out of standard Ⅱ
腹を括って仕込み始めると、高任は実に有能だった。
呑み込みの良さは天下一品。
一つの事案から展開して行く速さと方向性は香村の意表を突きながら、帰結地点はさほど離れてはいない。
これは今までに無いタイプだった。
隊員たちはそれぞれがある意味プロフェッショナルだが、個人技以外は持ち合わせて無い。
それを統括して仕事を完遂するのが香村の役目だったが、独りで見ると穴も出る。
高任はそれを埋める貴重な眼になる可能性を持っていた。
「そうか特別区域とは一つの任務の何処にでも発生するんだな。均しや始末だけでなく。」
過去の案件の記録を丹念に調べながらそう呟いたのは三日後だった。
「気がつきましたか、事前から事後そして次へ繋ぐ。それが俺達特区の仕事です。
二曹は呑み込みが速くて助かります。」
特区の任務内容は敢えて教えなかったが経験値が無い割に察しは良い。
これなら早い時点で現場に出られるだろう。
秋月中尉に呼ばれたのは翌週だった。
「何処まで行った?」
「後は現場です。」
完全に主語の抜けた問いに応えられたのは西神がヒントを呉れたからだが面白くは無い。
「来月は富士で演習が在る。めどをつけて置け。」
「了解しました。」
香村が高任に掛かり切ってる間、隊を見ている西神の元に出向いて脚が止った。
訓練内容が変わっている。
かなり絞り込んだ動きはキレこそあれ何時ものだらしなさは微塵も無かった。
さすがは西神だ、と思いながらも悔しさに立ちつくした香村にその西神が眼を向けた。
「そろそろ来ると思ったぜ。高任の頭と眼は良いだろう。」
「・・・あぁ。」
「腕もなかなかだ。」
「そうか。」
一拍置いて、上官の声が響いた。
「香村軍曹。明日から高任二曹ともども訓練に合流せよ!」
「了解しました!」
反射での敬礼は完璧でそれさえ苛立たしい香村だった。
『公休いつ取れるかな?』
瑛子からのメールで香村は大きく息を吐いた。
「悪い、来月富士だ。帰ってからになる。」
すっかり忘れていたが演習が入れば休みなど取れないのはお互い様。
理解してくれるだろうとフォローも無しの返事に返されたのは、
『仕方ないなぁ、頑張ってね。』
実際とてつもなく忙しかった。
秋月中尉が着任して初めての演習だし、西神と高任も当然初参加になる。
香村の経験値を総て引き出した挙句に組まれた訓練内容は、ベテランと云われる年代の香村でも顎を出すぐらい厳しかった。
陸戦、特科、機甲化に空挺。
そのどれにも関わる特区は総勢60名強。
完全個別技能で固められていたが率いる事が出来るのが今までは香村だけだった。
「飯島少尉が離隊したのは半年前か、良く独りでやって来たものだな。」
休憩中の西神の言葉に香村は咥えた煙草に火を点けた。
「正確には5か月半前になる。」
仏頂面の同期に西神はチラリと視線を投げた。
「飯島さんはストレス性胃炎、その前の高橋一曹は被弾による負傷で離脱、復帰のめどは無い。確かに膝をやられては無理だな・・・これほど仕事の多い部署も無いのに何で次々こけるんだか。」
「仕事が多いからだろ。隊員たちはそうでも無いが上は常にフル稼働だ。」
それは事実だった。
飯島少尉は良く頑張っていたがベテラン一曹が抜けると僅か二か月で胃に穴をあけた。
香村一人では成り立たないが後任が決まらない。
誰も好き好んでキツイ部署へ来る者は居なかったから、秋月中尉がよくぞ来たとみつき前は驚いたものだ。
「香村ぁ、お前三曹試験受けろ。なんなら命令文書にしてやるぞ。」
受けたかったが自分にかまける暇が無かったのが事実だ。
「ああ、お前が来てくれたから次は受けるよ。」
ニヤリと笑って西神は立ち上がった。
「軍曹一人の割にレベルが落ちて無い。相変わらず良い腕だな。」
煽てられても何も出ないが。
自ら進んで特区に赴任した秋月中尉が呼び寄せたらしい西神と高任はたった半月ですっかり馴染んでいた。
