that brings back memories
年下彼氏の35部「spring joy,beauty in bloom」と合わせてご覧ください。
春がやってきた。そして、俺は大学二年生になった。
先日の休日に横浜の実家に帰って来た、と綾乃さんは恥ずかしそうに報告してくれた。
父親の孝太郎さんは過労で倒れて以来、もう無理がきかない年齢になったのだと痛感した様で、最近は比較的早めに帰宅して体を休めることを覚えたのだとか。義理の母である美鈴さんと父親の悪口を言いながら一緒に料理をした、と嬉しそうだった。
ほらね、俺の思った通りになった。綾乃さんは弱そうに見えて実はすごく強いんだから。
―――何かね、お父さんがまたうちへ遊びに来なさいって言ってたよ。でもね、変なの。絶対普段着で来るように、それ以外なら、うちの敷居は跨がせないからな、だって。どういう意味だろうね。
綾乃さんは俺に向かって小首を傾げた。
天然にもほどがある、と俺は心の中で頭を抱えた。綾乃さん、それは『結婚の申し込みには来るなよ』の牽制だ。そう言ったらあわあわして真っ赤になりそうだったから何も言わなかったけど。孝太郎さん、気が早いよ。俺はまだ学生だよ?こんな状況でお譲さんを俺に下さい、なんて、いくら俺でも恐れ多くて言えやしない。
―――まぁ、逆にいえば、その点がクリア出来たらすぐにでも綾乃さんをかっさらいに行くけどね?
お花見に行ったのはそんな矢先。
俺は二人で行きたかったのに、迷惑を掛けたから、という理由で親友の真理子さんとその愛娘の愛華ちゃん、そしてカズと山下さんも呼ぶことになり、結構な大所帯になった。
都内でも有数の桜の名所は、思った以上の混雑具合で、日本人は本当に桜が好きだなと自分も来ておきながら他人事のように眉を寄せた。
綾乃さんの作ったおにぎりは、一つ一つが微妙に大きさが違っていて微笑ましかった。朝から頑張って作って来てくれたんだろうな。言ってくれたら手伝いに行ったのに。カズに綾乃さんお手製のおにぎりを食べさせたくないという子供じみた独占欲を何とか押さえ、適当に選んだおにぎりを口に頬張った。するとしゃきっという野菜の歯触りとともにぴりりと鷹の爪の辛さを感じる。中身は高菜だった。どくり、と熱い何かが胸を刺す。
「もしかして、苦手?」
動きが止まった俺を綾乃さんが気遣う。違う、嫌いなんかじゃない。むしろ、好きだ。ただ、――記憶が甦った。両親が死んで、時子さんと暮らし始めた頃の記憶が。
無為に毎日を過ごしていた俺に時子さんは朝から庭の手入れを手伝わせ、天気がいいからというそれだけの理由で一緒に縁側でご飯を食べた。おにぎりと、マグカップに入った味噌汁と卵焼き。その時のおにぎりにも高菜が入っていた。
もちろん、その後も時子さんの高菜おにぎりは何度も食べたし、時子さんが死んでからも懐かしい味として時々コンビニで買って食べていた。だけど、何故だろう、綾乃さんのおにぎりを食べて思い出したのはあの縁側の景色だった。終わりを迎えた夏を惜しむような暑い日差しと、心地よい疲労感。
―――俺の、故郷。
いつのまにか、両親と暮らした家ではなく、あの縁側が俺の縁になっていたようだ。
だからこそ、もう住む人間も居ないのに、あの家を手放せないのかもしれない。
「徹く~ん?」
ゴミ捨てに行こうとした綾乃さんを追いかけようとすると、背後から真理子さんに甘い声で呼びとめられた。振り返るとこれ以上はいくらいの満面の笑顔。……な、はずなのに、悪寒が走るのは気のせいか。
「な、何ですか?」
多少腰が引けている俺に、真理子さんは笑顔のまま近づき、あろうことか俺の胸倉を掴んだ。なんて力強さ。そしてその女神のような笑顔が、一瞬で般若の顔に変わる。
「綾乃を泣かせたら承知しないっ言ったよなぁ?」
「……すみません。でも今後は二度と……」
泣かせません、と最後まで言うことは出来なかった。「言い訳無用じゃ、ボケぇッ!」というドスの効いた言葉と共に、鳩尾に重い強烈な一撃が加えられる。その細腕でどこにこんな力が。それよりも、もしかして真理子さんってそっちの人?
俺は不意の一撃になす術も無く、うぐっと呻いて腹を押さえた。その声を聞き留めたらしく、離れた所にいる綾乃さんが不思議そうな顔で振り返る。
「どうしたの?」
「いや、何でも無いみたいよ? ねぇ?」
般若が表情を瞬時に女神の微笑みに戻して俺の代わりに応えた。俺は鈍い痛みを堪えつつ、はい、と声を絞り出すので精一杯だった。
俺は今日新たに学んだ。―――この人を敵に回すのは命に関わる。
前回の邂逅では背中を叩かれ、今回は腹を殴られた。
どうやら俺は、背中の痛みに加え、腹の痛みも覚えておかなければならないようだった。
高菜と明太子は福岡名産です




