方に展開する陸戦隊の間を分断する動きを取った。
戦車部隊の動きは悪くは無い。
ただ戦闘兵士部隊の動きの方が速かっただけだ。
陸戦隊が気付く瞬間、スナイパー部隊を率いるモクの指示で主要な部隊長が軒並み戦列から退く。
香村が見る限り無駄弾は一切ない。
驚くべき精密狙撃を援軍に戦闘兵士達は機甲化部隊の戦車に取り着いた。
擬似手榴弾は音と煙を吹きだし、動きを止めた戦車から次へと向かう。
陸戦隊からは丸見えと云って良い状態ながら其処はモク等がカバーして、特区も一切の手を緩めず香村からの矢継ぎ早の命令に一瞬の停滞も無い。
戦闘兵士部隊が最後の戦車を潰して振り返った時には陸戦隊も壊滅していた。
時間にして二十分少々、完勝だった。
「1022時、完了。」
香村の声に特区隊員とG倶楽部員は引き締まった表情を緩める事無く撤収に入った。
後に残ったのは唖然とした陸戦隊と機甲化部隊の面々だった。
香村将史が非常識な昇級をした事はささやかな噂にはなったが、それに関しての公な批判は起きなかった。
何しろG倶楽部絡みである。
まして先月の対陸戦、機甲化戦で圧勝した事実が彼の実力を全立川連隊に実証したのだ。
だが、黙って居られない人間も居た。
「だから・・・何でそんな事になったのかを聞いているの。」
瑛子が眉を吊り上げた。
この処下士官食堂にも顔を表さない香村を捉まえるのは確かに容易では無い。
特区の隊舎の前でやっと脚を止めさせたが、香村は困った様に肩を竦めた。
「頼むから俺に聞くな、G倶楽部絡みだから答えられないんだ。解かるだろう。」
黙り込んだ瑛子に香村は優しい視線を向けた。
「特区のレベルを上げないとならない。暫くはデートもお預けだが・・・悪いなぁ。もう少し待ってくれないか。」
香村本人は全く自覚は無かったが実は立川連隊下士官の中で人気は高かった。
多少変わり者だが仕事は熱心だし、顔立ちも良い。
私服も野暮ったい軍人とは思えないほど洗練されている。
特別飾っている訳では無いのだがすっきりと抑えた配色に僅かな、だがバランスの良い差し色を加えた身なりは、圧倒的なセンスの良さを誇っている。
180㎝の上背と鍛え抜かれて引き締まった体格、休日に見せる優しい笑顔は今までは瑛子が独占していた。が、自分からかなり強引に迫って落した事実と、今では士官となって感じる距離の怖さに瑛子は黙っては居られなかった。
「何でG倶楽部なの。G倶楽部とは関わらない筈じゃ無い。」
「済まないなぁ。こっちから関わったんだ。」
割り込んだのはまだどこか幼い声。
振り返った瑛子の眼に通常戦闘服の若い顔が有った。
大人になり切って居ない少女の顔立ちながら、すぐに艶やかに咲き始める蕾を連想させる容姿に瑛子は苛立った。
さっき香村を捕まえた時、直ぐに離れて行ってしまったが一緒に居た西園寺・・・いや高任二曹も恐ろしい程の美貌を誇っている。
容姿に関しては並み以上の自信を持つ瑛子だが、この二人は現実から掛け離れた美人だった。
「・・・・誰、あんた。」
「G倶楽部のフレアだ。お前は?」
割って入ろうとする香村を押しのけて瑛子は高らかに宣言した。
「香村将史の恋人よ、中村瑛子・・・G倶楽部ですって?」
立川連隊所属隊員はG倶楽部の機密性を叩き込まれているが、公に語られる事は無くとも噂では幾らでも流れている。
そのG倶楽部員が眼の前に立つこんな少女なのか。
如何にも不審げな視線にフレアと名乗った少女が笑った。
「そうか、香村の彼女か。美人だなあ。」
と、その顔を香村に向けた。
「お前みたいな無愛想者にこんな綺麗な彼女が居るとは知らなかった。大事にしないと罰が当たるぞ。」
憮然とした香村から瑛子に眼を戻すと、
「済まないな。特区を巻き込んだのはこっちの都合なんだ。暫くは忙しいが我慢してやってくれ。」
ニコっと笑って踵を返す。細い背中が隊舎に消えるのを瑛子は唖然と見送った。
「ねぇ・・・あれ、本当にG倶楽部なの。」
頭を掻きながら香村は頷くしかない。
「ああ、そうだ。腕利きのG倶楽部員だよ。」
苦笑をこぼして続けた。
「本当に済まない。待てないか?」
今の香村には特区の方が大事だった。
どうでも待てないと云うなら別れるしかないのだが、
「・・・メールぐらい入れて。待ってるから。」
勢いを削がれた様な瑛子に頷くと香村はやっと隊舎に滑り込んだ。
高任と話していたフレアが振り返る。
「良い女だな、えらい美人じゃないか。」
お前は何処のオヤジだ、と思いながら香村はさらっとスルーした。
「ああ。それで今日は何だ。」
今ではG倶楽部との合同特訓は週に二回と限定されていた。
無論特区では行動を共にするための訓練が厳しさを増すばかりなのだが、G倶楽部としてはべったり張り付いて居られないのも事実なのだろう。
実際この二週間フレアは現れず、久しぶりのお出ましだったが。
「来週から一か月フェニックス基地で研修に入る。全員連れて行くぞ。」
北米フェニックス基地が日本陸軍とG倶楽部の拠点である事は知って居たが、特区が其処に出張る事など考えても居なかった。
驚いた香村にフレアは続けた。
