二十四話 岳の道のり①
大学で四回目の春を過ごしていた頃、岳の携帯に一本の電話が鳴った。
四年生にもなれば、私服はスーツだ。
スーツを着て慌てている自分が、どこかカッコよくて、少し楽しい日々を送っていた三年生の冬。
でも今は、そんな事も言ってられないくらいに追い込まれてきた。
なぜだろうか。
履歴書だけで落とされる日々は、頑張っていても選ばれない、どこか部活でレギュラーになれなかった瞬間を思い出す。
説明会に参加しては、自分の描いていた将来像とは大きくかけ離れ、それでもその会社に向けて履歴書を書いている。
初めは丁寧に書いていた履歴書も、私の性格の問題だろうか、凄く雑になっている。
履歴書に追われ、エントリーシートに追われ、このままスーツをパジャマにしてしまいたいくらいだ。
そんな日々を私と岳は共に送っていた。
岳に関しては、就活だけでなく、資格の勉強もしながら将来の為のアルバイトまでしている。
単位に関して私は、授業にさえ出席していれば前期で卒業までに必要な単位は獲得できる。
私の学部は卒業論文も無いので、後は就職さえ決まれば自由の身だ。
スーパーでのアルバイトは、就活が終わるまでは少し休みをもらっている。
もうすぐスーパーで働いて三年が経ち、店長とも仲良くなり休みをもらえた。
日頃から頑張ってくれているからと、店長が言ってくれたのだ。
かと言ってアルバイトをしないと、生活に支障をもたらしそうなので、結局は週に二日はスーパーに出勤している。
それに大学四年生とは、私が今まで長い間続けてきた部活の最後の年でもある。
十六年間のテニス人生のラストの年だ。
最後まできちんとやり遂げたい。
その一心で就活、部活、アルバイトを日々こなしている。だから、最近は岳にも中々会えないでいる。
しばらくは岳も忙しくて、デートなんて夢のまた夢だった。
そんな目まぐるしく回る私の日常のすぐそばで、陽咲は私から見て特別輝いていた。
彼女は単位も取り終わり、就活も終わり、すでに自由の身である。大好きなバスケと、楽しそうな居酒屋でアルバイトしている陽咲は本当に羨ましい。
私も早くそっち側に行きたくてしょうがない。
そんな時だった。
日常がバタバタしている時に、岳の携帯に一本の電話が来たのだ。
岳はいつも非通知の電話には一切出ない。
でもその時は就活をしていたから、念のために出た。
その男は電話越しに、岳に高校時代の話をしたそうだ。
まず『久しぶりです』と見知らぬ男の声がし、岳は電話を切ろうとした。
「光山高等学校の空手部だった、
大河内岳君ですか?」
その単語に、岳は反応せずにはいられなかった。
切りかけた電話を、もう一度耳に当て直し話を聞いた。
電話の相手は高校生の頃に、岳の大会を見て実はスカウトをしていた大学の空手部のコーチだった。
岳が高校生の時に、推薦が決まった大学とはまた別の大学だ。
岳はその様な話を聞いた事が無かった。
でも初めて聞いたスカウトの話も、岳にとってはもう興味は無かった。
一体今頃、何の用事があってわざわざ電話をしてきたのか、そればかりが気になったがその大学のコーチは四年前と同じ内容を岳に言う為に、電話してきたのだった。
「とりあえず、一度会いたいので大学に来てほしい」
それだけを言い、岳は返事をする間も無く電話は切れてしまった。
嵐の様に電話の向こうで話す男についていけなくて、少し我を失っていると、気付けば岳もアルバイトの時間になっていた。
とりあえず、準備をしてバイト先である接骨院に向かった。
接骨院にギリギリの時間に到着し、店長から珍しいねと声を掛けられた。
この店長は、凄く腕の良いトレーナーで、沢山の有名スポーツ選手を見てきたちょっと凄い人だ。
これで性格も良ければ心の底から尊敬できるのだが、岳のことをからかい過ぎて岳からはトレーナーの技術以外は信用されていない。
それでも岳が大学に入ってからずっとここで働いていて、それなりに二人の信頼関係は出来上がっている。
そんな店長が信頼関係を失くす様な発言をしたのは、開店前の掃除が終わろうとしている時だった。
「ある人にね、女の子紹介してもらう代わりに、岳の電話番号教えちゃった」
岳の開いた口が閉じないまま、接骨院は開店時間になり外で待機していたお客様が二人、ドアの外で待っていた。
「岳、時間だよ。ドアの鍵開けてきてね」
