out of standard Ⅰ
ハルが欧州に発って幾つかの案件を処理した頃、ダンテは久しぶりの来訪者を迎えていた。
数年前のレンジャー教習でバディとなった西神曹長は一般兵員の中でも実に優秀で、時折手を借りている。
もっとも連隊が異なるお蔭でG倶楽部のゴリ押しはそう度々とはいかなかったが。
「面白い同期が居るんですよ。」
そう云いながらも何処か迷っているように見えるのは気のせいなのだろうか。
続きを促したダンテにやはり躊躇いながら西神は続けた。
「・・・立川連隊の特区、知って居るでしょう。」
意外な名前が出て来た。
「勿論、知って居るが・・・特別区域専門部隊か。確か、いま部隊長が居ない状態の筈だな。」
「ええ。見ているのは軍曹が独りだけです。香村将史とは初年兵時代からの付き合いです。」
それで、と男は続けた。
「変わり者です。余程特区が良いようで昇進も蹴って居続けていて・・・蹴ると云うより忙しくて受ける暇が無いそうですが。部隊としては60人程の小さなものですが、その守備範囲は広く、工兵部隊から戦闘部隊、特筆すべきは畳み方ですかね。実に的確な撤退を見せてくれます。」
「直接絡んだのか。」
「以前一度だけ演習でぶつかりました。俺が見る限りですが、あれは総てと云って良い程香村の仕事ですね。奴の頭は複数を一度に処理できるようです。自分の思う通りに敵まで動かして居る様だった。」
「面白いじゃないか。」
割り込んだ声はフレア。横には当然モクも並んでいる。
「ダンテ、見て来い。お前が潜る価値が有るか自分の眼で確認しろ。」
低いモクの声にダンテは頷いた。
「承知。」
なるほど、これは面白い。とダンテは通常作業着の帽子の下で微笑んだ。
西神の云った通り指揮を執る軍曹は矢継ぎ早に指示を出し続けている。
およそ無関係な指示が最終的にはキーポイントとなる場面をこうまで見せつけられると、ダンテの純粋な兵士としての興味をも引きつけた。
隊員がもっと動けるならあの軍曹はどれほどの力を出せるのだろうか。
時折見せる焦れた表情が印象に残った。
特区の訓練を三日続けて見た後、帰って来たダンテはロブとモク、ナイトとフレアに現状を報告した。
「解かった。潜り込んで調べてみろ。」
ロブに続いてモクが告げた。
「取り込めるならそれが一番良い。その間に俺達も別の手を打って置こう。」
日本陸軍における最精鋭は、軍隊として直された後の第九期生から立ち上がったG倶楽部である事は周知の事実だったが、だがそれはあくまでも裏組織であり公にはされてはいない。
公にされている精鋭部隊は空挺、レンジャー、機甲化etc。
それぞれの徽章を取る事が、制服の胸に飾れる事が、どれほどの誉れかは軍人ならば知らない者は居ない。
ましてや重複して付けられるなら階級が幾つか下であっても扱いは大きく変わる。
それが例えお手伝い部隊と揶揄される部隊の兵士であったとしても・・・
「香村ぁ、西神曹長は何時来るんだぁ。」
その日の午前中だけで香村軍曹は既に五回、同じ質問を受け同じ答えを告げていたのですっかり投げやりに答えてしまった。
「煩せぇな、1300時到着予定だって。」
振り返りもしないで言い放つとついでの様に罵った。
「お前らは何回言っても覚えやしねえ。そんな馬鹿だから昇任試験も受かんねぇんだ。少しは西神を見習えよ。」
「ほほう、俺が曹長を見習うのか。」
香村軍曹の動きがピタリと止まった。
しまった。
山の様な仕事に追われて適当に答えていた自分をめちゃくちゃ後悔しまくったが時すでに遅し。
嫌々振り返った香村の前には、ふたつき前に着任したばかりの秋月中尉がにこやかに立っていた。
「まさか軍曹ごときに曹長ごときを見習えと説教されるとは思わなかったなぁ。」
「し、失礼しました。隊の馬鹿どもかと・・・声がお若くて・・あ、いや・・・・・ごめんなさい。」
確かに秋月中尉は若かったがそれが良い訳にはならない。
下士官から士官への言動では在り得ない以上は懲罰必死。
覚悟を決めて背を伸ばすと、それを見て秋月がまた笑った。
「まぁ良い、西神曹長と同時に高任二等曹長が着任する予定だ。無事に連れて来い。」
「はっ!」
