第八章 桐山の決断
翌日の夜、蒼は一人で桐山診療所を訪ねた。
診療所は閉まっていたが、灯りはついていた。呼び鈴を押すと、しばらくして桐山が出てきた。
「来るかもしれないと思った」と桐山は言い、中に通した。
二人は診察室のパイプ椅子に向かい合って座った。
蒼は四人でした話を、かいつまんで伝えた。制度に乗せることを検討していること。自治体の補助事業を調べていること。時間がかかることもわかっていること。
桐山は最後まで黙って聞いた。
「……先に言っておこうか」と桐山は言った。
「何をですか」
「わたしは来月、区の医師会に届け出をしようと思っていた。あなたたちが来る前から、決めていたことだ」
蒼は少し驚いた。
「なぜ今?」
「川瀬が入院したからだ」と桐山は言った。「川瀬が体を壊したのは、わたしのせいでもある。あの場の運営を、あの人一人に頼りすぎていた。もっと安定した形にしなければ、関わる人間が削られていく。わたし一人の覚悟では、もう支えきれない」
「届け出ると、どうなりますか」
「過去の違反について、処分を受ける可能性がある。最悪、免許の停止や取り消しもありえる。わかっている」
「それでも?」
「それでも、だ」と桐山は言った。「五十年前、わたしは黙ったことを後悔した。今度は黙らない。それだけのことだよ」
蒼はしばらく黙った。
「先生、一つお願いがあります」
「何だい」
「三上が制度の調べ物をしています。届け出の前に、少しだけ時間をもらえますか。うまくいけば、処分を軽くする材料になるかもしれない。続けるための枠組みを先に作れれば、後の手続きも変わってくるかもしれない」
桐山は蒼を見た。その顔に、昨夏と同じ、何かが溶けていくような表情があった。
「あなたたちは、本当によく動くな」
「そうでもないです」と蒼は言った。「怖いことの方が多い」
「怖くて当然だ」と桐山は言った。「怖くない人間は、たいてい何かを見ていない」
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三週間後、三上が調べてきたことをまとめた。
区の福祉部門には、「医療的支援が必要な生活困窮者への支援事業」という補助の枠組みがあった。非営利団体が申請できるもので、医師が関与する医療支援活動を届け出ることで、一定の行政的な関与のもとで継続できる可能性があった。
「完全に問題がなくなるわけではない」と三上は言った。「しかし過去の活動について、人道的な観点から処分を軽減する事例は過去にある。福祉部門との連携実績があれば、医師会の判断も変わりうる」
葵が記録してきた十二年分の活動——のべ人数、対応した疾患、地域への影響——が資料としてまとめられていた。数字は地味だったが、確かにそこにあった。
「これを使う」と蒼は言った。




