phoenix にて
「ほう、やっと真面な奴が来たな。」
ダンテの前に立っていたのは、呆れ返るほど華やかな美貌を誇るフェニックス基地G倶楽部第二戦闘兵士キッド。
情報としては聞いていたが実物は当然初めてだった。
「研修期間は私が担当する、宜しくな。」
手を出されてダンテは舞い上がる内心を押さえて僅かに微笑んだ。
「此方こそ宜しくお願いします。」
まず驚いたのがフェニックス基地のレベルの高さだった。
格闘訓練から戦闘訓練、徒手から始まってナイフ、小太刀、棍に至るすべての武器暗器を叩き込まれる。
キリ-は確かにとてつもない腕だし今のダンテには到底歯が立たない。
フェニックス基地の司令のキリ-は確かに一見穏やかに見えるが、その眼の中には強い光が在ったし、訓練では決して気を抜く事は無かった。
だが、だからキッドで良かったと云う気持ちはあっという間に消滅した。
華やかな笑顔、比べようも無い美貌、煌めく瞳で彼女はダンテを叩き伏せた。
「どうしたダンテ? お前はG倶楽部員だろう?」
遠慮会釈の欠片も容赦も無い。と、その時は思った。
確かに思った。
叩きのめされて嘲る様に叱咤されて二週間、その二週間目。
フェニックス基地内で小規模な反乱が起こった。
メキシコ系不法入国者の若者が起こしたその反乱は時間にすれば僅かなものだったが、深刻な事態を招く事になった。
不穏な空気を感じ取った基地司令キリ-がキッドと共にパトロールに出た数時間後、日本陸軍立川連隊から研修に来た一兵士が捕われたのだ。
その朝ダンテは一日の休暇を言い渡された。
『今日は忙しくなりそうだ、お前はゆっくり休んで居ろ。』
そう告げてさっさとG倶楽部を後にするキッドの背中を見送ってダンテは憤然とした。
此処で休んで追いつく訳が無い。遥かに遠いとは言え同じ人間なのだ。キリ-はともかくキッドにすら手も届かないのは男として沽券に関わる。
細やかな物であったとしても。
とにかくやるだけはやらないと・・・一人で型を繰り返すダンテは集中する余り表の騒動を気にもしなかった。
気がついて無い訳では無い。
だが日本の空気感と此処フェニックス基地では緊迫度が全く異なる。
気づいた時にはG倶楽部内に見知らぬ同世代の男達が入り込んでいた。
多少の遠慮があったのは事実だった。
自分が知らないG倶楽部関係者も居る筈だし、よもや反乱暴動の類だとは思わなかったのも・・・
誰だと尋ねかけたその時、瞬く間に拘束されてダンテはマシンの奥に転がされた。
「此処を押さえればG倶楽部は壊滅だ、何としても俺達の要求を通すぞ。」
「日本軍に任せて置けない。此処はフェニックスだ。メキシコの領土だ。」
「アメリカが黙っているから日本が図に乗る、思い知らせてやれ。」
「こいつはG倶楽部だ、油断するなよ。」
ダンテに縄を掛けた一人に告げて三人は入口に陣取った。
真面な縛り方なら縄抜けは出来るが、その男はダンテの知らないロープ使いでガッチリと縛り上げていた。
無駄なあがきで体力を使う気も無いが、こうまで簡単に拘束されたなら後々のキッドが何と云うかは聞くまでも無い。
参ったなと呟いて彼らの会話に耳を向けた。
どうやら最近フェニックス基地に入った不法入国者らしく、此処の決め事に対しての不満からの暴挙となったようだ。
「俺は牛の世話なんかしたく無い、何が悲しくて牛のクソまみれにならなきゃならない。」
「お前は牛でまだ良いじゃないか。俺は畑だぞ。日がな一日穿り返して草を抜いて、なのに真面な飯も喰えないんだ。」
「女も抱けないしな。」
「まったくだ、山ほど居るのに手も出せない生殺しだ。」
気炎を吐く三人に対してダンテの見張りをする男は黙ったままだった。
「変わった縛り方だな、キッチリ縛ってあるのに苦しくない。」
ごく低いダンテの言葉に男も同じ低い声で答えた。
「苦しいとストレスで肉も乳も味が落ちるんだ。」
なるほど、俺は家畜並みか。
「お前も不満があるのか?」
困った様な表情で男は首を横に振った。
「俺には無い。だけど仲間だから・・・」
よくよく見れば体格の割に優しい顔をしている。
付き合いで巻き込まれたと云う処か。
ならば。
