チーズに託す
バルーのマークが消えた地点は、マカオの繁華街から外れた低所得者層の住む地域だった。
マークが消える事が死亡と直結するのは古参のG倶楽部員だけで、ダンテやリオウ達戦後のG倶楽部員は地下に潜ったとまずは考える。
地上のビルであれば屋内ならば今の技術で拾う事は可能だからだ。
当然ダンテはその地域の地下室と、地下道をG倶楽部からの情報で拾い出していた。
意識の有無に関わらずベースは開いているだろう。
チップをつけて居ないリオウでは無理だがダンテならば1㎞圏内なら探し出せる。
だが、地元の人間では無い二人には少々キツイ捜索となった。
繁華な場所なら幾らでも動きは取れるが、この地域では日中は不審な眼と、夜半は抑えられた犯罪の匂いに満ちている。
「リオウ、人を雇うぞ。」
ダンテの言葉にリオウはその意を悟った。
見事に化けおおせていると云ってもこの上なく純潔の中国人、そのリオウが金にモノを云わせて彼が信用できると見込んだ一人の少年を連れて来たのは二時間もしない夕暮れ時だった。
十四.五歳の、痩せて眼つきこそ悪いが落ち着いた物腰の彼は、自らを『麒麟』と名乗った。
「ほう、神獣の名を使うか。いい度胸だ。」
180㎝を優に超す二人に挟まれた少年は、フレアと大差ない身長でありながら怯む様子も無い。
「胡散臭い仕事には本名など使わないのが当然だろ。」
歳に似合わずふてぶてしい台詞を吐いて少年が笑った。
「で、あんた達は俺に何をさせたいんだ? 大概の事はするがベッドの相手はお断りだぜ。」
思わずダンテは笑ってしまった。
「安心しろ、俺も此奴もその気は無い。頼みたいのはこの地区の地下設備の捜索だ。」
「ああ、だとすると物じゃ無いな。人探しか。」
なかなか感が良い。
頷いたダンテにだが麒麟はにやりと笑って告げる。
「そいつは厳しいな。女なら売り飛ばされるし、野郎ならバラして売られる。
内蔵はことのほか高く売れるからな。」
ピクリとも動かない二人の顔を見ながら、
「俺の手下を使っても良いが金は倍だ。」
街の不良少年たちの手を使う事をリオウは懸念したが、ダンテからすれば短期で片付けたい。
木村祐一とバルーを掴み出せば良いだけならそう難しくは無い筈だった。
「良いだろう、今夜中に見つけられるなら三倍は出す。」
既に夕暮れがせまる中麒麟は狭苦しい街の中に紛れて行った。
「大丈夫ですかね。」
呟いたリオウにダンテは僅かに頷く。
「奴は金が欲しい様だ、それなら信用できる。大儀も信念も揺らぐ事は有るが端的な目的が有る方が人は裏切らない筈だ。勿論・・・諜報員なら別だが。」
諜報員が優しげに微笑んだ。
「ぜひ一度お目に掛かりたいですわ、母も姉もどれほど羨む事でしょう。」
月龍の話題に加賀見理恵は尽きない。
「このマカオにはおいで頂けないでしょうね。」
と、その眼を上げて『ホテル・インペリアル』の最上階にあるレストランを見渡した。
「此処でお食事が出来るとは思いもしませんでした。」
格調高い調度品、華やかでありながら気品に満ちた店内には、数組の客と控えめなウェーターが空気を動かす事無く行き来していた。
銀のカトラリー、白磁のプレートは最高級品。
当然それに飾られる料理は芸術である。
蒼龍はシャンパングラスを上げて微笑んだ。
「貴女がお望みならば呼ぶのは簡単だが・・・がっかりされるだろう。とてつもないじゃじゃ馬だから。」
ある意味真実だ。
だが、気品ある実に悠長な蒼龍の物腰にはキッドのじゃじゃ馬とは掛け離れた、何処か高貴な物腰を連想させた。
「まぁ、かえって素敵です。今でも眼に浮かびます、溌剌としたあのダンス。確か日本陸軍士官と踊られた夜会はどれほど憧れた事か。」
加賀見理恵の話題は月龍に執着していた。
蒼龍からすれば片腹痛いにも程が有る。
韓国諜報員は月龍が何処の国の人間で、何者であるかさえか完全に理解していると云う事だった。
それを承知した上で蒼龍に月龍を引っ張り出させようとしている。
李家と日本陸軍G倶楽部との繋がりを明確にする為の小賢しい策略。
良いとも、と蒼龍は内心で呟いた。望み通りにしてやろう。
年配のウェーターが小さな紙片を置いて去ると蒼龍は泡の立ち昇るグラスを置いた。
「月龍に会わせてさし上げるのは訳も無い。だが実はここでチェックメイトだ、キム・ヘギョン。彼らは二人ともこの手の中に在る。」
