第六章 川瀬の過去
月曜日の病棟で、川瀬の退院日が金曜日に決まった。
施設への転院ではなく、「本人の意思で退院」という形式だった。ソーシャルワーカーが福祉窓口の連絡先を渡し、行政への申請を勧めて、それ以上のことはできなかった。
蒼は川瀬のところへ行った。
「金曜日に退院ですね」
「そうらしい」
「行くところはありますか」
川瀬は少し間を置いた。「ある」
蒼はカーテンを引き直し、椅子を引いて川瀬の横に座った。
「川瀬さんに、聞きたいことがあります。嫌なら答えなくていいです」
川瀬は蒼を見た。
「医療のことを、よく知っているとうかがいました。薬の話とか」
「……そうか」
「以前、医療に関わっていたことがありますか」
川瀬はしばらく黙った。
窓の外で風が吹いて、木の枝が揺れた。
「医師だった」と川瀬は言った。
蒼は静かに「そうですか」と言った。驚きは内側に置いた。
「十五年前まで。外科だった」
「今は免許は?」
「取り消された」
「……医療事故ですか」
川瀬は蒼を見た。目に何かが走った。しかしすぐに、また遠くなった。
「そうだ」と川瀬は言った。「手術中に患者が死んだ。わたしのミスだった。業務上過失致死と、それに伴う免許取り消し。新聞にも出た」
「それから、ずっと?」
「賠償もした。家族も離れた。勤めていた病院を辞めて、しばらくは普通に働こうとしたが……名前が知れていたこともあって、うまくいかなかった。気づいたら、今のようになっていた」
蒼は何も言わなかった。
「医学の知識だけは残った」と川瀬は続けた。「それで、桐山先生のところで少しだけ役に立てると思った。患者を連れていく役なら、わたしにでもできる。行き場のない人間の気持ちも、わかる」
「桐山先生の診察を、手伝っていたんですか」
「手伝いではない。ただ繋いでいるだけだ」
蒼はその言葉を聞きながら、川瀬という人間の輪郭が、ゆっくりと見えてきた気がした。患者を死なせた医師。自罰として浮浪する男。それでも医療の縁を離れられずに、橋渡しを続けている人間。
「あなたに話すつもりはなかった」と川瀬は言った。「でも……学生のくせに、妙にしつこいな」
「すみません」
「謝るな」と川瀬は言った。声がほんの少しだけ、柔らかくなった気がした。
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その夜、蒼は三上に電話した。
川瀬が元医師であること。医療事故で免許を取り消されたこと。それを話した。
三上は長い沈黙のあとで言った。「それは……複雑だな」
「うん」
「医師が関わっていると、桐山先生の件もさらに問題が複雑になる。川瀬さんは医行為をしていないとしても、元医師が無届けの診察場所に患者を斡旋していたとなれば」
「わかってる」
「どうするつもりだ」
「まだわからない」と蒼は言った。「でも、川瀬さんが患者のためにやってきたことは、本当のことだと思う」
三上はまた黙った。
「……そうだな」と三上は言った。その声は少し低く、何かを考えている響きがあった。