西神は判る。荒くれた兵隊からすれば西神は理想の上官だ。
仕事ではこの上なく厳しい、迷いの無い指示と容赦の無い檄。
従わないと表情ひとつ変えずに殴り倒すが後に残さず、プライベートでは一緒に酒を飲み与太話をし、気に喰わない野郎を散々こき下ろして笑い飛ばす。
だが、実戦経験も無く年若い女性の高任二曹が不思議なほど馴染んだのは・・・殴り合いだった。
お約束のセクハラ発言を浴びせた隊員、南田士長とのタイマン勝負は秋月中尉以下全隊員が見守る中、延々一時間に及んだ。
終わって立っていたのは高任二曹。
戦闘服は破れ汗と泥に汚れ、綺麗な顔を腫らして切れた唇から血を滲ませた壮絶な姿で辛うじてでは在ったが。
『悪いな・・15歳で記憶を失ったからバージンかどうかは自分でも判らないんだ・・・知りたきゃ墜して見せろ。』
袖でグイッと顔を拭って言い放ってからひっくり返った。
工兵徽章と太い腕っぷしを持つ南田士長が半身を起こして呟いた。
『気の強い奴だな、アマっ子とは思えん。』
だいぶ手加減しただろう、と香村が聴いたのは高任二曹を救護室に運んだ帰り。
丸太の様な腕と体格に似合わぬ俊敏さを持つ南田からすれば、幾らなんでも高任に負ける訳は無いが、南田はふふっと笑って、
『呆れるほどの頑固者ですね。それには負けましたよ。』
以来、南田を筆頭に隊員たちは高任二曹を受け入れた。
180㎝級のゴツイ隊員たちの中に立ち混ざる高任は実に160㎝そこそこで、幾ら筋力が在ると云ってもやはり華奢な体格は目立つが馴染めばさほどの違和感は無い。
まして香村仕込みのざっくりとした指示出しから総てのこぼれを冷静に拾い上げて行く手腕が知れると、隊員たちの態度も明らかな変化を見せた。
「どうだ、二曹は。」
筆頭お世話係の問いに応えたのはここ暫く高任の指揮下に入っている戦闘部署の責任者、内藤士長だった。
「反射、感、眼と耳、どれも一級ですよ。持久力は有るが純粋に力は劣ります。まぁ俺達と比べてですがね。」
「下に着けるか?」
と、云うより上に戴けるか。
激戦の最中で揉めるのは生死に関わる。
だが香村の懸念は苦笑で躱された。
「大人ですからね、これでも俺達は。それに云ったでしょ、聞く耳を持っていると。上っ面だけで流す人じゃない。」
どうやら腹を括れるタイプらしいと、呟いて内藤は訓練に戻って行った。
高任二曹が15歳以前の記憶を持たない事は聞いてはいたが、その理由を知ったのはおそらく隊内で香村が一番遅かったようだ。
「自殺を図ったらしい。」
来週には富士に発つと云う一夜、西神に誘われて連隊内の下士官クラブでそれを聴いた。
固まった香村をしり目に西神はロックグラスを空けて続ける。
「左手首に躊躇い傷の無い見事な覚悟が残っているぜ。」
腹を括れるとはそういう意味か。
「見たのか?」
御代わりを頼んで来るまでの無言。
やがて、
「『振れまわる心算は無いが隠す事でも無い、見れば誰でも判る事だ。』そう云って袖をまくった。出血性からなる記憶障害だそうだが、家が家だ。死なせては貰えなかったらしいと笑っていた。」
「理由は?」
「男。」
香村の表情を見て西神が笑った。
「変わった顔だな、初めて見るぞ。」
内心がもろに出たようだ。
今の高任を知れば男に引っ掛かって自殺を図るとは考えられない。
そんな弱さとは縁がなさそうに見える。
「まぁ織り込んでおけよ。お前は個人的な事に首を突っ込まないのが長所だが、性格は知っておいた方が良い。」
瑛子と会った時の如何にも子供じみた表情に好奇心は有っても翳りは無かった。
記憶が無いと云う事の恐ろしさが僅かだが窺い知れる。
躊躇なく死を選んだ理由さえ忘れてしまったのなら、それは間違いなく哀しい事だろう。
「今回は対特区戦だ。」
秋月中尉の言葉に香村は眼を上げた。
陸戦隊と工兵部隊、空挺が出張ったうえ、地元と云って良い機甲化部隊まで展開しての演習で主役を張るのが特区ではさぞかし揉めるだろう。
