無明の闇に沈む空
「ままならない恋~年下彼氏~」第19部「ホワイトクリスマス・イヴ」を読んでからご覧ください。
仕事前に一服しに来たカズに呼ばれるまで、俺は非常階段に立ちつくしたままだった。
「どうした? 顔色悪いよ」
「……いや、何でもない」
声がかすれる。頭がズキズキと痛む。
「何でもないって顔じゃないけど。熱でもあるんじゃねー?」
「いや、本当に大丈夫だから。着替えるから先に行くわ」
ゲームコーナーを抜けて事務所に行く間、俺は必死で自分を納得させようとした。
まだ、そうと決まったわけじゃない。あいつが嘘を言っている可能性だってある。
それにしても、付き合う前にプロポーズするっておかしくないか?
……それとも、俺に内緒で二人はずっと前から付き合ってたのか……?
信じない。綾乃さんに聞くまでは絶対に信じない。
クリスマス・イヴ。
待ち合わせ時間より早めに行くと、やっぱり綾乃さんはすでにそこに居た。
いつもと雰囲気が全く違う、かわいい格好をしている綾乃さんを見て、何故かすごく悲しくなった。
それ以上近づくと彼女を責めてしまいそうで、そして縋りついてしまいそうで、俺は離れた所から電話を掛けた。
「……綾乃さん。綾乃さんは、俺の気持ちを疑ってた? 俺の気持ちはいつか変わってしまうって。ずっとそう思いながら、俺と付き合ってた? ……ねぇ、答えてよ」
必死で感情を押さえて尋ねた俺に、綾乃さんは一瞬何を言われたか分からない表情をうかべ、理解した途端に苦しげに顔を歪ませた。
その顔を見て、それが真実だということが分かりすぎるほど分かってしまった。
久留米で想いが通じた時も。二人で誕生日を祝った時も。
綾乃さんはずっと俺の気持ちを疑っていたんだ。
俺が一時の気の迷いで自分と付き合っているとでも思っているの?
俺がどんな気持ちであなたへの気持ちを自覚したかも知らないで。
本当は、誰も好きになんてなりたくなかったんだ。
好きになればなるほど、その人を失うことが怖くなる。
俺が愛した人は皆、俺を残して行ってしまう。
だから、これまでは誰に対しても一歩引いた姿勢を貫いてきた。どれだけ仲良くなろうとも、見えないバリアのようなものを常に貼りめぐらせて来た。
だけど、俺は恋をしてしまったんだ。真面目で不器用な彼女に。
彼女にだけは、バリアが効かなかった。いつのまにか視界に入って来て、気付いた時には俺の心を占領してしまっていたんだ。
もう後悔しないように、俺はいつでも自分の気持ちを正直に伝えて来たつもりだった。
好きだと言って、抱きしめて。ずっと一緒にいたいと伝えた。
なのに、何故。
好きだと言う気持ちと、だからこそ許せないと言う気持ちがせめぎ合う。
俺は綾乃さんから視線を引き離して、賑わう人々を掻き分けながらその場を離れた。ざらりとした感情が胸をよぎり、いつのまにか小さな男の子が俺の横に立っていた。まるで底なし沼にはまったかのように足が動かなくなる。
―――昔の自分だ。
『あの人も、僕たちを置いて行ってしまうの?』
「違うよ。綾乃さんは生きてる。ただ、一緒には居れないだけだ」
『じゃあ、僕たち、捨てられたんだね』
幼い自分は無表情のままやっぱりねと呟くと下を向いた。
「違う。俺たちが行くんだ。……彼女を置いて」
『……そう。それなら、いいね』
そう言って、男の子はまた深い闇の底へと沈んで行った。
大丈夫。
元の生活に戻るだけだ。誰も居ない、自分だけの世界に。
ただ、それだけのことじゃないか。
なのに何故、こんなに苦しいんだ?
こんなの違う、こんなのは間違っている。
いつのまにか底なし沼は消えていて、だけどそれでも重い足取りで俺は再び歩き始めた。
―――胸の痛みは、ちっとも消えてくれはしなかったけれど。
空には雪がちらついていた。




