重い現実
「結局のんびり出来なかったな。」
その夜、モクの部屋でフレアが呟いたのはやはり左側だった。
フェニックス基地でも行く前同様に連日キリ-達と打ち合わせを続けていた事を云っているのだろう。
ミルク珈琲の入ったマグを渡しながら横に座ったモクに続けた。
「疲れただろ。いろいろ・・・悪かったな。」
何時に無いしおらしい顔が珍しくて見ていると、
「ほんとにあそこで云う羽目になるとは思わなかったんだ。他の連中には着いたその日にバレたけど。」
ああ、とモクは初日にホセの奇襲を受けた事を思い出した。
「あそこで見当もつかなかったのは俺が鈍いな、幾らキッド達と話し込んでいたとはいえ。」
「今までまったく気付かなかった?」
「懐かれたのは初めてじゃないし、陸短では最初は距離を取っていただろう。むしろハルだと思っていた。暁。」
声が真面目になる。
「俺はお前を好きだが、年齢差が在るのも事実だ。隣が嫌になったらそう云え。お前の為なら何でもしてやる、例え手を離す事でもな。」
フレアは真顔を向けた。
「今はそんな気は無いよ、やっと隣に来たんだから。」
モクの手がマグを取り上げてテーブルに置くとフレアの細い顎を捉える。
モクの優しいキスを受けながらフレアが囁いた。
「・・・当分は・・無さそう・・」
二週間のガードの特訓を終えると、警視庁SPの主任教育担当官山科警部がモクに一つの提案を申し入れて来た。
「彼女はあの人の娘ですね。調整室絡みなのは承知してますが、此方の依頼も受けて戴けると助かります。責任者の方に是非お伝えください。」
あの人がキッドである事は解かるが、畑違いの警察まではさすがのキッドでも手を伸ばしてはいない。
検討しておきましょうと応えながら、モクは当時のキリ-の気持ちが手に取る様に良く解かった。至る所からのオファーにさぞかし気が揉めただろう。
まして惚れた弱みか最近はいっそう綺麗に見えて困り返ってしまう。
アルバインには先乗りして宮内庁の専属SPと待ち構える中、皇太子ご夫妻が到着した。
式典には第一正装でご夫妻の後ろにつくが、それ以外では他のSP同様のダークスーツ。
防弾の上着の下の武器はコルトガバメントのチーフスペシャル。
フレアに至ってはキッド仕込のダガーと銀線をも身に着け万全の態勢で待ち構えていた。
フレアの読み通り、モクの指揮下で動く若手の二人に宮内庁の老練なSP達も一言もクレームを付けなかったが、それはおそらく先代御前の懐刀、キッドの影響も多分に有ったに違いない。
小国であるが故か、はたまたバックに李家がついて居た為か、戦争を無事に乗り切ったアルバート一世は長身の凛々しい国王だった。
『アルは可愛い弟子だった。』
今のアルは堂々と礼服を着こなし美しい花嫁の手を取り国民の歓声に応えている。
フレアとオリ-は皇太子夫妻の少し後ろに控えて油断なく気を配っていた。
一連の式典がつつがなく終わり、皇太子夫妻を無事に送り返した三人に非公式の招聘が有ったのは宿舎に戻ってからだった。
招かれた先はやはりささやかだが美しい城。
待って居たのはアルバート一世。
真っ直ぐにフレアを見つめて手を握った。
「キッドのお蔭でこうして生きています。どうか心からの感謝をお伝えください。そしてもう一つ、教えて貰った木登りの腕は多少落ちたとも。」
フレアがキッドの近況を幾つか披露して笑わせる。
国王の声は気持ちよく響いた。
アルバート一世はフレアに会う事を楽しみにしていたが、モクは九龍島は李家の珀龍との邂逅を待って居た。
逢ったのはただ一度、わずか数分。
幾つかの言葉のやり取りで確認が取れた事案でモクは十分満足していたが、それは相手の意向も有ってフレアにも黙っていた。
幸いな事にフレアは緊張度の高い任務中で気がつく事は無かったが。
アルバインからベルリンへの旅はキッドの時とは違い、何事も無く(銃で撃たれる事も、刺客に襲われる事も無く)辿り着いたが、迎えたDr佐和はともかく、古参のG倶楽部員ディランの如何にも憮然とした表情が何より可笑しかった。
「久しぶりだな、ディラン。ずいぶん大人になったようだが。」
皮肉たっぷりのモクに胡散臭そうな視線を呉れて、
「お前はまた分不相応に子供を誑し込んでるそうだな。そこまで行くともはや犯罪だぞ。」
「やかましい。誰かれなく手を出す奴に云われる覚えは無い。」
「俺が出すんじゃない、向こうが来るんだ。勝手にな。」
「見境無いのを人のせいにするな、年中さかりやがって。」
黙って聞いていたDr佐和がキレた。
「いい加減にしなさい! 後輩の前でみっともないでしょう。どちらにしたって二人ともいい歳なんだから。」