部隊編成自体実に慎ましい小規模部隊なのだ。
「工兵の地均しから陸戦の援護、撤退支援。空挺には場を作り、機甲化には開いた場で陸戦隊の仕事を肩代わりしたうえで畳む。タイムラグはほとんど無い。」
地図上のポイントを確認して、
「無茶だ。」
思わず漏れた香村の声に秋月中尉は怒る事も無く頷いた。
「承知の上だ。24時間寝る暇など無い。だが、やらなくてはならん。香村、全力で当たれ。」
若いくせに表情を改めると途端に厳しい顔つきになる秋月中尉に思わず敬礼してやっと気付いた。
香村を名指しでの命令だと云う事に。
「あの人は何故実力を出し切らないんでしょう。技術も知識も戦闘能力もおそらく相当なレベルに在る筈ですが。」
「好みの問題だな。奴は此処が好きなんだ。」
「確かに。だがもう知られてしまった。奴等に包囲網を敷かれた以上逃げ場は無い。俺達に出来るのは切り売りを避けさせてやる事ぐらいだ。」
「あぁぁ・・きっと怒りますよ。矛先は絶対俺に向けられるんだ。」
「仕方が在りません。言いだしっぺですから甘んじて下さい。」
「人事だと思って。俺が黙って餌食になると思うなよ。」
「泣こうが喚こうが黙ろうが餌食に変わりは無いだろう。俺や高任には遠慮があるし、お前しか居ないのは端から判っていた事だ。」
「彼等も手加減は無いでしょうね。」
「そんなに甘い奴等じゃねぇなぁ。幾ら咽喉から手が出るほど欲しくても、だからこそ全力で掛かって来る筈だ。」
「気の毒に。俺がもっと早く着任して居ればもう少し何とかなったものの。」
「仕方が無い、これが限界ギリのバックアップだ。これをもぎ取るのにどれほど苦労した事か。」
「一軍曹に掛ける期待にしては大き過ぎますが、香村軍曹ならば・・・」
「出来ると思わなきゃこんな話は持ち掛けないさ。俺の同期を舐めんなよ。」
「内藤! 左だ、廻せ-!!」
「抑えろ! 撃てっ、撃て!」
「軍曹っ、高野一士被弾!」
「退げろ! 橋本代われ!」
訓練は激しさを増すばかりだった。
朝からすでに八時間、撃って走って怒鳴り続けていた。
常に先頭に立つ香村は部下を叱咤しながらも的確な指示を出し続けている。
このひと月訓練をつけて来た西神がハードルを上げたせいか、香村の采配にも遅れずにピタリと着いてくる。
やりやすい事この上ないが。
(くそっ、悔しいやら嬉しいやら・・)
此処まで持って来れなかった、伸ばしてやれなかった自分の力量不足を罵りながらも香村は広げた戦線を畳み始めた。
「軍曹、少し良いですか。」
春の盛りから初夏へと変わる陽が沈みかけた頃、訓練を終えた香村に声を掛けたのは戦闘隊長の内藤と、場造りメインで展開する工兵隊長の南田だった。
片付けを後に任せて香村は向き直った。
「良い動きだったな。一曹のレベルに引き上げて貰えるなら今後も安心だ。」
落ち着いた香村の声に内藤と南田は思わず顔を見合わせる。
「悪かったな、人不足を言い訳にしてお前達を・・・投げた訳じゃ無いんだが、結局は同じ事だ。今日の訓練で思い知らされた。」
人を育てる才覚に欠ける、とはっきりした自覚があった。
西神との差を此処まであからさまにされると憤る事も出来ない。
これが階級の差かと自戒する香村に内藤は首を傾げ呟くように告げた。
「いや、俺達の手抜きですよ。」
眼を上げた香村に南田も続けた。
「すいません。軍曹を舐めてた訳じゃないんですが、甘えていたのは確かです。西神一曹の檄は堪えた。」
「檄?」
尋ねた香村に内藤が苦笑した。
「聴かんで下さい。良い大人が恥ずかしいばかりです。」
西神が何を云ったかは知らないが言葉一つで変わる訳も無いし、何にしても動けるならそれにこした事は無かった。
「明日は富士だな。今回はきついぞ。」
「うちが主役を張るなんて初めてじゃないですか。」
南田が何処か呆れたように云えば内藤も肩を竦めた。
