罠を張る
もう20年も昔の事を思い出したのはあの頃と同じ子供の顔で笑うフレア、キッドの娘の暁を見ていたからだろう。
「モク、寝てたのか?」
まったく此奴だけは遠慮の無い事だと内心でぼやきながら、モクは一つしかない眼を上げてフレアを見返した。
四つの頃に懐かれて以来その成長を楽しみにして来た事だけは絶対に悟られたくは無い。
他の誰に知られたとしてもこのガキだけには絶対にだ。
だから思わず仏頂面になった。
「起きてる。此処で寝る奴なんぞ居ないだろう。」
モクが伊達曹長と手ぐすね引いて待ち構えていた陸短に、とことんプロフィールを詐称して入学して来たのは二年と四か月前。
フェニックスのキリ-からナイト経由で知らされたのは氏名だけだったが、入学式のあの日、顔を見て思わず笑いを咬み殺すほど変わってなかった。
四歳児がただデカくなっただけの暁は何処で出逢ってもモクには判っただろう。
経験を積み、自信を持つにつれ段々クソガキになって行ったキッドとは異なり、暁は最初からクソガキだった。
もっとも、フェニックス基地でキャリアを積んだフレアとしたら当然ともいえるが。
今日はG倶楽部任官初日だったが、暁たちには既に馴染んだ場所だったからモクは気にもせずのどかに過去を振り返っていたのだが、それを捉まえて寝ていたとは良くも云った物だ。
「神崎達は良いとして、あれはどうだ。」
モクが視線で指したのは一般からの入隊者、伏兵伍長のダンテでさえも呆れる力量を持つ高城冬弥。
神崎並みの頭脳に及川張りの身体能力。
何処にでも使えそうな有能な二十歳の男だった。
だが、暁の答えはストレートでは無かった。
「変な奴だ。」
父親から受け継いだ怜悧さと、母親譲りの野生の感はこの暁の中で見事な調和を保っていたからモクは、ほほうと頷いた。
暁が変だと云うなら調べる価値は有りそうだ。
「エラ-に手を廻すか。」
ああ、と頷いてから暁は呟いた。
「敵じゃないと思う、味方とも限らないけど。」
「了解した。そのままで居ろ、こっちで調べる。」
云った処にモクの弟子、遠藤が嬉しそうな顔でやって来た。
こうして見るとまるで子犬のようにも見える。
「森田教官、これからもよろしくお願いします。」
「教官じゃないだろ。」
暁のツッコミに遠藤は嫌な顔をして見せる。
「云えねぇだろ、モ・・モ・・・」
真っ赤になった男の顔を見て暁はニンマリと笑った。
「此処はG倶楽部だ。本名は迂闊に出す物じゃないし、敬語も敬礼も必要無い。そう言った筈だ。」
気の毒に・・と、完全に遊ばれている遠藤に同情しながらモクは神崎と話す高城をじっくりと眺めた。
二十歳にしては恐ろしく落ち着いて、言動も冷静。
細身の長身は鍛えられていて格闘技の一つや二つは積んで居る筈だ。
そしてそれだけでは無い何か・・・モクには初見とも思えない既視感が引っ掛かる。
「だって無理だろ、お前は慣れてるから良いとしても。」
「励めよ、遠藤。」
「またいじられてるか、懲りないな遠藤は。」
及川がやって来て遠藤の越えられないハードルをあっさり飛び越した。
「モク、今度俺にも連携を教えてください。フレアが楽しそうで羨ましいから。」
「良いだろう、お前の脚はフレア並みだから二人で動く連携もやって置こう。後でロブとアリスに云って置く。」
嬉しそうな及川を睨んで遠藤が呟いた。
「俺だってスナイパーなのに、何でモ、モクばかり・・」
ブツブツと呟く遠藤達に招集が掛かった。
ナイトとルウに加えてアリスとモクもこの四月から正式に立川連隊G倶楽部所属となった。
喜んだのは当然立川連隊のG倶楽部員達、そしてフェニックス基地の面々と伊達曹長だった。
噂では唯一嫌な顔をしたのは欧州のディランだったそうだが、その決着はいずれ付ければ良いとモクは少しばかり楽しみにしている。
今現在の立川連隊G倶楽部のメンバーが居並ぶ中、四代目総帥のロブが新人たちの前に立つ。
「待って居たぞ、今期は七人もの新人が入った事で任務の幅が広がると思う。フェニックス基地に負けない様に鍛えてやるから覚悟して置け。」