フレアとオリ-は遠慮なく爆笑して犬猿の仲のオヤジを嗤い倒していた。
「良い根性じゃないか、さすがモクの後輩だけ有る。名乗りもしないで先達を嗤うとはな。」
くすくすと笑いながらもオリ-は綺麗な敬礼を取った。
「失礼しました。戦闘兵士の卵、オリ-です。」
「卵じゃない雛だ、良い腕をしている。帰国したら私が戦闘訓練をつける予定だ。」
フレアの言葉にディランの眼が真面目になった。
「ほう、キリ-がべた褒めしていたオリ-か。キッドもダンテより良い腕だと云っていた。頑張れよ。モクには何も習わなくても良いからな。」
苦笑しながら頷いたオリ-からフレアに向かった。
「お前もなぁ、なにも好き好んでこんなオヤジなんか選ぶ事は無いだろう。ダンディーさで云えば俺の方がよっぽど上だろうに。」
「モクは禿て無いよ。」
一撃で撃沈したディランをここぞとばかりに笑ったのは当然モクだったが、あろう事かDr佐和までが笑い出した。
「何時までも過去の栄光を引きずるからよ。自信過剰な処は変わらないから落差で愕然とする羽目になるんだわ。」
Dr佐和が惚れたディランを追いかけてベルリンに乗り込んだ経緯を知って居るのはフレアとフェニックス基地の連中、そしてその眼で見ていたナイトだった。
「イヴから聴いたぞ。ジ-ンの胸ぐら掴んでディランの居場所を聞き出したらしいな。」
うふふ、と笑って軽くいなしたDr佐和に、そのディランがニヤリと笑う。
「だから言っただろう、向こうから来るんだ。」
なんと云ってもDr佐和が行くまでは死ぬ覚悟を固めていたディランだった。
その時点で既にバード、ハクが死んで居たし、ジ-ンとウルフ、コオが続くのは眼に見えていた。
それが判っていたからフェニックス基地に送り出そうとするディランに逆らって張り付いていたナイトだったが、銃声と爆音が轟く中、道の真ん中に立つDr佐和を見つけて腰が砕けるかと思ったと云った。
『女性には甘いディランだから良かったんでしょ、煤と埃にまみれたDrを見た途端、はっきり言ってディランは完全にG倶楽部なんか忘れてましたよ。』
それで良かったのだとモクは思った。
ひとつでも想いが残っているなら死に急ぐ事は無いと。
何一つ生きる理由が無かったこんな自分でも生きていたからこそ大事なものが出来た。どんな宝石よりもキラキラ輝く愛おしい存在が出来たのだから。
G倶楽部で培ってきた総ての力を振り絞って、ナイトと二人でDr佐和を護りフェニックス基地に辿り着いたディランをモクは心から尊敬する。
まかり間違っても絶対に口に出す事はないが。
近い内にハルを送る事と今後のG倶楽部の動向とを話して帰国する際、別れ際ディランが呟いた。
「生きていて呉れて良かったぜ。」
まるで独り言の様な言葉にモクも僅かに頷いただけだった。
「お互いにな。」
帰国すれば山のような仕事が待って居る。だがそれすら嬉しいのは何故だろう。
「モク、みんなが待ってるよ。」
暁の言葉に踏み出した脚が早まった。
「いったい何時からそんな事になったんだ。」
かなり長い時間黙り込んだダンテがやっと言ったのはそれだった。
初年兵担当の伏兵伍長を終わらせてG倶楽部に帰って来た彼を待って居たのは、歓迎の言葉でも労いの言葉でも無く、実は内心いたく気に入っているフレアからの、神とも思える華の九期生、G倶楽部創立メンバーのモクとのあっと驚く交際宣言だった。
「何時からも何も・・・私は四歳からだな。」
やけに真面目な表情で答えたフレアの傍にはゆったりと寛いだ風情のモクが当然の様にくっついている。
相変わらず落ち着いた物腰と、男のダンテから見ても端正な顔立ちは厳しさと柔らかさを見事に融合させていた。
将来はこんな男になりたいとさえ思った、そのモクがダンテに声を掛けた。
「大丈夫か、顔色が悪いぞ。」
大丈夫なわけが有るか、この不良中年が。とついさっきまでは神だった筈の遥か先達に心の中で毒づいたが、
「・・・・いや、ちょっと、少し、かなり驚いただけです。」
曖昧と云うかうやむやに言葉を濁しながらも多少の皮肉を含ませて返した彼に応えたのは。
「やっぱり大変だったんだな。父ちゃんもナイトもルウも・・・ああ、ディランも云ってたけど担当伍長は疲れるって。やりたがる馬鹿は母ちゃんぐらいだそうだ。」
全然違う。
「だが今回は楽だっただろう。お前達が初年兵だしそれ以外の対象は少なかったからな。」
完全に的を外した応答をしている親子的年齢差カップルからダンテは離れた。これ以上は付き合い切れない。
