第二章 早期退院
週が明けて木曜日の朝、村松指導医が川瀬の退院について話した。
「身体的には問題ない。ソーシャルワーカーが今日、面談する。施設の空きが一つあるので、そちらを紹介する方向で」
カンファレンス室に、指導医と研修医、実習生の蒼と三上がいた。
「保険の処理は?」と研修医の一人が聞いた。
「医療費は未収になる可能性が高い。病院として対応する」
「施設は受け入れてくれるんですか、保険なしで」
「行政の支援を使う。時間がかかるが、動いてはいる」
そこまでは、蒼にも理解できた。手続きが踏まれている。動いてはいる。
しかし午後、ソーシャルワーカーと川瀬の面談が終わったあと、ソーシャルワーカーが疲れた顔で蒼に言った。「ご本人が、施設には行きたくないとおっしゃっていて」
「それは、なぜですか」
「理由は言ってくださらなかった。ただ、病院を早く出たいとは言っていました」
蒼は少しの間、考えた。
「川瀬さんに話を聞いてみてもいいですか」
「実習生が?」とソーシャルワーカーは少し驚いた顔をした。
「ダメなら構いません。でも、話せることがあるかもしれないので」
ソーシャルワーカーは少し考えてから、「指導医の先生に確認してから」と言った。
許可が下りたのは夕方だった。村松が「本人が嫌だと言ったら引いてください」という条件付きで認めた。蒼は一人で川瀬のカーテンを引いた。
川瀬はまた窓の外を見ていた。
「施設への転院の話、聞きましたか」と蒼は言った。
「聞いた。行かないと言った」
「なぜですか」
川瀬は少しの間、黙った。「縛られるのが嫌いだ」
「施設が?」
「施設というより……決まった場所に定まることが」
「でも、公園では冬は越せない」
「そうかもしれない」と川瀬は言った。「でも、それは俺のことだ」
蒼はどう返せばいいか迷った。川瀬の言い方には、突き放すような感じはなかった。ただ、静かにそう信じている人間の口調だった。
「行くところはあるんですか、退院したら」と蒼は聞いた。
川瀬はようやく蒼を見た。
その目は遠かったが、今度は少し違う色があった。何かを測るような、試すような目だった。
「……ある」
「どこですか」
「言えない」
「なぜ?」
川瀬は視線を戻した。「言ったら、迷惑がかかる人がいる」
その言葉が、蒼の頭に残った。
「迷惑がかかる人」。公園で一人で倒れていた人間が、他者への迷惑を案じている。それはどういう意味なのか。蒼には、その夜まで答えが出なかった。