担当伍長の任を拝命するダンテは居ないものの、狙撃手のレイン、情報管理のトーイ、捜査に強いバルー、ボム系のプロのシキと戦闘兵士見習いのヤック。
其処に同数の新人が雪崩れ込んだことでロブは単純に喜んでいた。
しかも今期は全くの新人と呼べるのは高城冬弥ただ一人、後の六人は陸短A倶楽部の二年生時からOJTを組み込んでガッツリ経験値を上げて在る。
単発とは言え既に海外任務さえ各自複数回こなして良く云えば場馴れした、悪く言えばふてぶてしい面子であった。
「高城、お前の腕ならすぐに追いつく。焦らずにやれよ。」
ナイトのフォローに高城は僅かに頷いた。
戦闘兵士アリスの手下に入るのはダンテ、ヤック、フレアと及川。
ナイト旗下にはバルー、シキ、山田、神崎。
銃火器専門のモクにはレイン、遠藤。
アリスの代わりにフェニックス基地に移動したルウこそ居なかったが情報管理のトーイには森が着いてロブは眼を高城に向けた。
「お前は引く手数多だ、選ばせてやろう。」
経験こそないがダンテ一押しと名高い高城は初年兵仲間にも、当然神崎達にも評判は良い。
高城が選んだのは、
「俺は戦闘兵士を希望します。」
酷く低い声で、だがはっきりと告げた。
「よし、ではアリスの指揮下に入れ。」
ポジションが決まるとマシントレーニングに入る。
そこから抜けたのはフレアだった。
ロブに呼ばれて情報室に入るとナイトとモクが揃っていた。
「木島調整室長からの呼び出しが入った。」
「何だ、やけに早いな。」
ロブは如何にも嫌そうな顔をフレアに向ける。
「正式入隊を待ちかねていたからな。まして初年兵訓練時には手を出せないから早々に来るとは思っていたんだが。」
「何時だって?」
「今日だ。1700時に第一正装で待てと云っていた。」
「せっかちな事だ。」
さすがに呆れた様なフレアにナイトが難しい表情を見せる。
「気を付けろよ。あそこのオーダーは面倒な物が多いから。」
「俺達もバックアップは考えておくが。」
ロブも眉間に皺を寄せて告げたがフレアはさして動じなかった。
「宮内庁絡みも有ると聞いた。そうなると此方では手を出さない方が良い。正装で行くとなればその可能性は高いだろう。」
「親子二代で十六花弁八重の菊花を授かるか。予算の為とは言えご苦労な事だな。」
モクのシニカルな笑いにフレアも同じように笑い返す。
「仕方が無い、先物取引でせしめたのは此方だ。せいぜい次を引き出すさ。」
陸短二年生に上がって直ぐ、フレアは木島第一調整室長に繋ぎを取り乗り込んだ。
キリ-とキッドの娘と云う立場だけでアポをもぎ取り、正式入隊後の契約を条件にフェニックス基地への予算をもぎ取った手腕は、もぎ取られた木島室長さえ思わず笑ってしまうほどキッドそっくりだった。
『そうか、キッドは生きてるのか、キリ-も・・・』
感慨深そうに呟いたがその情報を知らなかったのは木島だけでは無い。
実の処代替わりした立川連隊長も師団長も知らされてはいなかった。
帰国したのはモク、ナイト、ルウ。
フェニックス基地に在住するはエラ-とイヴ、そしてEUに移ったディランのみ。
戦闘兵士としてのキリ-とキッド、アリスは戦闘中行方不明としか報告されて居なかった。
『お前達が生きていると知れるとまた使われる。ジ-ンが何より懸念していた事だ。生存なんかは何時でも明かせるから今は表に出るな。』
ディランの言に従い、G倶楽部の情報はG倶楽部のみが握っていた。
だが、フレアが木島に繋ぎを取れば当然総ては明るみに出る。
木島はまじまじと幼い顔を見返して呟いた。
『ご両親に伝えてくれ。君たちの生還を心からお祝い申し上げると。そして、キッドに良く似た切れ味の鋭い娘を使わしてくれた事を感謝すると。』
さあこれで武器が手に入ったぞとはさすがの木島でも口には出さなかったが、笑んだ眼とその口調でフレアにはしっかりと感じ取れた。
詐称した履歴と学生の身から正式な入隊まで任務は先延ばしにされたが、予算だけは不思議と気前よく出して貰い、その額面から今後の使用頻度が如何に多いかが伺える。
早まったかな、と苦笑が浮かんだがフレアは既に腹を括っていた。
これで今年の冬は誰も餓えずに済むと思えば安い物だった。
