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アイスに恋とスターチス  作者: 由寺アヤ
第五章 光
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二十五話 岳の道のり②


 店長に何回質問しても、返事が無い日々が続いた。


『木曜日に分かるから』と言われ、遂に昨日はしつこいと怒られてしまった。

なぜ怒られるのだろうか?そんなことを考えていると、約束の木曜日になった。


長かった様な短かった様な。

数日前に店長から、空手の用意も持って来いと連絡が入った。


いよいよ本当に何をするのかが謎に包まれた。

空手の用意だから空手をするのだろうか。

でも高校のあの時以降、岳は一度も空手に手をつけた事がなかった。


今の"大河内岳"に一体、あの大学で何ができるか。

謎は多いまま接骨院が定休日の木曜日に、店長と大学に向かった。

 

あまりにもスムーズに大学内を案内してくれる店長に一つ質問した。


「店長、ここの大学詳しいんですか?」

 

すると店長は驚いた顔をして、それから説明してくれた。

でもその前にまた叱られてしまった。


「お前、少しは周りに興味持て。

俺がこの大学のOBな事くらいお客さんでも知ってるぞ」


その言葉でやっと気が付いた。

そう言えばそうだったと。

店の中に貼っている店長のプロフィールに、旭陽大学の空手部出身と書いているのを。


当時の旭陽大学の空手部は、地元では有名な強豪チームだったと。


わざわざ太文字にしている理由は、そのチームの一員だった事をお客さんからも褒められたいからだと思い出した。

 

「その様子だと、検討もついてないな」

 

店長が呆れながら、この一週間どんなに質問しても答えてくれなかった事を話し始めた。

 

要するに話をまとめると、店長が岳の電話番号を教えた相手は旭陽大学の空手部の顧問で、就職の話で岳をスカウトしたいとの事らしい。


「今の顧問は、俺が大学の頃に練習をよく見にきてくれていたOBの方で、年も近かったから当時から仲良くさせてもらってる」

 

急に訪れた就活の一環、そう聞かされて少しの動揺と、店長の話で頭の中が大変な事になっていた。


「お前、まだ就職先決まってないだろ?」


「……はい」


「話聞くだけでも聞いて、考えな」

 

もう一つ、動揺していることがあった。

その動揺は、昨日の夜から今もずっと続いている。


クローゼットの奥から引っ張り出してきた道着と帯とテーピング。


そして今は道場を目の前にし、言葉にできない感情が心にはある。

一歩目が出ない。

足が地面に張り付いて動けない。

この雰囲気に心が押し潰されそうになるのを我慢し、ただ道場を見つめていた。

店長はそんな岳を静かに見守っていた。

 


 あれからどれくらい時間が経っただろうか。

練習中の一人の生徒が、岳と店長に気が付き挨拶をした。


一人の挨拶が部員全員へと広まり、岳もやっと我に返り静かに頭を下げた。

 

店長に肩を優しく叩かれ、岳は店長の後についていった。


「ご無沙汰してます」

 

店長と顧問らしき人が仲良さそうに握手を交わしていた。


「こんにちは。大河内岳です」


「待ってました」

 

その顧問は右手を伸ばし岳にも握手を求めた。


「すぐに着替えてきてください」

 

握手は一瞬で終わり、指差されたのは更衣室の方向だった。

店長の方を見ると、笑顔でいってらっしゃいと手を振っている。


この前の電話と言い、今の数分だけしか顧問とは関わっていないが、どこか店長と同じ匂いがした。

強引で勝手で自由で。


でもどこか、素直に従ってしまうそんな力を二人は持っている。

そして岳は言われたままに更衣室に向かい、着替えを済ませた。

 

岳の本心はどう思ているのだろうか。

本当は嫌だったかもしれない。

一度諦めた空手を、本当に大好きだった道着を手放すのは相当辛かっただろう。

それ程に岳にとっては空手が全てだったから。

あれ以来、空手に触れる時間が無かった岳にとって今はどんな気分なんだろうか。

 


でも後日岳から電話で聞いた言葉は、前向きな言葉だった。


「いざ道着を着て帯を締めて、

相手の前に立つとドキドキした。

全然乗り気じゃ無かったけど、

やっぱり空手は楽しくて面白い」

 

そう笑いながら話す岳の声を聞いて、岳の空手好きはまだ心に残っていたのだと私は密かに嬉しくなった。


「それでその顧問の要件はなんだったの?」

 

私は岳に聞いた。

現役学生の相手をするために、数年ぶりに空手をする岳を読んだのではないだろう。


「スカウトされた」

 

電話越しにでも喜んでいたのが分かる。

 

一瞬だけ、今頃何をスカウトされたのかと思ったが、どうやら岳の就職先が決まりそうだ。

岳はよっぽど嬉しかったのか、当時の様子を詳しく教えてくれた。


初めはいきなり着替えさせられ、いきなりエースの現役生と向かい合わせになり、一瞬で負けた。

その様子を顧問と店長は笑って見ていたと言う。


「岳〜、サボってるから負けるんだぞ〜」

 