「暴動や反乱をG倶楽部は見逃さないぞ。フェニックス基地に不満が無いなら此処でやっていく事を考えた方が良い。働くのが嫌いな訳じゃ無いんだろう?」
穏やかで優しい顔を困った様に顰めて僅かに頷いた。
「俺はダンテだ、お前は?」
「・・・サントス。なぁ・・・許してくれるかな、こんな騒ぎを起こしても。」
如何にも気弱に呟いた時ドアが開いた。
立っていたのは子供。それも十四.五歳の女の子だった。
拙い。と思った瞬間声が出た。
「逃げろ!」
だが、男達も動きが速い。少女の腕を掴んで引きずり込む。
「女だぜ!」
「ガキだが確かに女だ。」
騒ぐ男達を横目で睨んでダンテはサントスに囁いた。
「縄を解け。」
サントスの手は既に縄に掛かっていたが、何かが倒れる重い音に顔を上げた二人の前に歩み寄ったのは少女だった。
倒れたのは三人の男達。眼を離した一瞬でケリを着けたのは・・・少女だった。
「お前、誰だ?」
酷く怜悧な声が首を傾げた少女から出される。
「・・・立川連隊のダンテだ。お前は?」
「フレア。そいつは奴等の仲間じゃないのか?」
「巻き込まれたらしい、お前を助けようと縄を外しかけた処だが・・・」
「助ける? お前がか。」
真顔で聞かれてダンテはカチンときた。
「女の子を助けるのは当然だろう。」
「ほぅ、それだけ見事に縛られてちゃ女の子の心配処じゃ無い筈だがな。」
ムッとしたダンテの顔に一睨み呉れて少女がサントスに向き直った。
「お前、此処に不満が在るのか?」
さり気無い問いだった。だがその問いに緊張したのはダンテだった。
答え如何でサントスのこの先が決まる。
まだ若い、恐らくはダンテとそうは変わらないだろうサントスは少し考えて眼を上げる。
「俺はどんな仕事でも文句を云う気は無い。出来れば家畜を扱いたいけど・・・此処は働けば飯を食わせて貰える。俺にすればこんな良いところは無いんだ。
今まではどんなに働いても真面な飯なんか喰えなかったし、やって行ける様なら妹も連れて来たいんだ。」
それは何の飾りも無い、実に率直な言葉だった。
黙って見つめるフレアに、
「サントスの縄は家畜にストレスを与えないぞ。俺が保証する。」
気のせいだろうか。厳しい表情が僅かに緩んだ。
「キッドに云って置こう。サントス、その喋る痩せ牛の縄を解いてやれ。」
言い捨てて出て行く背中は子供の物だったが、その口調は不遜極まりない。
その横柄で不遜の塊のようなガキがキリ-とキッドの娘だと知ったのはその夜、キリ-の自宅に招かれた晩餐の席の事だった。
「ちびは去年の春G倶楽部入りをしている。戦闘兵士としてもお前の先輩だな。」
キリ-の言葉にダンテは間抜けな顔を曝してしまった。
こんな幼い少女がG倶楽部・・・まして戦闘兵士とは。
「フェニックス基地では子供でもG倶楽部に入れるほど人が居ないのか?」
大人の二人が口を開く前にフレアが真顔で告げた。
「生意気な口は利くな。まして食卓で人に喧嘩を売るんじゃない。相手なら明日にでもしてやるから黙って喰って寝ろ。」
とことん横柄な言い草だったがキリ-もキッドも当然の様に笑うだけだった。
内心はムッとしながらも食べ始めるとキリ-が自慢するだけ有って確かに美味い料理の数々に驚いた。食材は宿舎の物と替らないのに味は最高に良い。
下手な料理人よりもキッドの腕の方が確かなようだ。
これほどの美人でこれほどの料理自慢ならどんな処でも嫁に行けるだろうに、キッドが選んだのはキリ-だったのかと思うと不思議だった。
やはりG倶楽部の繫がりは強い様だ。
フレアはダンテを気にもせずこのひと月の長期任務の話を繰り広げている。
聞くともなしに耳に入る会話にやがて箸が止った。
陸軍の正規部隊と共に転戦して上げた成果は完璧と云っても良い。
ただ・・・
「御幸ちゃんは詰めが甘いな。人が良すぎる。」
話の流れからだと陸軍フェニックス基地総監の太田大尉だろうが、それに応えたのはキリ-だった。
「御幸が甘いのは昔からだが、そのお蔭で俺達は護られてる。致し方ないだろう。」
同意したのはキッド。
「そうだな、御幸は頑張ってくれてるぞ。この十数年日本にも帰れないし、嫁の歩美も子供を連れて行ったり来たりだ。まあ、半分は楽しんでる様だがな。