フェニックス基地の実情を知って居るのはアリスとモクだけだった。
ナイトやロブにも告げる気は無い。それほど酷いとはおそらくは知らないだろうから・・
美々しい第一級軍礼装に身を包んだフレアとロブを珍しげに囲んだのは新人だけでは無かった。
「なるほど、こうして見るとさすがに似ているな。」
懐かしそうな表情でナイトとアリスが笑うほど、フレアの姿は当時のキッドに良く似ていた。
細身の背中を伸ばして真っ直ぐ立つ凛々しさも、目深にかぶった制帽の下にのぞく引き締まった表情も。
だが真っ白な手袋を嵌めながらフレアはフンと鼻で笑った。
「母ちゃんとは似てないさ、煽てなくても良い。」
「いや、良く似ている。」
低く告げたのはモク。
動きを止めたフレアに続けた。
「まだガキだったころのキッドにそっくりだ。まるっきり小僧丸出しだったからな。」
不審そうなフレアにそれ以上は云えなかったが、ナイトも知って居た。
ガキのキッドが思わず振り返るほど綺麗になった経緯を。
ああ、だから昔を思い出したのか、とモクは苦笑した。
いつかフレアにもそんな相手が現われる筈だ。
そして華のように美しく咲き誇るだろう。
そう思うと何故だか少しムッとしたが・・・
二人が出かけるとモクはトーイに云ってフェニックス基地に繋ぎを取った。
エラ-が腕によりをかけて仕込んだフェイクやトラップを回避できるのはそう何人も居ないし、長く複雑なコードを一定の手順で入力しないとG倶楽部、エラ-の元には繋がらない。
モクでさえ苦労するほど面倒な物で、だからこそ今までキッド達は護られて来たのだが、これからはもっと簡単にして貰わなくてはと思った矢先トーイが笑った。
「繋がりました。」
見ると既にモニターにエラ-の笑顔が映っている。
「早いな・・・元気か?」
ププッと吹き出してエラ-が応えた。
『こちらは皆元気ですよ。トラップを解除してコードNoのみで繋がる様にしたから、これで貴方でも扱えるだろう。』
貴方でも・・・確かにその通りだが。
「配慮に感謝する。」
チラリと見るとトーイは消えていた。
「調べて欲しい奴がいる。高城冬弥、一般からの入隊だが暁が違和感を持っている。俺から見ても出来が良すぎるのも引っ掛かるし洗って呉れ。」
エラ-の手が素早く動き始めたが、それとは別に言葉が出て来た。
『今期は七人だそうだな、貴方が入った事で勢いがついたとキリ-が喜んでいた。予算も獲得したし此方も助かるよ。』
「そのお蔭で早速呼び出しを喰らったがな。ロブと第一正装で出掛けた処だ。」
『え、今日が初日だろう。』
「手ぐすね引いて待ち構えてたようだな。モテっぷりはキッド並みだし正装姿はさすが親子だけ有ってガキの頃のキッドそっくりで笑えたぜ。」
エラ-の眼が懐かしそうに緩んだ。
『それは見てみたいな・・・ああ、高城冬弥の正式なプロフィールはこれだ。』
それは何の変哲も無い、ごく一般的な履歴だった。
奥の奥まで調べつくすエラ-が出したのなら信憑性に疑問の欠片も無いデータの筈だが・・・
都内の生まれ、育ち、学歴も家族構成も、おそらくは誰が見ても不審には思わないプロフィール。
モク以外は。
「・・・了解した。後は此方で見よう。」
僅かな間を開けて応えたベテランG倶楽部員にエラ-は何か言いたげだったが、少し笑って締め括った。
『たまには遊びに来てくれ、キッドやイヴが逢いたがっている。勿論俺達も。』
「ああ、そうだな。今度は遠慮なく行けるから近い内に遊びに行こう。暁なんかは研修を口実に乗り込む積りでいるしな。」
楽しみな事だと笑ってエラ-は手を上げた。
ブラックアウトしたモニターを見つめて男は一つしかない眼を閉じた。
高城冬弥は其処に居る筈の無い人間、ではどこから湧いて出て来たのか。
此処に来た目的は何なのか。
「まずは外堀から埋めるか。」
呟いて男は立ち上がった。
フレアとロブが帰って来たのは2100時を廻った頃だった。
「やられた。」
開口一番の台詞にモクとアリス、ナイトが眼を見交わす。
「見ろ、母ちゃんの菊花だ。」
ポンと無造作に投げ出された小箱の中には煌めく十六花弁八重の徽章。
『お互いに代替わりした者同士、仲良くしましょう。』と渡されたと云う。
