ブランデー、たこわさ、そして……涙
「ふふ。ふふふふふ」
綾乃さんが笑う。そりゃあ、嬉しそうに。まるで宝くじが当たったかのように。
「綾乃さん、酔ってますね?」
「うるさーい、酔ってないもーん。これくらいで酔うか、バカやろー!」
だめだ、酔ってる。そんなにお酒は入っていなかったはずなんですが……とバーのマスターは申し訳なさそうに謝ってきた。確かに、どちらもミルクやコーヒーがメインのお酒だ。同じものを飲んだ俺はほろ酔いではあるものの素面に近い。
「マスター、ブランデー、ロックでー!」
「お客様、今日はそのくらいにしておいた方が……」
「うるさーい、もっと飲むのー!」
綾乃さんは飲み終わったカップをマスターにずずいと押し付けた。困った顔で俺を見てきたので、水を一杯ください、と彼女に聞こえないように言う。
「……たこわさ」
「はい?」
「たこわさ食べたーい!」
「いや、ここ、バーなんでそんなの置いてないと思いますよ」
「なんでたこわさが無いの? ありえないー! 今すぐ用意してー!!」
マスターがすみませんとまた謝る。いやいや、バーにたこわさがある方がおかしいし!
俺は水を綾乃さんに無理やり飲ませると、トイレ、と言って綾乃さんはゆらゆらとそっちに歩いて行った。
「あの、お勘定お願いします。あと、色々とすみませんでした」
「いえいえ、よくあることですのでどうぞお気になさらずに。またぜひ二人でお越しください」
二人で、というフレーズに少し頬が熱くなる。別に変な意味で言われたわけじゃないのに。俺が勝手に意識してしまっただけだ。
俺はトイレから出てきてこっちに歩いてきた綾乃さんをUターンさせて店のドアを開けて外に連れ出した。まだ飲むぅ、と駄々をこねる綾乃さんに、駄目、今日は帰るの、と子供をたしなめる口調で言った。家どっち? と聞くと、しばらく不満げに頬を膨らませた後であっち、と指を指す。
「おんぶぅ」
「えっ?」
「おんぶしてー」
綾乃さんはそう言うと俺の背中に乗りかかってきた。……マジで? 薄い布を通して彼女の温もりやら柔らかさやらが伝わってきて、酔いじゃない火照りが体の体温を急上昇させる。
そんな俺を知りもせず、綾乃さんは曲がり角に来るたびにあっち、次はこっち~と指示をしてご満悦だ。
俺の腕と背中が色んな意味で悲鳴を上げかけた頃、やっと綾乃さんのマンションに着いた。7階建ての白い、新しくはないが落ち着いた雰囲気の建物だった。エレベーターのボタンを押してもらい、おんぶのまま乗り込み、4階の一番奥の部屋に送り届ける。
「鍵、開けてください」
俺がそういうと、鞄の中から鍵を出し、手渡してくる。俺に開けろってことか。彼女をおんぶをしたまま体勢を維持し、なんとか鍵を開ける。
「開きましたよ。じゃあ、俺はこれで……って、綾乃さん?」
気づくと、彼女は俺の背中ですうすうと寝息を立てていた。
……どうしよう。何度呼びかけても起きる気配がない。俺は仕方なく部屋に上がりこんだ。綾乃さんをベッドに寝かせたらすぐ帰るんだと、自分に言い聞かせながら。
部屋は玄関からキッチン、寝室へと続く1DKだった。電気のスイッチを苦労して点けると女性らしい、落ち着いた配色の部屋が現れた。寝室へ進むと窓際に下着が干してあり、俺は慌てて目をそらした。ベッドに綾乃さんを何とか寝かせると、早めに退散しようと俺は踵を返した。すると、腹部に違和感を感じて目をやると、綾乃さんが俺のTシャツのはしをしっかりと掴んでいた。
「帰っちゃやだ……一人にしないで……」
「綾乃さん?」
「どうして皆、私を置いてくの……?」
そう言った綾乃さんの目じりから次々と涙が流れ落ちる。ささやくような彼女の言葉に、俺は息が詰まった。
どうして皆、僕を置いてくの。
幼い頃の俺と綾乃さんの姿がダブる。
俺は、その場に釘付けになっていた……。