店長は笑いながら、ここぞとばかりに岳に嫌味をぶつけている。

その横で、よく知らない顧問も高らかに笑っている。

やっぱり性格が似ていると岳はその時確信した。


店長に関わるとろくな事が起きない。

つまりあの顧問と関わっても良いことは起きない。

久しぶりの道場で横になりながら岳はそう思った。


「大河内君、一緒に働かないか?」

 

たったの一回だけ対戦し、負けた後はすぐに着替えてきていいよと言われ、言われるがままに着替え終った後、顧問は岳にスカウトした。


本当に次から次へと展開が変わっていく。

それも勝手に次に進められる。


『一緒に働かないか』この言葉を理解するのに少し時間がかかった。


「来年から、うちの大学で日中は職員となり事務作業をしながら、メインは空手部のトレーナー兼コーチはどうかな?」

 

岳は顧問を二度見した。

岳は空手を諦め、推薦を貰っていた大学進学を諦め、トレーナーの道を目指した。

目標があったからこそこれまでやってこれた。

トレーナーに必要な資格は出来る限り取得し、専門学校に通っている間は、学校とは別で店長の接骨院で修行をしている。


これまでの全てがトレーナーになる為だった。

あわよくば空手に関わるトレーナーになりたいと。

でもそれは難しいかもしれない。


それでもチャンスがあれば頑張りたいと。

そして今、そのチャンスが岳の目の前に来ていたのだった。

 

岳は悩む間もなく、すぐに返事をした。

中々就職先が決まらないからじゃない。

本当に夢に見た、目標としていた仕事に誘って貰えた事に感動し、すぐに返事をしたのだ。

 

その日の帰り道に、岳は店長に感謝した。


「店長のおかげです。

僕を推薦してくれて本当にありがとうございます」

 

肝心の店長は、また不思議な顔をしている。

まるで『こいつは何を言っているのか』と言いたそうな顔だ。


「俺は何も言ってないよ」


「え?」


「飲んでる時に、向こうがある一人の空手少年の話をしだして、辿っていけばお前だったと。

それが分かった顧問はすぐに連絡先を教えろって」

 

てっきり店長が就職先が中々決まらない岳を見かねて、話を掛け持ってくれたのかとばかり思っていた。



「これは偶然じゃない。

四年前にお前の頑張りが監督の目に留まり、その頑張りが俺の所や学校で今も続いていたから巡り合わせてくれた必然的な事だ」

 

空手も何もかも諦めて以降、初めて岳が認められた様な、初めて岳に春が来た様な、久しぶりに嬉しい出来事が岳の所に舞い落ちてきた。

 

岳は四年ぶりに静かに涙を流した。

店長が運転するその横で岳はずっと泣き続けた。

嬉しくて胸が苦しくなって、涙を流したのは随分久しぶりだった。


その前に涙を流したのは、怒りと悔しさだっただろうか。その日から今までの葛藤や努力の日々が、少し報われた様な気がした。

 

それでもやっぱり、店長に感謝を伝えずにはいられなかった。

家に着く頃には泣き止み、今度は泣きすぎて何を話したらいいのか分からない状況になっていた。


そして店長の事だ。

今日の大泣きを今後絶対に馬鹿にされる。

大きい身体をした男が、メソメソとこの店長の前で泣いた所で何一ついい事はない。

それでも珍しく今日は最後まで静かに見守ってくれていた。


店長も空気は読めるみたいだ。

 

わざわざ家まで送ってくれた店長に、もう一度感謝の気持ちを伝えた。

後は頭を下げて店長の車を見送るだけだった。



「明日、玲花ちゃんに言おう」

 

店長の車は遠くに消えていった。

そして次の日店に行くと、店長と玲花さんは岳を見ながら笑った。

何も言わずに岳を見て笑っている。

そして頷きながら岳の肩をトントンと二回ずつ叩き自分の仕事に戻っていった。


この二人は、わざわざ笑う為だけに入り口で待っていたのだ。

 

岳は想像した。

あの顧問は店長と似ているという事は、またこのような日常が待っているのではないかと。


やっぱりもう少し考えてから返事をした方が良かったのかと。

でも店長の性格と、これまで頑張って来た目標を天秤に掛ければ、それはもう店長なんてすぐに落ちてしまう。


何かを得るには何かを諦めなければいけないとはこういう事かと身に染みて感じた。

 


でも私が思うに、多分岳は店長の事は心から尊敬していて、あの性格も含めて好きだと思う。

じゃないともうすぐ四年という長い月日を、見習いに費しはしないと思う。

 


こうして岳は一ヶ月後、無事に旭陽大学に就職が決まった。



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