寂しさの認め方
「徹、年越しラーメン食いに行こうぜ~」
携帯から高校の同級生の大きな声が響く。耳から離しても十分に聞こえてくる。すでに酒をひっかけているようだった。
「俺、年越しはやっぱりソバがいいんだけど……」
「ばぁ~か。東京に汚されおって! 福岡じゃ年越しはとんこつラーメンち決まっちょろーもん!」
「いつ決まったんだよ、そんなの」
「うるせー、つべこべ言わずにはよ出て来んか~い!」
「はいはい。すぐ行くから」
俺は通話を終えるとやれやれと腰を上げた。
行ってくるよ、時子さん。仏壇に心の中で声を掛けると、俺は上着を手に家を出た。
「やっぱさー、とんこつはこっちが最高やなぁ。こん前北海道で食ったけど、味が全然違ったもんなぁ」
「お前、北海道まで行ってとんこつ食ったとか? 北海道なら塩かコーンバターやろが~」
「いや、それも食ったけどさ! どがん違うとかと思ったと」
屋台でラーメンを食べながら、旧友たちがラーメン談議に花を咲かせる。
「東京はどうね、徹?」
「あ~うん、やっぱこっちには敵わないよ。変にこってりしてる」
「そやろ~?」
妙に満足げな顔を横目で見つつ、俺はレンゲを使わずにラーメンのスープを飲んだ。寒さで冷え切った体に濃厚なスープが注ぎ込まれる。コクがあるのに後味すっきり。それが博多ラーメンの神髄だ。
とんこつラーメン……一緒に食べたなぁ……。ふうふうしながら食べる横顔がすっごく可愛かった。普段の何倍もおいしく感じられたのを覚えてる。
俺は今は遠くにいる彼女のことに想いを馳せた。
あれはまだ暑い日のことだった。
フラれたと思って落ち込んだ俺の家に、彼女が来てくれたんだ。
そのことを知った時の驚きは今でも鮮明に思い出せる。
めちゃくちゃ動揺してたくせに、それを見せまいと必死に振舞っていたっけ。そんな余裕の振りも彼女の好きだという言葉でどこかへ吹き飛んでしまった。
そんな、まさか、信じられない。だって俺はフラれたんだから。
そう思いつつもじわじわと込み上げる喜びに胸が震えた。
あの時抱きしめた彼女の細い肩。涙の粒で光るまつ毛。俺の背中に恐々と回された手。そのすべてが俺にとって最高の奇跡だった。
この人以外、もう何も要らない。そう思ったんだ。
「あれ? 徹、替え玉はー?」
「あ……うん、俺はいいや」
その後、全員が替え玉を食べ終わるのを待ってから近くの神社に初もうでに行った。冷やかしで引いたおみくじは大吉。
ありがたい格言のような言葉の下に学問、商売、病気などの今年の運勢が書かれている。その一つが俺の目にふいに飛び込んできた。『待ち人』の欄に書かれた『来たらず』という文字。
待ち人? 俺は、待っているのか、あの人を?
来るはずも無いのに。自分から切ったのに。
どうやら、俺は起きもしない奇跡を待っているらしい。
「はは……」
自嘲が自分の口から洩れる。
馬鹿だな……本当に、馬鹿な男だ。
俺は、二人の関係はずっと続くと信じて疑わなかった。
だけど、彼女はそうじゃなかったんだ。
俺がいつか自分から離れていくと……いつか別れる日が来ると思っていた。
自分がこんな人間だったなんて知らなかった。
恋愛で悩んでいる人を見て、心の中で鼻で笑ってた。
悩んで右往左往する人に、へぇそれで? って言っちゃえるタイプ。
別れた? じゃあ次に行けばいいじゃん、ってさ。
今では彼らの気持ちが痛いほど分かる。
「ただいま……」
誰も居ない家に辿り着いて玄関の扉を開けた時、真っ暗な家の中を見て、急に何とも言えない感情が押し寄せた。今まで必死に隠して来た感情だった。
それは授業参観で親に手を振る友達を見た時。誕生日に時子さんと一緒にケーキを食べた時。5月の第2と6月の第3日曜日。
その感情は常に俺と一緒に在った。だけど、認めようとはしなかった。絶対に認めたくなかった。
〝寂しい―――〟
俺が彼女を切ったんじゃない。
……俺が切られたんだ。
そうだよ。
捨てられるのが怖くて、俺は自分から逃げ出したんだ。
自分はいつの間にこんなに、弱くなってしまっていたんだろう。