「南米に西神が張り着いてるが状況が思わしくないと連絡が入った。ブエノスアイレスは戦争中からどうも鬼門だな。フェニックス基地で研修を受けながら待機しておきたい。」
となるといよいよならG倶楽部旗下の特区としての初陣になる。
引き締まった香村の表情をフレアは僅かな笑みを浮かべて見据えた。
「内藤、南田に通達して置け。出張るにしても今回はフェニックス基地の援護が頼めるから比較的楽だと思うぞ。私の両親も手ぐすね引いて待ち構えてるしな。」
詳しくはロブと打ち合わせておくように告げてフレアは背中を向けた。
「ああ、彼女の機嫌は取っておけよ。お前女の扱いは下手そうだからな。」
ドア口から放たれた爆弾に香村が言い返す前にドアが閉まった。
「・・・クソガキが!」
吹き出した高任にひと睨み呉れて招集を掛ける香村だった。
「いくらフェニックス基地の支援が有ると云っても距離的には相当なものだがな。フレアはそれこそガキの頃から行き来してるから軽く云うが実際はきつい筈だ。」
顔を顰めたロブの説明に香村は頷いた。
南米はアルゼンチン共和国の首都、ブエノスアイレスは未だに反政府活動が収まり切っては居ない。
大戦中に陥落したブエノスアイレスを、国連軍の日本陸軍と海軍との連携で取り戻したのはG倶楽部のキッドとアリス。
フレアの母親だと云う。
以後、キッドは何度も足を運び弱腰な政府を助けて来ていたが、この処反政府活動がまたぞろ活発化していると張り付いている西神からの報告が上げられた。
「西神が不味いと云うなら確かな情報だろう。それにしても特区全員と云うのは・・・規模がデカすぎてさすがに驚いた。」
幾ら懸案含みとは云え、一般的に研修程度で丸まる一部隊を出すなど考えられないし、それを平然と受け入れるフェニックス基地も非常識の極みと云っても良い。
だが、ロブは笑っただけだった。
「この程度で驚いていたらフェニックス基地で腰を抜かす事になるぞ。」
一部隊62名は多い数では無い。
だがそこに機材から武器弾薬、装備一式を積んだ挙句にG倶楽部からフレア、オリ-、リオウの戦闘兵士隊とモクを筆頭にレインとデイルのスナイパー隊までを含んだ一行が、大型輸送機でフェニックス空港に降り立った時、迎えに立っていたのはフェニックス基地司令、G倶楽部第一戦闘兵士のキリ-だった。
「よく来たな、待って居たぞ。」
穏やかと云って良い程の表情と声に香村は驚いた。
日本陸軍最精鋭、G倶楽部のフェニックス基地司令にして第一戦闘兵士キリ-は噂では厳しい表情を緩める事も無く、どんな激戦下でも任務を果たして帰る鋼鉄の男と聞いている。
その相方である第二戦闘兵士のキッドは、べらぼうな別嬪で有りながら一欠けらも容赦ない氷の戦士だとも鳴り響いていた。
あくまで噂では有るのだが。
だが香村の前で穏やかに微笑む男には酷薄さの欠片も無い。
、「お世話になります。」
自然に出されたのは心からの本心だった。
「こんな大人数でご迷惑をお掛けしますが宜しくお願いします。」
陸軍の部隊の宿舎に案内されて後を高任に任せると香村はキリ-に続いて設備を見て周った。
フェニックス基地は経済的に厳しい処だと聞いた事が有ったが、基地も市内地も綺麗に整えられていた。
あの戦争に入る前、この地に基地を備えて戦後に備えたと云う当時のG倶楽部総帥ジ-ンの先見の明は、確かに見事に実証されていた。
北米大陸の中でもほとんど戦争の傷跡の無い地域。
ロスは爆撃に曝されニューヨークは壊滅、大半の都市が戦火を被った中でフェニックスは空港を失っただけで生き残った。
今では市内も基地も何もかも元通りに・・・いや、おそらく以前よりも生命力に満ちて居る筈だった。
昔を知らない香村がそう感じるほどその土地は力強かった。
「あれは?」
いろいろ見て周った香村の示した先にはさほど大きくは無い素っ気ない建物があった。
「ああ、入って見るか。」
キリ-の態度は何一つ変わりは無いが入ってみて驚いた。
トレーニングマシンが置かれた片隅と、広く取られたスペースはまるで立川連隊のG倶楽部そのもの、此処は知って居る。
立ち竦んだ香村にフェニックス基地G倶楽部司令キリ-は表情を消した眼差しを向けた。
「此処はG倶楽部だ。」
ああ、知って居るとも。
例え同じ連隊内であっても極秘とされるG倶楽部は、誰の眼にも見えない場所で誰よりも厳しい訓練を重ねて度重なる任務に明け暮れている。
二十歳前のフレアも、一度は引退したモクも、闘う事から眼を背けずに真正面から向き合っている。
そして此処でも・・・・
「キリ-と呼ばせて貰います。俺は・・・G倶楽部と関わる事が出来て光栄です。」
その仕事を誰が知る事も無い。
公に出来ない裏の仕事には血と硝煙の臭いが常に付きまとう。
だが、その崇高な犠牲を知りうる身がこれほど誇らしく思った事は無い。
古びた何の変哲も無い建物の内部には、使い込まれたマシンと傷だらけの格闘スペース。
際立ったものなど何もない、唯それだけがG倶楽部だった。
床に染み込んだ汗と涙と、至る所に着いた疵がG倶楽部の総てだった。
「ようこそフェニックス基地G倶楽部へ。心から特区を歓迎しよう。」
静かな、だが力強い声に香村は自然に背中が伸びるのを感じた。