精一杯の敬礼をすると、若いせいか甘い士官で助かったと冷や汗を拭いながら香村は向きを変えた。
煩い士官ならとても半日では終わらない。
長引けば三日四日は引きずるだろう案件を、歯牙にも掛けずに畳んだ上官に感謝しながら同期の曹長を迎えに走り出した。
香村軍曹と同期でありながら西神は一等曹長職を拝命している。
どう見てもいい加減、適当でやる気無し。女好きでオチャラけた遊び人だが兵士としての腕はトップクラス。
下手を打てばG倶楽部からも誘われ兼ねない高いレベルに在る。
初年兵時代からの付き合いで在ったがこの六年は顔を合わせる事は無かった。
立川連隊に居続けの香村と異なり西神は幾つかの転属で動き回り、久しぶりの古巣への帰還となったのである。
(いつの間にか先を越されたなぁ。)
香村が遅い訳ではない。西神が順調すぎるのだ。
あれほど適当な男のくせに抑えるべきはキッチリ抑え、締めるべきはガッツリ締める性格は、初年兵時代から一つも変わって居なかった。
羨ましい訳では無かったし、同期の中では気も合う奴の着任が嬉しい。
その香村が連隊司令部前に着くとなにやら人だかりが在った。
「何だぁ。」
首を突っ込んだ香村に気安い声が掛かる。
「西神だぜ、厄介もんが帰ってきやがった。」
確かに厄介者だ。
着任早々ガキ相手にタイマン張る奴なんぞそうは居ない。
溜息を吐いて香村は睨みあう同期に近付いた。が、踏み出した脚が止る。
香村に背中を向けたチビガキの手が不意に伸び、腰の入った見事なストレートパンチが西神の左頬にヒットしたのだ。
(あらら、嘘だろ。)
一見細身に見える西神だが、通常軍服の下の身体が鍛えこまれた物であることは香村でなくとも知って居る。
小僧ごときのパンチで揺らぐ筈も無いのだがその脚が動いた。
しかも香村が知る限り黙って殴られてる男では無い西神が眼を細めて相手をただ見下ろしているとは・・・その視線が動いた。
一歩前に出た形で立つ香村を捉えると僅かに片頬が緩む。
やれやれだ、だいぶ丸くなりやがったと苦笑しながら香村は声を掛けた。
「西神一曹、大丈夫ですか。」
世間知らずのガキに立場の違いを教えなくてはならない。
おそらくは初年兵が迷い出て来たのだろうと見下ろした視線が流れて・・・戻る。
(・・・・?)
まじまじと凝視した香村の耳に届いたのは。
「あれは西園寺か?」
「習志野の西園寺だぜ、なんで?」
「移動か、転属が掛かったんか。」
「まさか・・・出すか?西園寺を。」
香村でも聞いた事は在る。
習志野師団の西園寺二曹は実物を知らずとも超有名人だった。
全くあるまじき事に技能に優れ、頭脳明晰、冷静沈着、容姿端麗にして眉目秀麗。
徽章を三つも持っている弱冠22歳の女性兵士。
-あるまじき事-が何処に繋ってもおかしくない習志野師団の至宝だが、初年兵時代を別にすればその姿は表に出されていない。
配属を受けた時点で追い掛け回す広報を殴り倒して撃沈して以来、誰もカメラを向ける事が出来無かったと聞く。
香村の視線の先には確かに異常に鋭い眼差しを向ける呆れ返るほどの美貌が立っていた。
だが。
「一身上の都合で苗字が変わった。今は西園寺では無い。今後は高任と呼んで戴こう。」
女にしては低い、だが何処か冷厳とした声が朗々と周囲を押さえて響いた。
(・・・高任・・二曹・・・・か。)
「ええっ! 西園寺って結婚したの?」
「うっそ、もったいねぇ!」
「何処の野郎だ。夜毎あんな事や、こんな事を・・・」
「・・・う、う、羨ましい・・・」
隊の野郎共の嘆きを聴きながら香村は首を傾げた。
結婚した女には見えないと云ったらおかしいだろうか。
結婚以前に男が出来ればどんな女でも柔らかくなる。
表情も仕草も何処かしら艶めいて見える物なのだが、西園寺、いや高任にそれは感じられなかった。
圧倒的な美貌とは裏腹に異常なほどの鋭い眼差し、硬質な声音、兵士の見本のような律動的かつ直進的な動作。
あの状態でお床に入られたら俺なら腰が引けるぞ、と関係も無いのにげんなりした。
無事に連れて来いと云われながら目撃した瞬間のパンチは、した側もされた側も消去したらしく、見た側としては実に幸いだったし、隊長室からは和やかな会話の断片が漏れてきて顔合わせが無事に済んだ様でこれも有難い。
