あなたへの第一歩
「年下彼氏」第37部「深夜のキス」の導入部分あたりのお話です。
夢とは何だろう。
絶対に叶いそうにない、非現実な希望?それとも、手を伸ばせば届くかもしれしれない目標?
俺の小さい頃の夢は、警察官だった。
そしてリトルリーグに入ってからは野球選手。
―――そしてあの事件が起きてからは。
俺の夢は〝人に恥じない人間になること〟に変わった。
両親が居ない、ただそれだけの理由で何かと排除された子供の頃。
離婚や病気で片親だけという子は数人居たが、両方居ないというのは稀だった。時子さんは俺によくしてくれたし、衣食住に困った事ももちろん無かった。むしろ、周りの連中よりもよほど良い暮らしをしていたんじゃないかと思う。
だが、彼らはたった一つの理由だけで俺を弾いた。くやしかった。失いたくて失ったわけじゃないのに。俺が何かを起こせば〝ほら、やっぱり。あの子は両親がいないから〟と言われてしまう。俺の評価が、両親の評価に繋がる、胸くそ悪い閉じた社会。
だから、俺は非の打ちどころのない人間にならなければならなかった。
自分を押さえ、常に優等生の振りをして。その代償に、心の中は捻じれまくっていったけど。
成績優秀、運動神経抜群、おまけに家は豪邸。
今思えば彼らの面白くない気持も分かるけれどね。
『最近付き合い悪いよなー、徹』
電話の向こうで、カズがつまらなさそうに愚痴る。
学年も学部も違うけれど、同じ大学に通うカズとは頻繁に飲みに行っている。
実家が少し遠いため、大学の近くにある俺の家はカズの別荘みたいなもんだった。
「悪い、今ちょっと戦ってるんだ」
『えっ、何何? 誰と戦ってんの!?』
「ラスボスかな。いや、違うな。まだ始まってもいないから」
カズの大好きなRPGに例えて含み笑いで言うと、案の定嬉しそうに食いついてきた。
『始まりの村ってこと? んじゃ、最初の敵と戦うってことか』
「あー、まぁ、そんな感じ」
最初の敵っていうと、やっぱ定番は……と尚も続くカズの言葉に、俺は適当に話を合わせた。東京を離れて以来ゲームとは縁のない生活を送って来たから、あまり深く突っ込まれると話についていけない。
だけどカズはそれ以上深く聞かずに、『それじゃーしょーがないよな。頑張れよ、新米勇者!』と激励して通話を切った。
「……ごめん、今日はちょっと」
綾乃さんの誘いも断ると、すぐにこっちも急に誘ってごめん、と謝って来る。
その言葉の中に残念そうな響きを聞き取って、申し訳なさと共に嬉しさを覚える。
その後はお互い謝罪合戦。
悪いのは俺だ。彼女に何も告げていない俺が悪い。
何も告げないのは、後で驚かせたいから?それとも失敗したら恥ずかしいから?
これから俺がやろうとしている事は、会う事を我慢してまで頑張る意味はあるのだろうか? ……努力すれば必ず報われるという保障もないのに。これって独りよがり、っていうやつなのかな。
綾乃さんのために頑張っているのに、これじゃ本末転倒だ。
いや、違うな。間違えるな。
これは綾乃さんのためにするわけじゃない。
俺が、自分のために決めた事だ。
あの女性に相応しい存在になりたい。
だけど成功しても失敗してもそれを彼女に被せることはしない。
時は5月15日。かの有名な五・一五事件で当時の総理大臣犬養毅が武装した大日本帝国海軍の青年将校らに暗殺された日。何となく不吉だ。
まぁ、そんな事言ってたら365日毎日が不吉な日って事になるんだけどね。
敵は、周りにいるたくさんの人々ではなく、俺の目の前に鎮座する真っ白な紙の束。
緊張してないつもりでも、わずかに鼓動が高鳴っている。静まり返った室内で、時計の音だけがやけに大きく聞こえる。
俺は目を閉じて呼吸を整えた。
自分が成功している姿をイメージする。
「それでは、始めてください」
その掛け声とともに、俺はどこまでも白い敵と戦い始めた。