そう言って、店長は奥に消えていった。
店長の頭には音符マークが付いている気がする。
「こんにちは」
岳は並んでいたお客様に挨拶しながらも、頭の中はどうやって店長に嫌な思いをさせてやろうかと考えていた。
店長のからかいは、毎日一つは行われる。
でも個人情報を勝手に教えるのは、本当に信用できないと、でも店長ならやりかねないとどこか諦めている岳。
こうやって、四年間も店長に振り回されている。
店長は岳の全てを知っている。
もちろん私の事も知っているらしい。
そして、高校のあの事件も岳は店長に、全部話しているそうだ。
その上で岳を雇って岳は店長の元で見習いをしている。就活生だろうがお構い無しにシフトを入れるので、私は顔も知らないその店長を勝手に、結構な鬼だと予想している。
その日は考え事をしていてなのか、一瞬で閉店時間になった。
「勝手に人の個人情報教えといて、
ご飯くらい奢って下さい」
「牛丼行こうか」
「焼肉で」
「……」
それぐらいはしてもらわないとと思い、焼肉を奢ってもらった。
ここぞとばかりに、高いお肉を注文しては食べ続けた。
「岳君よ、後悔しても知らないよ?」
店長が目の前でその食べっぷりを見ながら、自分はキムチばかり食べている。
「何がですか」
ご飯を口に駆け込みながら岳は店長に聞き返した。
「それ自分で払わないといけなくなるかもよ」
店長もようやくキムチを食べ終わり、お肉を焼き始めた。
何か意味深な顔をしている。
何か企んでいる顔だ。
そして岳には勝機の無いそんな顔をしている。
「今回ばかりは店長が百パーセント悪いです」
岳がそう言うと店長はまた黙って、今度は石焼ビビンバを食べ始めた。
そこから話は私の話や専門学校の話をしたそうだ。
「一回、むぎちゃんに会いたいな。
今度ご飯でも行こうよ」
「絶対に嫌です」
私も一度は店長さんに会ってみたい。
でも岳は絶対に嫌がった。
理由は次の日から、絶対にいつもの倍以上でからかわれるからだそうだ。
二人の話は、どこか小学生のやり取りの様に聞こえた。
お腹がいっぱいになり、最後のアイスを食べ終わり机の上に置かれていた伝票を岳が先に手にした。
そして店長に『ごちそうさまです』とその伝票を渡した。しっかりと払っているのを見届けて店を出た。
「もう一軒付き合って」
その日、店長は珍しく岳をすぐには返さなかった。
いつもだと早く奥さんと娘さんの居る家に帰りたがるのに。
こう見えて店長は、一途に奥さんと娘のことを想っているそうだ。そこだけは共感できると岳が言っていた。
着いた先はカフェだった。
とりあえず注文して、カウンターでドリンクを受け取り席に着いた。
すると店長は真剣な顔でおかしな事を話始めた。
「非通知で電話来なかったか?」
なんで店長がそんな事まで把握しているのか、すぐには理解できなかった。
「男の人から電話来ただろ?」
「もしかして大学のコーチの事?」
店長はコーヒーを飲みながら頷いた。
岳はまだ分からなかった。
「昔からの古い知り合いでな、お前の連絡先を知りたいって言われて教えたんだよ」
ここで岳はやっと全ての事に納得した。
いくらの店長でも勝手に人の電話番号を教える様な事はしない。...と信じたい。
そして、今日電話をかけてきた大学のコーチはどうやって岳の電話番号を知ったのか不思議でたまらなかった。
「なんで僕ですか?」
店長は大事なことを最後まで引っ張るのが大好きだ。そして悪い顔をしている。
「なんて言われた?」
「一度会いたいから大学に来てって」
店長は携帯を開き、何かを確認したのかすぐに携帯を閉じた。
「来週の木曜日、一緒に大学に行こう」
そう言って立ち上がり、店を後にした。
岳も慌ててドリンクを飲み干し、店長を追いかけた。
その後は何を聞いても、とりあえず大学に行ってからとしか返事は返ってこず、気が付けば店長は車に乗り、岳は外から店長に話しかけていて、『いっぱい食べたんだから走って帰れよ』と車のエンジンをかけ行ってしまった。
初めてくる少しオシャレなカフェの駐車場に一人残され、携帯を開くと店長からメッセージが届いていた。
『奥さんと娘が待ってるから、お前を送っていく時間がないんだわ』
岳はそのメッセージを見た後、すぐに携帯を閉じ、静かにため息を吐き、仕方なく走って最寄りの駅に向かった。