先代は五年前に逝去されているが、当然話だけは聞いていただろう。
ましてや当代の御前は木島調整室長からの直通回路もキープして在ったようで、フレアと会うなりにこやかに手を差し出したのだ。
「南米に出る前に母ちゃんが返した菊花を用意して待ち構えてやがった、喰えないジジイだぞ、奴は。」
モクが額を抑える。
「おい、口を慎め。」
「ジジイで上等だ、あんなもん。早速の依頼まで押し付けやがって。」
ナイトの表情が変わった。
「何と云われた?」
「欧州だ。知って居るだろう、キッド絡みのアルバイン王国のアルバート一世。その婚礼の祝賀に招待された皇太子殿下御夫妻のガードだ。どうやらキッドが蹴ったようで嘉門が代わりに行けと云って来た。」
モクが眼を上げる。
「ほう、嘉門はもう直に連絡を取ったか。相変わらず手が速い事だ。」
ふんとフレアが鼻を鳴らす。
「言っておくが私は妃殿下のガードとなる。殿下には男性のガードが着けられるが誰が良く?」
途端に全員が嫌な顔をした。
「何だその顔は、いい度胸じゃないか。それなら指名してやる。及川とモクだ。」
「おい、何で俺が行くんだ。ガードなぞした事も無いのに。」
モクの抗議は切り捨てられた。
「九龍島から珀龍が来る。知り合いだしちょうど良いのと、年長者の指揮下で若手が動くなら格好も着く。私と及川だけじゃ向こうが不安だろう。ついでにベルリンに寄って来ても良いしな。」
「得意の一石三鳥だな。」
指名を外れて如何にも楽しそうなナイトに胡乱な視線を投げてモクが肩を竦めた。
「やれやれだな。」
「日本を出るのが十月二十日、婚儀は二十五日、二日後には帰国だが両殿下の機を見送ればこちらは終了だ。出発までにガードの講習を警視庁SPから受ける手はずが整っている。二週間も有れば良いだろう。」
「実はさ、ガードで良かったと思ってたんだ。」
その夜モクの部屋に押しかけて来て勝手にソファで寛いでいるフレアの呟きに、男はミルク珈琲のマグを渡して問いかける様に眉を上げた。
「第一級正装ならまだ良いけど、これでドレスなんか着れないからなぁ。」
フレアが事在る事にキッドと比べられることを厭うのは知って居た。
確かにキッドの存在感は大きいが・・・
「似ていると云われるのは嫌なのか。」
ゆったりと座って尋ねたモクの顔も見ないで、
「似ても無いのに似てると云われるのが嫌なんだ。」
それは何時に無いはっきりとした意思表示だった。
「母ちゃんは誰が見ても美人だ、子供の私が見ても完璧だと思う。
当然父ちゃんなんか未だに首ったけだし・・・
なのに全然似無いで生まれてしまって、たぶんこの先もあんな美人にはなれない。なのに親子なんだ。」
横に座るモクに頭だけ寄りかけて続ける。
「誰でも云うんだ、もう少し似れば良かったと。そんな事は私が一番思ってるのにな・・・きっと嘉門も珀龍も蒼龍も比べるんだ、仕方が無いのになぁ。いっそ男だったら良かったと思うよ。」
ため息交じりの言葉にモクの表情が動く。
「嘉門が何か言ったのか?」
「云わなくても判るさ。」
まったく無造作に左腕を廻して小さな頭を包み込んでモクは笑った。
「俺にはそっくりに見えるがな、多分アリスやナイト達だって同じだ。
キッドだって顔立ちが変わった訳じゃ無い。キリ-とキッドは出逢った時からお互いの物だった。それを無意識に感じ取ってから驚くほど変わったんだが・・・」
その行程はさすがに子供のフレアには言いにくい。
「お前にもいずれそんな時が来る。」
言い切った癖にモクは何だか無性に腹が立って来た。
「・・・その時は相手の男を一発は殴らせろよ。キッドやキリ-が許しても俺は気が済みそうも無い。」
キリ-はジ-ンにタコ殴りされていた。
それも思い出してひとり笑ったモクをフレアは見上げた。
「なぁ、モク。欧州の前にフェニックス基地の研修に行きたいんだ。一緒に行って呉れるか?」
「ああ、ロブに云って置けば良い。全員引き連れて行ってキリ-達を驚かせてやろう。」
「うん。」
やっと笑顔が出たフレアの頭をポンポンと叩いて、すっかり父親気取りになったモクであった。




