第九章 それぞれの朝
川瀬が退院したのは、十一月の末だった。
病院の裏口から出てくる川瀬に、蒼が声をかけた。「少し話せますか」
二人は病院の駐車場の端で、向かい合った。川瀬は薄いジャケットを着ていた。また同じジャケットだ、と蒼は思った。
「桐山先生が、届け出をしようとしています」と蒼は言った。
川瀬の目が動いた。
「俺たちは、それをできるだけ良い形にしようとしています。区の補助事業に乗せる方向で動いています。時間がかかるかもしれない。うまくいかないかもしれない。でも、動いています」
川瀬はしばらく黙った。
「なぜ、そこまでする」と川瀬は言った。
「あの倉庫に来る人たちが、行ける場所がほかにないからです」
「それだけか」
蒼は少し考えた。「川瀬さんが十年間、夜中に橋渡しをしてきたことを、無駄にしたくないというのもあります」
川瀬は蒼を見た。その目が、少しだけ変わった。
「……わたしは、患者を死なせた」と川瀬は言った。「橋渡しをしてきたのは、医療の役に立ちたかったからじゃない。罰として、やっていたんだ」
「罰と役に立つことは、両立しますよ」と蒼は言った。
川瀬は何も言わなかった。
「川瀬さんがいなくなったら、あの倉庫に来られない人がいます。続けてほしいです」
長い沈黙があった。
「考える」と川瀬は最後に言った。
それだけだったが、蒼にはそれで十分だった。
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十二月に入り、桐山義雄は区の医師会と福祉部門に届け出を行った。
三上が作った資料を携えて、蒼と文乃と三上が同行した。葵は外で待っていた。
窓口の担当者は、最初、困惑した顔をしていた。しかし資料を見ていくうちに、その顔が変わった。十二年間で対応した患者の延べ数、疾患の分布、地域の生活困窮者支援との重複。
「これだけの活動が、記録されていなかったんですね」と担当者は言った。
「記録されていたんです」と葵の声が、蒼の頭の中でよみがえった。「ただ公式の場所に届いていなかっただけで」
医師会の判断が下るまで数ヶ月かかった。
その間も、桐山は倉庫での活動を続けた。ただし区の福祉部門の担当者が一度、視察に来た。その担当者は一時間ほど見学し、何も言わずに帰った。一週間後、「継続を支持する意向」という非公式な連絡があった。




