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第3話 思いがけない出会い

「おはーさーす」


気の抜けた挨拶で会社に入る。

今日はもう、とりあえず定時まで働いたらめちゃくちゃ偉いんだから。

そう、長年好きだった相手に振られて間もなく、ベンチャー企業の社員を全うするなんぞ酷な話である。


平然を装いいつも通り仕事に向かい、

凛は無事に取引先とのミーティングと、担当案件の編集業務を終えた。


最低限のエネルギーで働いていたので、定時で即刻上がろうとカードを切る。


だが、聞き馴染みのない声に呼び止められた。

「凛さん、一瞬いいかな?」


振り返ると、緑のジャケットに細縁の丸メガネ、髪はショートボブのぱっつん前髪という、何とも特徴的な女性がいた。先月うちに転職してきたばかりのPR部署のマネージャーだ。


「深川さん、お疲れ様です。どうされましたか?」


「定時なのにごめんね。さっき上長から新しいプロジェクトの話が出て、凛さんと一緒にやるって聞いて。挨拶しておきたいなって」


「あ、ポップアップイベントの件ですかね?誰とやるとか詳細決まってないって話だったんですが、深川さんになったんですね!心強いです。」


「マネージャーなんて職位になっちゃってるけど、私入ったばかりでわからないことだらけで。ポップアップの件、企画からうちらが進行するみたいだからさ。どっかのタイミングで凛さんと色々話してみたいなと思ってて。」


「入って早々に新規プロジェクトなんて上長も酷ですよね、うちの会社でポップアップなんて初なのに。お話ぜひしましょう!」


「あ、じゃあ今日ちょっと飲みいくのはどう?突然だしよかったらだけど。」


意外と気さくな感じの人なんだな。見た目が派手な分ちょっと構えちゃってたけど、いい人なのかも。

ここはぜひって言うべきだよね...でもなあ、もうエネルギー切れなんだけどなあ...。

「ぜh...」


「疲れてたらいいのよ。あ、でも話して疲れ飛ぶタイプだったら誘っちゃうけどね〜」


凛が思考を巡らせていたのは1秒もなかった。

にもかかわらず、そのわずかな間に、深川さんはしっかり気づいたようだ。


凛はびっくりして、つい事実を話してしまった。

「あ、疲れているというか、私実は振られたばっかりでエネルギー切れで。行きたくないとかじゃないんです」


「うそそうだったの!無神経に誘ってごめんね〜!私でよかったら話聞くよっていうか、聞きたいまであるけど笑」


「え、いいんですか!」


「うん、なんかそういうときって人に話した方が意外と気持ち楽になることもあるかもだし。凛さんより歳いってる私じゃジェネギャあるかもだけど、逆にその方が話すのも楽だったりするかな〜とか」


「聞いてもらえる人がいるなんて思ってなかったです。ぜひお願いします...!」


「じゃ決まりね!近くの居酒屋にでも行こうか」


第一印象とは全く違う。随分と気さくで優しい女性なんだなあ。

ほとんど話したことのない初めましての人と飲みに行くことになるとは思いもよらなかった。よりによってこんな振られた直後に。


でも確かに、深川さんの言うとおりかもしれない。あまりよく知らないし、職場でも関わりのなかった人だからこそ、自分のぐちゃぐちゃな話をしてもいいやと思えてくる。




近くの鳥民族に入って早々、メガジョッキとグラスで乾杯する。

緑のジャケットに細縁の丸メガネ、明るめの茶髪にぱっつん前髪という風貌に、メガジョッキはあまり似合う気がしない。深川さんという人は、どうも見た目とは別人と捉えた方が良さそうだ。


「深川さん、結構飲む人なんですね。最初からメガなんて笑」


「あ、いや。どうせ2杯飲むじゃん?けど2杯目頼むのになんかペースとかタイミングとか考えちゃうからさ。みんなと合わせた方がいいかなとか、こっちから聞いたら急かしてるみたいになるかなとか。最初からメガ頼めば考えなくて済むから楽なんだよね〜」


「え!そんな理由ですか!意外と繊細なんですね、深川さんって。てっきり飲む人だからかと笑」


「そうかも。気にしいだよねってよく言われる」


やっぱり別人だ。目の前の人の姿と中身が違いすぎる。

これはギャップ萌えでめちゃくちゃモテてきたタイプだったりするのでは...

