残されたもの
「では、遺言状を読み上げます。『第1条 遺言者は、遺言者の有する一切の財産を、亡長男坂木忠臣の長男坂木徹に代襲相続させる。第2条 長女田中康子、二男坂木正臣、次女橘京子においては、各自に相続時精算課税制度を利用し、各3千万円相当額を生前贈与で渡しているので、相続分はないものとする……』」
「ちょっと待て!!」
坂木正臣が高田弁護士が遺言状を読み上げるのを途中で阻止する。
「そんな遺言があるわけなか! 無効だ、無効!」
「そうばい! 忠臣兄さんが死んだら、その分はこっちに回ってくるとやろ?」
「うちらに遺産が無いなんておかしな話たい!」
「ですから、代襲相続と言いう制度がありまして……」
「そがん難しかこと言われてもよく分からんやろが」
相変わらず口汚く自分の取り分を主張する奴らに、俺は反吐が出そうになった。別に遺産が欲しいわけじゃない。でも、時子さんが死んで、いそいそとやって来たこいつらに、時子さんの遺産はやりたくなかった。盆と正月に形だけ顔を見せに来て、ろくに手伝いもせずに食い散らかすだけ散らかして帰っていくのを見るたびに腸が煮えくり返る思いがした。
「民法第887条。被相続人の子が、相続の開始以前に死亡したとき、若しくは排除によってその相続権を失ったときは、その者の子がこれを代襲して相続人となる」
それまで縁側に座って庭の花を眺めていた俺がいきなり話し始めたので、その場に居た奴らが全員俺を振り返った。
「何て、徹。お前、今何ば言ったとか?」
「だから、お父さんの代わりに俺が相続人になるってこと」
「そ、そんなの嘘や! この遺言状は無効や!」
「そうばい! そんなの無視すればよか!」
「いえ、これは法的にも認められた遺言状なので……」
高田弁護士が往生際悪く騒ぎ立てる奴らを諌める。
「こんなのあてになるか! 待ってろ、こっちも弁護士を連れてくる!」
「うちも相談してくるばい!」
奴らは真っ赤な顔で帰ろうとする。俺はそれを横目で見送った。とっとと帰れ。その時、玄関先で正臣が植木鉢に躓いてたたらを踏んだ。
「なんだ、こんなとこに置きやがって。邪魔やな」
そういって植木鉢を蹴り転がした時、俺の中で何かが切れた。俺は正臣の胸倉を掴む。
「な、なんや?」
「その花も、庭の花も、時子さんが大事に育てたものなんだ……!」
「徹くん、やめなさい」
高田弁護士が制止に入り、俺は掴んでいた手を離した。こいつには殴る価値もない。正臣は一瞬の怯えを隠すようにふんっと鼻を鳴らして荒々しく帰って行った。
「すみません、ついかっとなってしまって」
「いや、いいんだよ。気持ちは分かる」
「……葬式ではあんなに泣いてたくせに、終わると寿司をばくばく食べながら遺産の話をしてたんですよ。俺、悔しくて…」
高田さんは俺の肩に手を置いた。その手はまるで父の手のように暖かかった。
「僕はね、時子さんのおかげで弁護士になれたようなものなんだ。親同士が知り合いでね、大変世話になったんだ。だから、時子さんのそばに徹くんが居てくれて本当に嬉しく思うよ」
「高田さん……」
「遺言状の他にこれも預かっていたんだ」
手渡された封筒を開けると、そこには東京の大学のパンフレットが入っていた。……俺が密かに行きたいと思っていた大学。そして、時子さんの傍に居るために諦めた大学だ。なぜ、時子さんは知っていたんだろう。
「徹が行きたがってるみたいだから、僕から君に渡してほしいって言われてね。時子さんのためにも、考えてみてくれないか? 成人するまでは財産は僕が管理することになるが、学費のことは心配しなくても大丈夫だから。それが時子さんの遺言の続きにも記載されている」
「……はい……」
もはや、ここに居る理由は無くなってしまった。
こうして、俺は再び東京に行くことになった。
―――そして、その東京で俺は、綾乃さんに出会った。
残された「もの」=物=者