瞬間、加賀見理恵/キム・ヘギョンの両肩に手が掛けられた。
顔色を失った女性諜報員が振り払おうにもピクリとも動かない。
「・・・何を・・・蒼龍様・・・」
「案外往生際が悪いな。」
冷ややかな声が右手から聞こえ、その声の主が現われる。
キム・ヘギョンが眼を見開いた。
「待たせたな。私に逢いたかったのだろう?」
呆れるほどの美貌、煌めく双眸と眼を奪う唇。
艶やかな肌に年齢さえ超越したキッド/月龍が其処に立っていた。
「どうした? 私を呼んだだろう?」
嫋やかで優しげな声と裏腹にその眼は強い輝きを放つ。
「・・・・月龍・・・」
やっとの事で出された声に月龍は実に優しく微笑んだ。
「私達にちょっかいは出さない方が良い。韓国も大変だな。腕利きの美人情報員が居なくなると。」
キム・ヘギョンが蒼龍の手の者に連行されて行った後、彼は横に立つキッドと正面のキリ-に苦笑を向けた。
「久しぶりに会えて嬉しいのは確かだが、こんな事で二人掛とは思わなかったぞ。」
ウェーターが新たなテーブルセットを済ませるのを見ながら、キッドが実に嬉しそうに笑った。
「リオウの教育代金を徴収に来たんだ。旨い物を喰わせて貰うぞ。」
「リオウの教育と育成は立川連隊G倶楽部だろう。」
「何を云ってる。フェニックス基地に来た時には連携を教えたし、ちびやモクにも黙っててやったじゃないか。」
相変わらずの横柄さを輿入れ先の殿様は気にも掛けず悠長に微笑んで見ている。
この馬鹿夫婦が、と思いながら蒼龍は無駄な抵抗を試みた。
「何を云ってるはこっちの台詞だ。モクは知って居たぞ。」
「当然だろう、モクが切れ者なのは周知の事実だし、だいたいお前らの雰囲気もそっくりだ。解からない訳があるか。」
当然だった。
ダンテでさえ一目で判ったのだから。
「やれやれ、相変わらずだな。まぁ良い、好きなものを好きなだけ喰えば良い。」
蒼龍の言葉の前にすでに手が伸びていたが。
「蒼龍。」
「何だ。」
「これを喰って見ろ。」
「俺は腹が一杯だ。」
「良いから喰え。」
何でこんなに偉そうなんだか。と、手を伸ばして見た目はごく普通のチーズを口に運んだ。
「・・・・・なんだ・・・おい、これは・・・旨いな。」
蒼龍の眼の前で馬鹿夫婦がニンマリとほくそ笑んだ。
「実は商売も兼ねて来たんだ。」
「二年前、向こうから近づいて来た。」
木村祐一は疲れ切った表情でダンテに語った。
『ホテル・インペリアル』のペントハウスには二人とリオウ、バルーと麒麟が顔を突き合わせていた。
韓国三世の外交官、木村に接近してきた清楚な美人が彼に二重スパイの仕事を依頼したのは今回が初めてだと云う。
「上手く引っ掛ければ良かったんだが、どうも私にはその才能が乏しかったようだ。」
掛けた積りが反対にしてやられ拘束されて死ぬ覚悟までしたと云う。
バルーの捜査は的確で加賀見理恵の存在も自力で掴んでいてダンテ投入の要請まで行きかけた時に先手を打たれたと不機嫌そうに呟いた。
実際ダンテ達が雇ったマカオ不良少年グループの知らせに飛び込んだ時はギリの状況、ダンテとリオウ二人で片は付いたが場所としては最悪だった。
闇医者の地下倉庫なら解体して臓器を取り出すのなど訳も無い。
敵が韓国人であると知った麒麟の指示で少年たちも手を貸してくれ、何とか救出できたと云った処だろう。
「ともかく無事に済んでよかった。木村さん。」
まだ蒼褪めた固い表情の外交官にダンテはいつも通りの穏やかな顔を向けた。
「貴方が出自を隠していたのは理解できるが却って拙い事になるぞ。貴方は今まで実に真面目に働いて来ている。
堂々と名乗れば良いんだ。
俺の先達で二世が居た。
彼は日本の為に、日本に生きる韓国人の母の為に、そして仲間である俺達の為に最後まで戦った。
身を盾に日本を護り抜いたんだ。貴方を知ろうとしない者など気にする事は無い、貴方を知る者が此処に居る。」
木村の表情が変わった。
「俺達は貴方を知って居る。貴方の勇気と愛国心とを知って居る。」
まるでスパンクを喰らったかのように木村祐一は眼を見開いた。
バルーが静かに続ける。
「だから一人で戦おうとするな、俺達はその為に居るんだ。
調整室に話を通せば俺達に繋がる。」
「あ、貴方方は・・・」
「秘密だ。」
ふっと緊張が解けた。
