That's life
「徹くぅん、ちょっといーい?」
店から帰ろうとするとバイト仲間の森口さんに呼ばれた。
「……何?」
俺を手招きで呼んだ森口さんは頬を桃色に染めて俺を見上げてくる。カールのかかった栗色の長い髪が風に揺れ、とても柔らかそうに見えた。
「あのね、今度の土曜日とか、時間ある? 良かったら、映画でも行かない?」
「え?」
「徹くん、映画好きでしょ? 私もなの。今、徹くんが好きそうな映画やってるから、一緒にどうかなと思って……」
俺は驚いて森口さんをまじまじと見つめる。
森口さんは女子大に通っている2年生だ。つまり、俺より年上。歳の離れた社会人と付き合っているという噂を耳にしたけど、もう別れていたんだろうか。
彼女は俺の目から見ても目鼻立ちのはっきりした美人で、職場の男どもはおろか、男性客からも人気がある。彼女目当てに来るヤツも居ると思う。化粧も洋服もいつも隙がなくてまるで雑誌に出てくるモデルみたいだ。つまり、男なんて掃いて捨てるほど寄ってくる女。
そんな人が、何故よりにもよってその気もない俺を選ぶんだ?
「えーと、森口さん、彼氏さんの方は大丈夫なんですか?」
「穂乃香って呼んでいーよ。私も徹くんって呼んでるし」
微妙に質問をはぐらかされた。どうやら彼氏とはまだ付き合っているらしい。
「すみません、俺、彼氏さんに恨まれたくないんで、また今度」
俺は笑いながらやんわり誘いを断った。つまり、彼氏がいるうちは誘って来るな、という牽制だ。いざこざに巻き込まれるのはもうウンザリだった。
俺は相手の返事を待たずに、踵を返すと家に帰った。
高校の頃からなぜか俺はそういう揉め事に巻き込まれることが多かった。
彼氏持ちの女に言い寄られ、彼氏が怒り、修羅場に発展する、というパターンだ。俺はその人を好きでも嫌いでもなかったし、というかただの知り合いという程度。それだけじゃなく、それまで話したことすら無かった人も居たくらいだ。
いったい俺が何をした?
いや、むしろ何もしていないのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ?
そして、俺の中にはいつの間にかルールが出来上がっていた。
彼氏持ちには手を出さず、極力距離を置くようにする。
遊ぶ時は彼女になりたいと言い出さない女にする。
そして、キスはしない。
『私は男とは寝るけど、キスは絶対しない。
キスをすれば、例え相手のことを好きじゃなくても好きになってしまうから。
だから私にキスはしないで』
初めての女にそう教えられた。彼女とはその後数回会い、自然と連絡が途絶えた。
今となっては顔も名前も思い出せない。
だけど、俺は彼女の言葉だけははっきりと覚えていて、それを守るようにしていた。
語れるほど女を知っているわけじゃないけど。
まぁ、キスしたいと思ったことないっていうのが一番の理由だったけどね。
だから、実は俺はファーストキスだけはまだ、だったりする。
俺がそれを経験することは、きっと一生ないだろう。
That's life:世の中(人生)なんてそんなものだよ