たったふたつきの新任中尉と、何処をどう見ても真っ当では無い一等曹長、曰く有り気な二等曹長と三拍子揃った胡散臭さは実にこの特別区域専門部隊、特区には似合いだろうが、実務を取り仕切って来た香村軍曹の肩の荷はおそらくは増えこそすれ減る事は無いだろう。
それは今までの経験と感、そして本能が捉えていた。
後は出来る限り穏便に、事無く平和に問題無く行くように祈るしかない。
「気を付け!」
隊長室のドアが開くと同時の声に全員が不動の姿勢を取った。
「知って居る者もいると思うが改めて紹介しておこう。本日付けで着任した西神一等曹長と高任二等曹長だ。」
秋月中尉の声に香村軍曹以下の敬礼は綺麗に決まった。
「西神曹長には古巣だが高任二曹は初めての転属だ。慣れるまで香村軍曹、面倒見てやれ。」
勘弁してくれ、との内心はオクビにも見せず、
「了解しました。」
「宜しく頼む。」
やはり冷ややかな声が香村を突き刺した。
昼休みに続いて紹介を受けた分隊長クラスの下士官たちが午後の訓練に出かけると、事務所の仲は静まり返った。
残ったのは必要書類に眼を通す高任と横で補足する香村、デスクを使い勝手の良いようにつつく西神だけだった。
「それでこの部隊の仕事は何だ?」
真顔で聞かれたのは一時間が過ぎた頃、見返した香村に高任は生真面目に続けた。
「習志野には特別区域専門部隊と云う隊は無かったな。初めて聞いた名前だ。」
「・・・ええっと、二曹。知らないのに転属を受けたんですか?」
「此処しか無かったからな。」
「何がです?」
「空きが。」
黙り込んだ香村に西神が声を掛けた。
「香村ぁ、習志野が喜んで出す御人じゃないだろう。特区に行くぐらいなら転属願いを差し戻すと云わせたいが為の采配だ。知らないから計算が狂っただろうがな、向こうも。」
はぁー・・・下がった肩に駄目押し。
「習志野師団の温室で純正栽培された門外不出の薔薇だ。お預かり期間は瑕ひとつ付けるな。何かあったらこの部隊なんぞお取り潰しだ、任せたぞ。」
「・・・・・何時まで?」
「そりゃあ上が決める事だな。」
気持ち的には底なし沼に嵌まった感の香村に高任が尋ねた。
「で、何をする部隊だ?」
沈みゆく香村の頭を踏みつけるがごとくの声だった。
「ヘリと空挺、それと女性兵士初のレンジャー徽章まで持っている。立川連隊自慢のG倶楽部でも通用すると云われているが、まぁそれは無いな。習志野の身贔屓に過ぎない。」
下士官兵舎の香村の部屋で西神はそう云ってロックグラスを煽った。
「そうだな、実戦配備無しでよく此処まで来た物だが・・」
「あ――、遠慮しないで良いぜ、愚痴ぐらい聞いてやる。」
手にしたグラスを一気に煽って香村はタン!と叩きつけた。
「それじゃお望み通り明日にでもG倶楽部に放り込んでやる、そこなら文句も無いだろう!」
鼻息荒く言い切ったが。
「秋月中尉のレンジャーバディだぜ。」
素っ気なく西神が云い放った。
「因みに俺のバディも中尉だが。レンジャー指導教官としては最高の腕だしな。要は秋月中尉の声掛かりで揃えた面子だ。勝手に動かせると思うか?」
「何を企んでる。」
「さあ、それは中尉に聴いてくれ。お嬢様にお前を着けた、それにどんな意味が有るのか考えろよ。他に聴きたい事は?」
酷い仏頂面が驚くほど速やかに消える。
「昼間、何で殴られた?」
あぁ、あれな。と左頬を撫でながら苦笑する。
「結婚相手はホモか、インポかと聞いた。なかなか良いパンチだったが意味が判るまでの三分は掛かり過ぎだな。」
ニヤニヤと嗤いながら西神が立ち上がった。
「明日から実地訓練だな、頑張れよ。お前の代わりに下は見ておくから連中と俺の心配はするな。」
如何にも軽い声でお休みと告げて出て行く背中が消えてから、香村は長い長い溜息を吐いた。
馬鹿野郎が。
頼まれたってお前の心配なんかするものか。
それでもお世話係の建て前上香村が面倒を見るしかない。
大人しく事務所に座って居て呉れれば良いのだが、物珍しいのか部隊の装備点検からや訓練まで就いて来て香村を質問攻めにしていた。
「香村軍曹、これは何に使う?」
「市街地での戦闘は有りなのか?」
「工兵の仕事もするのか、香村軍曹も?。」