木村の肩に入っていた力が抜け表情も緩む。
「ありがとう。帰国したらその脚で総てを報告しよう。」
このまま帰国する木村と今度は護衛役となったバルーを送ってリオウが出ると、室内にはダンテと麒麟の二人だけとなった。
「助かった。これが約束の報酬と・・・これは俺からの気持ちだ。」
彼は黙って受け取るとその眼を上げた。
「やっぱりあんたは日本人か。金回りが良い筈だな。」
思わず苦笑した。
「俺は金持ちじゃないさ。だが、お前の働きはこれだけの価値が在った。今回はお前達に助けられたよ。」
僅かに頷いた麒麟が躊躇うように眼を上げる。
「聞きたい事が有る。」
首を傾げたダンテに少年は思い切った様に尋ねた。
「日本の医者は高いのか?」
「病気にも依るな。」
「脚・・・長さが違うんだ。びっこを引いてて、歩くと痛みが有る。」
「誰だ?」
「妹。もうすぐ十二歳になる。」
金を欲したのは治療の為だったのかと、得心した。
「調べてみよう。連絡先を教えろ。」
ダンテ個人で多少の援助はして遣れる。多分バルーとリオウも手を貸してくれるだろう、と考えながら麒麟を送り出した処に蒼龍と・・・キリ-、キッドが現われた。
「・・・・まったく神出鬼没だな。」
呟いた男にキッドが笑った。
「良かったな片付いて。」
云いながら小さな箱を手渡す。
「やっと出来た。製品化した第一号だ。」
水色の縁取りの綺麗な茶色の箱には飾り文字でダンテの名が入っている。
自分の名に首を傾げてリボンを解くと中に入っていたのは三種類のチーズ。
サントスのチーズだった。
「どうしてもお前の名前を入れたいとゴネやがった。」
ニヤニヤと笑うキッドにキリ-が続けた。
「総てお前のお蔭だと云っていた。フェニックス基地で働けるのも、チーズを造れるのも、だからお前の名前に拘ったようだな。」
「・・・俺は・・・・何もしてないじゃないか。」
一瞬声を失ったダンテが何かを吐き出す様に続けた。
「フェニックス基地がサントスを救った。フレアや貴方たちが手を伸ばしたんだ。俺は、何にもして居ないのに。」
実際の話、サントスを助けて此処までにしたのはフェニックス基地のG倶楽部達だ。
それなのにたまたまそこに居合わせただけの男に何の恩義を感じるんだ。
呆然と小箱を見つめるダンテの耳に低く落ち着いた声が掛かった。
「その男にはお前が必要だったのだろう。
誰も換われないほどの印象が有ったと云う事だな。
ならばお前がする事は一つだけだ、すべて受け止めてやれ。」
上げた視線は蒼龍とぶつかった。
「長い人生にはおかしな事も多くある。
お前にはさしたるものでは無くても相手には人生が変わるほどの瞬間も有ると云う事だ。」
深い声にダンテは何拍かおいて頷いた。
「そうか・・・それなら、俺はサントスの今後を祈ってやろう。
どうやら出来るのはそんな事ぐらいだから。」
動乱の時代を生き抜いてきた年長者達は、まだ若い後輩に優しい眼を向けていた。
帰国したダンテが報告を済ませると思った通りに喰いついたのはフレアだった。
「麒麟の妹を何とかしてやりたいな。」
十二歳の幼い少女は救う事の出来なかったサントスの妹、ターニャとダブってしまう。
「ああ、お前ならそう云うと思ったから、李家に頼んで来た。病院は俺が調べて蒼龍に知らせる心算だ。」
ダンテの言葉に思いがけない程の笑顔が返された。
「手が速くなったなぁ。少しは使えるようになったじゃないか。」
相変わらず遠慮のない口だが始めて有った頃よりは優しく感じる。
表情も柔らかくなったし、何より綺麗になった。
惚れた男を追いかけて、その為に遠い日本にやって来た可愛いフレアを、モクは当然優しい眼で見ていた。
「病院が決まったら二人とも呼んでやれば良い、俺達も協力しよう。」
とその一つしかない眼をダンテに向けた。
「木村祐一はG倶楽部の援護で今まで同様の位置をキープしている。
暫くは居心地が悪いかも知れんが、それも配慮して欧州担当になる様に進言して在る。
ディランが見てやれば外務省も安心するだろう。」
ああ。やはり敵わない。
ひとつの事案の総て、ありとあらゆる細部まで手を打つ事ははっきり言って今のダンテには出来そうも無い。
やはり華の九期生はそれだけの深い経験と洞察力に富んでいる。
何時かは追いつくことが出来るのだろうか。