進藤くんに振られたことで頭がいっぱいの凛は、そんなことを思った。



「それで凛さん、その、振られたって言ってたけど、どんなことがあって?」

深川さんが興味ありげな顔で聞いてくる。


「あ、それがですね、実は私、昨日振られたばっかりなんですよ。それも8年好きだった人に。最初に好きになったのは...」

凛は事の経緯を全て話した。


進藤くんは高校の後輩で卒業後にもちょくちょく会う関係だったこと、

LINEのやり取りが幸せだったこと、

突然彼女ができたと言われたこと、


凛の話を頷きながら真剣に聞いていた深川さんは、聞き終えておもむろに口を開く。

「思ってたよりものすごいボリュームだね。本当に好きだったんだねえ」


「そうなんです。結婚相手見つけちゃったなんて。悲しいです...私はこれからどうしたらいいんですかあ」

悲しさと、悔しさと、自分ではどうすることもできないもどかしさ。

もう彼に期待してはいけない、今までみたいな感じで会うことはできないんだという寂しさ。

大人気ないと思いながらも、このぐちゃぐちゃな感情を、深川さんにそのままぶつけてしまった。


深川さんは丸メガネの奥でふっと目を細めて言った。

「正直ね、こんなドラマみたいな話が本当にあるんだって思ったよ。すごい経験じゃない。私にはできない。」

「凛さんの歳くらいのとき、私は仕事一直線で全然恋なんてしてこなかったからさ。戻りたくなるよ。」


「え、深川さん、恋多き女かと思ってました...。違うんですか?」


「そんな、私は元々モテるタイプとは程遠いし、出会いの場にも行かなかったから恋沙汰なんてなくて当然よ」


「びっくりです...!見た目ちょっと派手で我が道行くタイプに見えるのに、すごく話し方とかも柔らかいし、お気遣いもすごいし、優しいなって思うし、ギャップがたくさんあって絶対モテると思うじゃないですか」


「そんな嬉しいこと言ってくれるのね。私が若かったときに凛さんが隣にいたらよかったなあ。」

「でもね、そうやって人のいいところを素直に見つけて伝えられる凛さんなら、そんな落ち込んでる暇ないわよ」


「どういうことですか」


「これからまたすぐモテるってことよ」


「30歳になってもお互い誰もいなかったら結婚しましょうって言われたのに、裏切られちゃうような女ですよ!仕事のモチベも持てないし、これからどんな仕事してどう生きるかも何も決まってないのに、男なんて見つかんないですよーー」


「まだ30になってないでしょ?その発言、まだ時効じゃないよきっと。凛さんが30歳になったとき、凛さんの生き方が確立されてて、仕事もできて、今のまま素直ないい子だったら、進藤くんほっとかないかもしれないじゃん。まあその前に、もっといい人が凛さんを放っておかないだろうけど。」


「確かに、そっか!時効じゃない...」


「進藤くんを諦めないために言ったわけじゃないんだけど?」


「すみません笑笑」

「まずは自分の仕事のモチベを、自分の中で保てるようにしていかなきゃですね。」


「そうそう!凛さんが凛さんらしく、素直に生きていけるように頑張ったらそれでいいの。そうやって自分のまま輝いていたら、そういう凛さんが好きな人たちが寄ってくるよ」


「なんかめっちゃいいこと言うじゃないですか」

「明日会社辞めようかなー」


「プロジェクトは一緒にやってよ〜もう!さっきの素直ないい子の凛さん、どこ行ったんよ笑笑」


「すみません笑、でもなんか、だいぶ前向きになれた気がします。話してよかったです」


「それはよかった〜、でも凛さん、もしかしてこの仕事でってより、もっと他にやりたいことがあるみたいな感じするね?」

「もしあるんなら、そっちちょっと頑張ってみるのも自信に繋がるのかなって思ってさ」


「え、今の話だけでそんな?あるにはあるかもしれないです...けど、まだ具体的なことがわからないんです。ただ、会社員じゃなくて、自分で何かしたいので事業主にはなりたいです。」


この人はエスパーか何かか?

自分でもわからない感情さえ伝わっているんじゃないかとびっくりさせられる。深川さんはこれまでにいなかったタイプの人間だ。

事業主になりたいなんて、平社員のしかもメンバーランクの人間がよそに話すには随分とハードルが高い。

にもかかわらず、スルッと凛の口から滑らせてしまったのは、相手が他ならぬ深川さんだからだ。


「事業主かあ〜、めっちゃいいじゃん!そういう人たちと会ったり話したりしてみたらなんか見えてくることあるかもしれないね?」

「ほら、私とかだとずっと会社員やってきた身だからわかんない分野だしさ。知ってる人に聞いた方がその具体的にならない部分、見えてくるかも」


「さすが先輩です...。たしかに、聞いてみるとかなんかアクションしたこと今まで何もなかったかも。自分の夢に進むのが怖くて、夢を知ったら進まなきゃいけない気がして、それで逃げるために進藤くんに執着があったとかも可能性ありますね」


「うんうん、まずはそこだね!応援するよ!」


この短時間で熱心に耳を傾け、前を向かせてくれた深川さんには感謝しかない。

ほぼほぼ凛の話で終わった飲み会だったが、深川さんはずっと優しい表情のままだった。

帰り際も「楽しかった。また飲もうね」と言ってくれた。



「恋より先に、自分探しかあ。」

最低限のエネルギーでとっとと仕事して、無難に今日を終えるはずだったのに。

深川さんという人間に出会ったことで、凛は無視できない事実を知ってしまった。


"結婚相手を見つけたい"

"25歳なのに、結婚相手がいないなんて"


そんな思いは、自分の鎧に過ぎなかったんだ。


私は私の人生と本気で向き合う必要がある。

とりあえず、週末新しい人に出会ってみよう。


凛はリマインダーに"生き方探す"と入れてベッドに入った。



_____________



このときの凛はまだ気づくはずもなかった。

深川さんとの出会いが、凛の結婚運命を加速させることになるとは。

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