あなたを護る盾になる
「これが最後になっても、いいの?」
病院の前で立ちつくす綾乃さんに、俺はそう言った。
その途端、彼女の目が驚いたように見開かれ、そして歪んだ。
ひどいことを言ったという自覚はある。
彼女の事情を知らない俺が、でしゃばる場面じゃないとも分かってる。
だけど、彼女は迷いつつもここへとやってきた。それが綾乃さんの本心だと思ったから。
……誰にも言えなかったことがある。
あの日。
横たわる両親の亡骸を見て、俺が思ったのは〝悲しい〟じゃなくて〝怖い〟だった。
ほんの数時間前まで無邪気に絡みついていたお父さんの腕、見るとこっちまで笑ってしまうお母さんの笑顔。大好きでいつでも触れていたくてしょうがなかった二人が、その瞬間恐ろしいものに変わった気がした。
俺は、そんな自分が許せなくて、ずっと自分を責めて来たんだ……。
だから、綾乃さんにはそんな思いをしてほしくない。
「行こう。ね?」
「……うん」
そう促すと彼女はようやく足を動かし始めた。受付に尋ねると病室を教えてもらう。受付の前にある案内板を確認すると、彼女の父親が入っているのは一般病棟だと分かって、俺は小さく息を吐いた。
集中治療室でも、ましてや霊安室でもない。それはつまり、切羽詰まった状況ではないことを意味した。
良かった。俺の考えすぎだったようだ。
教えられた病室の扉には榊孝太郎というネームプレートがすでに貼られていて、それで俺は綾乃さんの父親の名前を知った。
ドアから出て来たのは、母親らしき女性。思った以上に若い人だった。綾乃さんとタイプの違う美人。彼女は父親似なのかもしれないな。
美鈴さんと名乗った母親は、俺に彼女を連れて来たお礼を言い、父親の状況を説明してくれた。
ベッドに横たわった綾乃さんのお父さんは、50代後半くらいの年齢で、その眉間のしわに厳格さを漂わせていた。
「せっかく来たんだから、今日はぜひうちに泊まっていって?」
「え……でも」
「ね? お願い」
美鈴さんは笑顔だったけれど、その瞳には必死さが含まれていた。
そうか、ここで俺が帰ると言えば、綾乃さんも一緒に帰ってしまうかもしれない。それをこの人は恐れているんだ。二人の間には何だかただならない空気があった。お互いに遠慮しているのが俺にも伝わって来る。父親と合わないのかと思っていたけれど、母親と勘違いしていたのかもしれない。
「じゃあ……すみません、お世話になります」
俺がぺこりと頭を下げると、美鈴さんは嬉しそうな顔をした。綾乃さんにとっては意に沿わない事かもしれなかったけれど。
入院に必要なものを取りに美鈴さんが出て行くと、病室内は静まり返った。心電図モニタのピッピッという音がやけに大きく聞こえる。
俺は綾乃さんの追求から逃れるように、窓際に移動してライトアップされた町並みを見渡した。
ここが綾乃さんが住んでいた街。
東京からも近いこの場所は、友達が遊びやデートで訪れたと言う話をよく聞く。
だけど大学とバイトに生活のほとんどを費やしている俺は初めて訪れる場所だった。
どのくらい経ったのか、病室に美鈴さんが戻って来た。手には旅行用のバッグ。そこから手品師のようにタオルや歯ブラシなどを次々と出している。
「ごめんなさいね、お待たせして。簡単なものだけど、夕飯作って来たから食べて?」
「ありがとうございます」
「いいのよ、私が我儘を言ったようなものなんだから。綾乃ちゃん……いい?」
「……はい」
綾乃さんは観念したように言葉少なに返事を返すと、俺を促して病室を出た。
二人の間にただよう空気に気付いていても、当事者ではない俺にはそれを聞くことが出来なかった。
ここは何も気付かない振りをしといた方がいいんだろうか。
1階のロビーを通り抜ける時、綾乃さんは立ち止った。
「……聞いてもらってもいいかな?」
そう綾乃さんは俺に向かって言った。
迷いながらも何かを決心した眼差しで。
俺には、それが彼女のSOSのように聞こえたんだ。




