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瞬きもせずに

「綾乃さん、大丈夫ですか?」


「う、うん。大丈夫。ごめんね、心配かけて……」


 あのムカつく事件の後、俺と綾乃さんは店の近くにあるファミレスに入った。綾乃さんが怖くて家に帰りたくないと言ったからだ。それはそうだろう、変なおっさんに家に連れ込まれるところだったんだから、一人暮らしの家になんて帰れっこない。綾乃さんは俺に心配かけまいと笑顔を作ったけど、それはあまりにも弱々しく、顔も真っ青で、全然大丈夫には見えなかった。あぁ、あいつ、綾乃さんにこんな顔させやがって。思い出しただけで腸が煮えくり返る思いだ。やっぱりぶっ殺しとけばよかった。


 ドリンクバーでホットココアを注ぎ、カップを綾乃さんに手渡す。綾乃さんはありがとう、と言って両手でカップを包み込んだ。さっき触った彼女の手は、夏だというのに氷のように冷たくなっていた。ふうふうと息を吹きかけ、一口、また一口とココアを飲んだ綾乃さんは、やっと恐怖がほぐれてきたのか、ふぅと息を吐いた。段々と頬にも血の気が戻ってきたようだ。俺はクールダウンするためにコーラをストロー無しでぐいっと飲み込んだ。熱くなった体によく冷えたジュースが流れ込むのが分かる。


「……徹くん、あの、今夜のことなんだけど、店には報告しないでおこうと思うんだ」


「え、どうしてですか? ……下手すれば警察沙汰ですよ!?」


 俺は思わず大きい声を出しかけてしまい、慌てて小声に直す。


「未遂だったし、そもそもが私の勘違いで本当にDVDを見てもらおうとただけかもしれないし。それに……あまり大事にしたくないから……」


 何言ってるんだ、この人は。あれが勘違いなわけあるか。あいつは確実に綾乃さんを連れ込もうとしてた。目を見れば分かる。そんな火を見るよりも明らかなことがどうして分からない?


「お願い……」


 無言の中にも反対しているのが分かったんだろう、綾乃さんは俺に頭を下げてきた。束の間考えた後、俺はしぶしぶ了承した。でも、納得はしていないから、自分でも思ってもみないほど低い声が出る。


「……分かりました。でも、今後は夜のクレーム対応は他の社員に行ってもらうこと。これが条件です」


「うん、そうするよ。ありがとう……」


 本当は俺を呼べと言いたいところだが、ぐっと我慢する。

 綾乃さんはやっと無理してない笑顔を浮かべた。俺はその笑顔に見とれてしまい、つい、問題を忘れてしまいそうになった。いやいや、解決したわけじゃないんだから、気を抜くなよ。あいつ、こんど店に来たらただじゃおかないからな……。俺はとても人には言えないような報復の方法を幾通りも頭の中に思い描いていた。


 ようやく話し合いが終わり、人心地ついていると、ファミレスの入り口のドアがバタンと音を立て、大学生らしい集団がわっと押し寄せてきた。男女が入り混じっているその集団は皆上機嫌で騒がしい。どうやら余所で酒をひっかけて来ているらしい。


「すっごい賑やかだね。サークルか何かかな?」


「そうかもしれませんね。ちょっとうるさくなってきましたね」


 他の店に行こうか、という話になり、綾乃さんが近くに落ち着けるバーがあるからそこに行こう、と言ってきた。この人、俺が未成年ってこと分かってんのかな? まあ、歓迎会の日にすでに飲んでるんだから同じことなんだけどね。


 連れて行かれた店はなるほど、彼女が言うとおりの落ち着いたバーだった。照明を絞った店内には数人の客がいるものの、皆静かに酒を楽しんでいると言った風情。俺たちがカウンターの端に座ると中年のマスターがいらっしゃいませ、ご注文は? と渋い声で尋ねてきた。すると綾乃さんは、すみませんが、何か落ち着けるお酒を、と言ったから、じゃあ俺も同じものを、と言った。かしこまりました、と言ったマスターはホット・ブランデー・ミルクです、と音を立てずに優雅にアイリッシュグラスを置いた。綾乃さんはブランデーってこんなにおいしかったんだ! と言ってすぐに飲み干してしまい、違うものが飲みたい、と要求した。

 マスターは、では、と言い、カップにコーヒーをドリップし、その上にスプーンを渡す。その上に角砂糖を乗せてブランデーを染み込ませると角砂糖に火を灯した。薄暗い店内に幻想的な青い炎と香りが一瞬煌めき、それをカップに入れて混ぜた。カフェ・ロワイヤルだ。


 綾乃さんはうっとりとそれを見つめ、飲むのがもったいないというように大事に大事に、味わいながら飲み干した。俺はそんな彼女の一挙手一投足をつぶさに見つめていた。というか、目が離せなかった、てのが正解かな。


 そして、綾乃さんは豹変した。



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