「それじゃまるで秘密工作員だな、スパイ活動も有りか。」
「香村軍曹・・・」
「二曹、頼みます。」
昼食時、下士官食堂で香村がキレた。
「飯ぐらいゆっくり喰わして下さい。」
延々と続く質問攻めの挙句、昼飯時まで費やしているんだから怒鳴らないだけましだと思って欲しい。
それに気付いたのか高任は僅かにたじろいだ様に黙ると頷いて黙々と食べ始めた。
向かいで同じように食べながら香村は何故だか居心地の悪い思いを感じていた。
「まさし。」
香村の左肩から振って来た柔らかい声は眼を上げるまでも無い。
この半年付き合っている瑛子がにこやかな笑顔を向けていた。
「おぉ。新顔とは上手くやってるかぁ。」
「うん、大丈夫。次の休みは何時になりそう?」
「さてな、判り次第メール入れる。悪いな。」
「いいよ、じゃぁね。」
高任にまでにっこりと笑顔を振りまいて出て行った。
香村が見る限り高任は我慢しているのだろう。
チラチラと香村に投げる視線は昨日の鋭さの欠片も無かったし、興味津々なのが丸判りだった。
「彼女ですよ。付き合って半年ほどだけど。」
好奇心を隠す術も無い。
純正栽培された温室の薔薇は香村の言葉に頷きながら何故だか頬を染めた。
不意に気付いた。
まだ子供なのだ。
西園寺は確か十八歳で入隊した筈だった。
日本の財閥で五本の指に入る西園寺家の末娘がどうして陸軍に入る気になったのかは判らないし、陸士大から士官コースを採らなかった訳も知らない。
だが縁が無い香村でさえも、習志野師団に西園寺が入隊したころの騒ぎは知っていた。
五年前の大騒ぎを。
通常ならば西園寺家の令嬢として華やかな日常を送る筈の女性である。
バックの大きさを考えたら一兵士としては扱える訳が無い。
実戦配備しなかった、いや出来なかった理由が察せられる。
訓練のみで過ごした丸四年は徽章を取るには都合が良かったのだろうが。
「プライベートだから答えなくても良いですが。」
食事の後、香村は缶コーヒーを手渡して外に誘った。
「貴方なら士官でも良かったと思いますが、何故下士官から始められたんですか。と云うより、何故軍に入ったのかがそもそも不思議ですね。」
細い指先がプルタブに似合わない気がして取り上げて開けて渡す。
「ご家族の反対は無かったんですか?」
「うん。私は西園寺の外に出来た子だから。」
香村の動きが止った。
それに気づきながらも低い声は続いた。
「愛人だった母が亡くなって父の、西園寺の家に引き取られたんだ。十四の時だった。勘違いするなよ、これは別に打ち明け話じゃない。誰でも知って居る話だ。」
缶コーヒーをコクリと飲んで、
「私が何をしようと西園寺家は興味が無いんだが、外はそうも行かないみたいで・・・西園寺の人間だから閉じ込めて呉れる。
西神曹長が云っただろう、温室育ちだと。
本当なら一人で生きて行けるようになりたくて入隊したはずだが否も応も無かった。
現実への認識が甘かったな。」
「だから転属を?」
答えは笑顔、何処か泣きそうな。
「昨年、西園寺家で唯一私の味方になって呉れた祖母が亡くなって、父の本妻やら義理の兄弟、親戚縁者から縁を切ってくれと云われて受けたんだ。二十歳も過ぎたし保護の対象から外れたから余計に急いだんだろう。相続問題など私には関係ないんだがな。ごたごたはしたけどそれでもやっと自由になった。」
だから名前が替ったのか。
「習志野も持て余していたんだろう。秋月中尉の声掛けに渡りに船で送り込まれた。
済まないな、軍曹には迷惑なだけだろうが私には・・・私は一人前の兵隊になりたいし、出来れば人生を仕切り直したい。」
躊躇うように詰まって出されなかった言葉を香村は正しく洞察した。
演習場の遥か向こうを見ながら呟いた。
「現場では命が掛かる、俺は上官でも手加減しませんよ。それで良いなら一人前にして差し上げますが?」
「・・・有り難う、頼む。」
初めての素の顔がそこに有った。
自分の甘さを苦々しく噛みしめながら、それでも放り出す事は出来ない性格が恨めしい。
西神辺りが知ったらここぞとばかりに皮肉をたたみ掛けるだろうが、家も家族も無い偏った小娘を突き放す強さを香村は持ち合わせて居なかった。