そう云えば歩美の情報ではフェニックス基地土産は評判は良いがまだ売り物とまでは行かないらしい。 「小手先の細工物は減価償却にもならんな。特産を考えた方が金にはなる筈だ。」
キリ-の言葉にフレアが肩を竦めた。
「資金をつぎ込めるだけの価値の在る物は難しい。何しろ元手が乏しいのが痛い。」
「金と余裕の有る日本や欧州狙いだとそれなりの物でないと相手にもしてくれないしなぁ。」
キッドの嘆息交じりの言葉に二人も頷いた。
いつの間にか商売の話に変わってしまっている。
此処に居るのはG倶楽部の戦闘兵士四人の筈なのだがどうやらそれは二の次らしい。
G倶楽部の研修では無く商家の丁稚になった気がしてきた。
「ダンテ。何か言いたいのか?」
いきなり振られてむせてしまった。
「言っておくが緩い日本とフェニックス基地を一緒にはするなよ。此処は自然も立場も状況も厳しい処だ。お前の様な甘ちゃんが思うほど優しい場所じゃない。云いたい事が在るならそれを踏まえた上で云うんだな。」
造反した小僧共に踏ん縛られた現場を真面に見られたダンテとしては反論も出来ない。
肩を竦めた男にフレアはふふんと鼻で笑った。
「母ちゃん、明日此奴を借りていいか?」
今度は肩を竦めるどころじゃ無い。
ギョッとしたダンテの前でキッドはにこやかに頷いた。
「ああ良いぞ、気に入ったか?」
「いや。気に喰わない。」
即答した挙句に続けた。
「とことん甘い男だ。だから此処の現実を教えておきたい。」
「何をしに何処へ行くんだ。」
やっと尋ねたダンテにフレアは冷然と告げた。
「心配するな。何が有ってもちゃんと守ってやる。」
荒野や山を歩くのは苦にはならない。
早朝から叩き起こされてなにやら重い背嚢を押し付けられても、軍人なら慣れた物だったし、軍装備からすれば軽い方だ。
ただ、ジープが有るのに何で使わないのかダンテには解からなかったが。
先を行くフレアはダンテの存在自体を忘れたかの様に脚を進めていた。
時折振り返って声を掛ける相手はダンテでは無くサントス。
どうやら彼の妹を連れに行くらしいが、入国手続きも無い完全な不法入国をする心算らしかった。
ダンテが驚いたのはフレアが不法入国ルートを熟知している事。
サントス達がやって来た道を綺麗にトレースしている様だった。
「三日も掛けて山越えはきついな。」
昼に休んだ時に呟いたフレアに頷いたのはサントスだった。
「ああ、だから妹は連れて来れなかったんだ。フェニックス基地の噂は聞いていたけどどんな処か判らなかったし。」
サントスの表情は昨日よりもずっと明るかった。
「ターニャはまだ十二歳だし、五人いた兄弟の中でたった一人生き残った妹なんだ。叔父さんに預けて来たけどこんなに速く迎えに行けるとは思わなかった。」
「一緒に来た仲間も碌なもんじゃ無かったしな。」
こればかりはフレアの言う通りだ。
あの馬鹿どもは今頃こき使われているに違いない。
『どんな場所にも生きて行く為にはルールが在る。それを守れない奴はその場所では暮らせないんだ。』
キッドは造反したガキ共にそう言ってフェニックス基地を出るか尋ねた。
ガキ共は残る事になったがアリスの監視下に置かれる事となった。
信用を取り戻すには相当な時間が掛かるだろうが、サントスはそれでも喜んで仲間の為に礼を云った。
『それでも俺の友達だ。ありがとう、やり直すチャンスをくれて。』
口が巧い訳じゃ無い、むしろ朴訥な言葉はだからこそ実直に響いた。
だからだろうか、フレアが自らサントスの妹、ターニャを迎えに行く気になったのは。
案外優しい処も有るとダンテはまだ幼い横顔を眺めた。
小さな顔は綺麗な輪郭。
一つ一つのパーツはキッドほど派手ではないが確かにその美貌は受け継がれている。
睨む様なまなざしの強さを消せばもっと可愛らしくなるものを・・・・
「何を見ている。」
だから睨むなって。
「いや、車を使えばターニャも楽だろうと思って。」
男の言葉にフレアは頷いた。
「そうだな、だが不法入国者を迎えに行くのに基地の手は借りられないんだ。来る者は拒まないがわざわざ行くのは本当ならご法度なんだよ。」
