恋の媚薬
年下彼氏37部「深夜のキス」後半部分です。
「恋愛って、惚れた方が負けなんだなって……」
綾乃さんがそう寂しげに呟く。
何を言ってるんだ、と俺は目を見開いた。惚れた方が負けだって?それなら俺は最初っから負け続けてることになる。
追いかけて、追い詰めて、そして彼女の心に入りこんで、俺のことしか考えられないようにした。
「最近、キスもしてくれないし」
そう言って綾乃さんは自分の発言に驚き、反応を伺うように顔を見上げて来た。
少し上気した頬、潤んだ瞳。俺は咄嗟に目を逸らした。そんな顔するなんて反則だろ。体のラインを浮き上がらせる仕事用の細身のシャツが、ひどく扇情的に映る。
そんな俺の胸の内を知ってか知らずでか、
「何でもない! 今のは忘れて。おやすみ!」
と綾乃さんは話を無理やり切り上げようとした。
逃がすか。
俺は咄嗟に鍵を閉めて、彼女の手を握る。せっかく紳士的に送るだけにしてあげたのに。火をつけたのは、綾乃さん、あなただ。
「何だ、綾乃さん、キスがしたかったの?」
顔を真っ赤にして違う、と否定する様子を見て、嗜虐心を煽られる。まるで捕食対象をいたぶる肉食獣みたいに、その細い体を抱きしめ、噛みつくように唇を奪う。もがく彼女を壁際に追い詰めると、存分に彼女を味わった。ひどく甘く、そしてひどく切ない。
彼女の中に侵入すると、びくり、と震えるのが伝わって来る。
だけど、彼女は逃げずに俺を受け止めてくれた。掴んでいた両手を離すと、支えを求めて俺にしがみ付いて来る。包み込むように抱き締め、綾乃さんのさらさらと流れる後ろ髪に手を差し込んだ。壁に打ち付けないように保護しながら、さらに繋がりを深くする。
綾乃さんはキスの合間にひどく悩ましげな吐息を漏らし、俺を夢中にさせた。
彼女が放つ甘い香りは、まるで食虫植物のよう。
二人を阻む布が邪魔で仕方なかった。それは残酷にも相手の体温だけを伝えてくるに過ぎない。こんな物を通さずに、彼女を感じたい。彼女のすべてを愛したい。
そう乞い願い渇望するのは、罪なのだろうか。
これ以上続ければ、止められなくなる。
嫌がる彼女を押し倒して、その体に割り入って。そして彼女を傷つけてしまう。
本当は今すぐにでも彼女と繋がりたいと思う。
だけど、それだけで終われる自信がない。
手を縛って、閉じ込めて、めちゃくちゃにしたいという衝動。
あなたしか見えない、と言わせてやりたい。
だけど。
俺は引き剥がすように綾乃さんから離れた。
トロンと蕩けたような瞳を向けてくる彼女に、俺の理性は簡単に飛びそうになる。
「そんな顔で見ないで。誘われてるって勘違いしてしまいそう」
彼女に対する牽制は、自分に対するものでもあった。
こんな日に、なし崩しで行為に至るわけにはいかない。
ちゃんと、彼女を受け入れられる男になってから。それが俺の決めた事。その決心が簡単にグラつくほど、綾乃さんの媚態は俺にとっての脅威だった。
逃がさない、と言った舌の根も乾かぬうちに、俺の方が逃げ出すことになった。
おやすみ、と口早に告げると、彼女の返事を聞く前に家を出る。
まだ少し寒い夜の風に当たり、身震いする。
俺はまだ異常なほど高ぶった身体を持て余していた。
20日の誕生日まで、10カ月弱。
―――長い。
気の遠くなるような時間を想像して、目眩がしそうだ。
俺の辛抱はいつまで続くのだろうか。
だけど、他の女は欲しくない。抱きたいのは、綾乃さんただ一人。
こんな気持ちにさせるのは、彼女だけ。
今までの人生で、本当に好きな女を抱いた事は一度も無い。
もし彼女とそういう関係になったら、俺はどうなってしまうんだろう。何かが変わってしまうのだろうか。そう考えると、楽しみなようで、少しだけ怖くもある。
「これがプラトニックってやつか……はは。俺、悟り開けるかも」
苦行を強いられている修行僧の俺は、力無く家路を辿った。




