忘れたい、忘れられない
正月明け、久々に見た綾乃さんは目に見えて痩せ細っていた。顔色も悪い。
それが俺のせいかもしれない―――そう思うと少しだけ小気味いいと思うのは、俺の性格が悪いせいだろうか。最も、俺の方も似たようなものだったけど。
あれ以来、食欲が湧かなくなってしまった。必要最低限の食事はとっていても何を食べてもおいしいと思わなくなって、まるで砂を食べているような気分だった。
「徹くん、メールでも言ったけど、明けましておめでとう!」
レジの近くにある小さな倉庫で研磨の準備をしていると、森口さんが周りを気にしながらこそこそと耳打ちしてきた。
「あ、明けましておめでとうございます」
「今年もよろしくねー」
「はい。こちらこそ」
俺は傷の入ったDVDのディスクを研磨機にセットする。
このでっかい機械で研磨するとディスク表面の傷が取れて画像不良のディスクが見れるようになるんだ。
ディスクってのは案外デリケートに出来ていて、ちょっとしたキズや汚れで見れなくなる。それが客からの大きなクレームに繋がることも多々あることだ。
最も、プレーヤーの中に溜まった小さなゴミでもアウトになるから、そっちも定期的にクリーナーで掃除してもらわないといけないんだけどね。
うちの店ではDVDクリーナーも無料でレンタルしてるから、クレームが頻発するお客様にはそれも一緒に貸し出したりするんだ。
でも、特にアニメは子供が触ることが多いのか、致命的な傷だらけの状態でDVDが返却されることが多い。そうなったらもう処分するしかない。レンタルのDVDは著作権使用料が上乗せされるから普通にDVDを買うより高額なんだって綾乃さんに聞いたことがある。
俺が払うわけじゃ無いけど、できれば親御さんに扱ってもらいたいよね、全く。
俺は研磨剤の残量をチェックし、スタートボタンを押した。
「で、映画いつ行く?」
とっくに立ち去ったと思っていた森口さんが、俺の作業が終わったのを見計らってウキウキした様子で話しかけて来た。
「は?」
「映画。彼氏と別れたら一緒に行くって約束したよね?」
「……しましたっけ」
「したの! 今度の土曜日、空けといてね」
「はぁ……」
言いたいことだけ言うと、俺が了承する前に彼女はいらっしゃいませーと声出ししながら返却された商品の棚へ戻しに行ってしまった。
あれ、これはもう約束してしまったということだろうか。まぁどうせ予定も無いし映画くらいはいいんだけど。……いいのか? まぁいいか、深く考えるのは止めよう……。
「映画、面白かったね!」
そう言ってくるりと回った彼女のスカートがふわりと揺れる。
花柄のそれは太ももの辺りまで露わになり、俺は少し目を伏せた。
「この後、何か予定ある?」
「いや、別に……」
正直に答えてしまった。
「じゃあさ、夕飯食べに行こうよ。この近所に新しくお店が出来てて、行ってみたいと思ってたんだよね~」
「別に、いいですけど」
よし、決まり~! と森口さんは喜び、ブーツの踵を鳴らして少し跳ねた。
こうやって、人は誰かを忘れていくのかな。
誰かの居ない毎日を過ごして、途中何度もフラッシュバックさせながら、居ないことに慣れていって。
二人の記憶を『思い出』に、そして『過去』にしながら。
あと、どのくらいの時間を過ごせばそう出来るんだろう。
この職場を離れない限り、忘れられそうにもない。
でも、俺にこのバイトを辞めるなんてこと出来るんだろうか。唯一の接点であるこの職場を。
忘れたいと思うのに離れたくないとも思う、この矛盾。
その矛盾が心地よいと思った時期もあったけれど、今ではこんなにも始末が悪い。
どうして感情も数学のようにはっきりとした答えが出ないんだろう。
あの人に出会うまではこんな自分知らなかった。
知らなかったんだ……。