済まないな、とサントスに云いながら立ち上がった。
「国境なんて無くなれば良いんだが。」
「そんな・・・気にしないでくれ。俺は受け入れてもらえるだけで嬉しいんだから。」
サントスの重い口がこの小旅行の間にほぐれたのか、ぽつぽつと噛みしめる様に話し出した。
二親は三年前の流行り病で亡くなり、五人兄弟の中三人も飢えと病で先を急ぐように死んだ事。
隣に住む叔父夫婦に幼い妹を預けるのに、かき集めた現金と唯一の財産の牛を渡した事。
働く事は厭わないがどんなに働いても一日一回の食事ではさすがに身が持たないと苦笑し、だがなによりも妹の手が荒れて皹だらけなのを見るのが悲しいと呟いた。
ダンテには言葉も無かった。
フェニックス基地には今現在百名近い不法入国者がいる。
産まれた馴染のある土地を離れ、異国人の中に暮らす事は辛いだろう。
フェニックス基地でさえも決していい暮らしが出来る訳では無い。
例え子供であっても畜産や畑にと大人に混ざって十歳前後から働くし、呑気に遊んでいる子供など居なかった。
サントスはそれでも良いと云う。
毎日の飯があり、医者が居る。
子供たちには学校さえあるのだからと。
緩い日本と此処は違うとフレアは云った。
確かに違う、違い過ぎる。此処は生きること自体が戦いなのだ。
野営をして三日目、サントスの生れた村に着いたのだが、そこに有ったのは焼け焦げた残骸だけだった。
ダンテの見る限り焼けて二週間は経っている。
呆然と立ち尽くすサントスに周囲を見て周ったフレアが告げた。
「山火事でも無い様だな。この付近に別の村が在るなら尋ねてみよう。避難して居るかも知れない。」
男の顔がやっと上げられた。
「この山の向こうに同じような村が在る。」
その村に望みを繋いで歩き出した男からフレアを見ると、ダンテはそれがどれほど儚い希望か理解した。
フレアの眼は暗い。
こんな事はおそらく限りなく有った筈だ。
病にしろ飢えにしろ諍いにしろ、人は理性を失くし恐慌に陥るとどんな非道な事でも平然と出来るようになる。
そしてやはり。
「サントスか・・・済まなかったな。伝染病でお前の村は全滅だった。墓も作ってやれんで気の毒をした。」
「焼いたのは判るだろう、俺達も家族は居る。」
村を束ねる村長の言葉にサントスは低く尋ねた。
「ターニャは・・・」
皺深い顔を見合わせて僅かに口ごもる。
「・・・・流行り病は体力の無いもんからやられる。」
膝から崩れ落ちた男を正視できず眼を背けたダンテに低い声が鞭の様に浴びせられた。
「眼を逸らすな。これが此処の現実だ。死んでも忘れないように記憶に刻み込んでおけ。」
「生きる事は奇跡なんだ。」
フェニックス基地の牧草地でダンテに呟いたのはフレア、では無くキッドだった。
「サントス達が此処に来なければ彼等も死んで居ただろうし、村の最後も知ら無かった筈だ。気付いたとて何が出来る訳でも無いのは確かだが。
抗生物質程度で治る病でもそれが無ければ一つの村が消えてしまう事なんか、此処では幾らでも有るんだよ。」
基地に帰還してもダンテの表情は晴れなかった。
サントスに辛い思いをさせただけの結果は、行き届いた生活しか知らない男をひどく落ち込ませていた。だからだろうか。
散歩と称して基地内パトロールに誘われての会話は、黄金色に輝く夕焼けの中で優しく響いた。
「人は簡単に死んでしまう。
こんな仕事をしているからこそ命の尊さは踏まえておかなくてはならない。」
暗殺まで含む戦闘兵士には似合わない言葉だと思いながらも、ダンテは何故だか納得していた。
「聞いて良いですか。この仕事、戦闘兵士と云う職種に躊躇いは無かったのかを。」
これ程の美貌を誇りながらキッドが何故軍人になったのか興味があったのは事実だったが、それに返されたのは思わぬほど率直な笑い声だった。
「私はサントス同様貧しい家で育った。喰いっ逸れの無い公務員を選んだだけだ。キリ-が担当伍長じゃ無ければG倶楽部にも入る事は無かった筈だが・・・さて、そうしたら今頃は何をして居たかな。」
言葉ほど真剣に考えても居ないような笑顔はやけに眩しく見えた。