「日頃は小間使い並みの仕事しか出来ない60人の弱小部隊が、24時間通すなら後は意地ぐらいしかないでしょう。終われば当然潰れるだろうし、だから今のうちにこれだけは云わせて下さい。」
二人の表情と共に急に空気が張り詰めた。
「香村将史軍曹、俺達は貴方でなきゃ駄目なんです。高任二曹も西神一曹も秋月中尉も確かに良い。だがそれは貴方が居てこその話だ。」
立ち尽くした香村に南田も真顔で続けた。
「一番下っ端の部下まで掌握してるのはあんただけだ。
俺らはあんたと離れる気は無い、それを忘れんで下さい。」
いったい何をと云いかけた香村に、
「それだけですよ。」
軽い敬礼で二人は向きを変えた。
転属が掛かる可能性は無くは無い。
むしろ立川連隊に居続ける事こそが異常なのだ。
だが昇格と引き換えにしても香村は特区を選べる限り選んで来た。
それほど好きな部署だったし自分に合っていると思っている。
与えられた重複する任務に能力の限りをぶつける事が出来るのは特区ならではだが・・・
(・・・だがなぁ・・お前らも無茶を云う。)
まるで惚れた相手に云うような台詞を残して、去っていく背中を見て僅かに笑った。
転属が掛かれば否応も無い。
まさか連れて行く訳にもゆくまい・・・60人もポケットには入らない。
ところが開けて翌日、広大な富士演習場に到着した香村は何処かに確かに在った筈の気掛りなど宇宙の果てまでぶっ飛ばしてしまった。
「・今・・何て仰いましたか?」
聞き返したのはこれで三回目、さすがに秋月中尉もうんざりと答えた。
「だから、今回の演習は俺達は不参加だ。今回はお前達の実力を測る為だけに構成されている。」
秋月中尉の左右に、まるで助さん格さんの様に控えている西神一曹と高任二曹は表情ひとつ変えず香村を見つめていた。
「出来ないとは言わさんぞ、軍曹。」
出来るも出来ないも無い。やれと云うならそれは命令だ。
「了解しました。」
膨れ上がった感情をねじ伏せて、香村は鋭い敬礼をすると踵を返して野戦司令部を出て行った。
「あぁ、怒りましたねぇ。」
西神の言葉に高任も、
「背中だけでも判ります。良く怒鳴らなかったものだ。」
「見たか? あの眼。良い眼つきしやがるなぁ。」
堪えきれない様にククッと秋月が笑う。
「初めてだぜ、俺にあんな眼ぇ向けたのは。」
「中尉、後でもっと見れますよ。今回の意図が判ったら射殺すほどのガン呉れます、確実に。」
そいつは楽しみだと笑う男から、西神は視線を同期の背中に移した。
(頑張れよ、と云うまでも無いか。)
「軍曹、今回はST弾じゃないです。PTで装備を作る様に通達が来ました!」
「ペイントだと? 敵対勢力がいると云う事か。何処の奴等だ?」
「不明です。秋月中尉達は?」
「・・・あの三人は不参加だ。」
黙り込んだ内藤と南田、士長格の分隊長たちが顔を見合わせる。
気持ちは良く解かるぜと思いながら、
「準備は?」
「完了しました。」
香村が黙って装備一式を着け始めると、その表情で察したのか全隊員が周囲を囲んだ。
弾帯に背嚢。
ヘルメットを被り、サバイバルナイフを落し込む。
小銃を手にして初めて眼を向けた。
「敵は不明、うちは上官三人が不参加。これは俺達に対して喧嘩を売ったとしか言いようがない。」
全員の顔を眺めた。
「買ってやろうじゃねえかぁ!!」
腹の底から振り絞った声に応えたのは、
ゥワアアアアッッ!!!
まるで怒号の様な返事を突き抜けて香村が叫ぶ。
「気合入れてけ! 死ぬ気で行け! 敵をぶっ倒せ!!」
声にならない雄叫びが繰り返される。
完全にテンションを揚げながらも香村の頭の一部は冷え切っていた。
これは実戦時、特に激戦になった状況下で訪れる感覚だった。
一切の感情を切り捨てる。
視覚、聴覚と五感以外の何かが捉えた情報が一瞬にして命令となって下される。
その異常な速さは意識的に抑えなくては部下達には通用しなかった。
今までは。
「全力で行くぞ。」
内藤たちが力強く、だが無言で頷いた。