精神的なダメージによろけながら情報管理室に入るとトーイに仕込まれているエランとハルが顔を上げた。
年明けから欧州行が決まっているハルは最終的な追い込みに掛かっていた。
軍事外交官として立つ気でいるハルは、それ以外の細かな技術は渡欧前に叩き込んでおかなくてはならない。
ディランの下で完全な英才教育を受ける予定の男の顔は引き締まって見えた。
が、ダンテに向かうと、
「驚いただろ?」
ニンマリと笑う。
「驚くも何も・・・」
呆れ返って声も出ないと呟くダンテにトーイが目線を投げた。
「本当に男は迂闊そのものだな、ちょっと見ていれば解かるはずなのに。」
フレアの眼が常にモクに向けられていた事も、同じようにモクが何時もフレアを見ていたのもトーイは知って居た。
これはただ事では無いと思った矢先の出来事に、実はトーイも愕然とした事実を隠して大人らしい口ぶりで告げた。
「惚れた相手が何を見ているかなど冷静に観察すれば解かるはずだろう。だから詰めが甘いと云われるんだ。」
冷静この上ない言葉にダンテは真面目に嫌そうな顔をして見せた。
「手の早い親父だ。油断も隙も有ったもんじゃ無い。」
「フレアが告ったんだ。まぁ、モクもその気は有っただろうが。」
エランの言葉にハルが追い打ちを掛けた。
「四歳からの恋心だ。お互いに惚れてるなら仕方が無い。」
「仕方ないで済むのか、親子ほどの年齢差が有るのに。」
「キッドが承知している、当然キリ-もだ。だいたい恋心に年齢は関係ない。」
トーイの言葉にもう声も無いダンテであった。
そのモクが今では完全に立川連隊G倶楽部を仕切っている事実を知ったのはその日の午後だった。ロブの顔を立てている体を取ってはいるが、どう見てもモクとナイト、そしてアリスの三人が切り回していたし、当然フレアも絡んでいた。
その形にロブは怒るどころか安心している。
「俺としては救われてるんだ。G倶楽部を率いるのは俺には肩の荷が重いし、何か事が起こった時に責任を取る覚悟だけして居れば良いからな。」
ロブの言葉にダンテも頷いた。
ダンテがG倶楽部に入ってから数年、最初の研修でフェニックス基地に行って奈落の底に叩き込まれて以来幾度となくフェニックス基地のG倶楽部と組んで任務をこなしてきたが、やはりその差は歴然としていた。
フェニックス基地のG倶楽部。
其処には未だ最高と云われる腕を持つ戦闘兵士が揃っていて立川連隊のそれとはレベルが違っていたのだが・・・今ではフレアとアリスと・・・モクが入った事で本腰を入れた立て直しが出来るのだろう。
それならダンテとしても協力するにやぶさかでは無い。
不良中年であってもこればかりは致し方ないと覚悟を決めた。
そして確かに良い腕をしている。
ダンテが担当伍長をしていた間にモクは驚くべき実績を上げていたのだ。
以前フレアに被弾させたレインは狙撃の精度を格段に上達させていたし、デイルも見違えるほどの腕となっていた。
連携訓練で見せるモクの厳しい表情を見るフレアの嬉しそうな顔だけは如何ともしがたいが・・・
「さすがにスナイパー部隊は腕を上げたな、戦闘兵士もうかうかしてられないぞ。」
オリ-とリオウが苦笑した。
「それはもう。最近フレアがえらく気合が入ってるから。」
確かだった。
戦闘訓練に入るとフレアの表情は一変する。
オリ-とリオウの二人掛でも掌の一つも許さないし、その速さは尋常では無かった。
「・・・驚いたな。」
思わず呟いたダンテにモクが笑う。
「うかうかしてられないぞ、今のフレアは7/7で対している。オリ-もリオウも其処までの腕になったと云う事だ。」
自分の事の様に自慢げな男の言葉に、むかつく内心をぐっと堪えてダンテはナイトの元へ向かった。
おそらくナイトとアリスぐらいは彼の愚痴に付き合ってくれるだろう。が・・・
「こればかりは仕方が無い。まあ、モクの事だ。フレアが飽きるまでは恋人の振りをしてくれるだろうさ。」
大人なナイトだが、どうやら大人すぎて二人の感情が本物であることに気付いて居ない様だし、アリスに至っては端から問題にもしていない。
俺は知らないぞと思いながらダンテは一人でマシントレーニングに勤しむ事にした。
周囲の思惑がどうであれフレアとモクは時間や距離を互いに僅かずつ縮めている様だった。
初めてと云って良い幸せそうなフレアの表情を見ていると、それも有りかと多少気持ちが落ち着いてくる。
あんな顔を見るとは思わなかった。
だからだろうか、ダンテは少し昔を思い出していた。
それは彼がまだ二十一歳の頃。G倶楽部に上がって初めてフェニックス基地に研修に行った時の事だった。




