第3話 テイシアから見たラインとカールの修行
剣聖の血脈 ―テイシア視点・継承の章―
――あの人は、今日、剣を継ぐ。
朝日が砦の石壁を淡く照らし始めたころ、私は小さな寝息を立てる腹にそっと手を添えた。
「もう、行ったのね……」
ラインは私を起こさぬよう、音もなく部屋を出た。彼がそういう気遣いをするのは珍しい。きっと、今日という日が、彼にとってどれだけ大切な日かを知っているからだ。
私はゆっくりと腰を上げ、窓の外を見やった。砦の裏山の方角、霧のように淡い朝靄が道を覆っている。
そこに、彼がいる――祖父と共に。
カール=キリト。フリューゲンの王配にして伝説の剣聖。威厳と静けさを兼ね備えた、まさに“守護者”という言葉が似合う人。
彼がラインに奥義を授けるという。
それは、ただの技術の伝承ではない。想いと覚悟、血と誇りを受け継ぐ儀式。
私は手を胸に置いた。まだ鼓動が高ぶっている。まるで、誰かを送り出す母のように。
……いいえ、違う。これは、愛する人が“戦う理由”を新たに見出す瞬間を、ただ祈るしかできない自分への――覚悟。
◇
あの人が初めて私の手を取ってくれたあの日から、すべてが変わった。
追放され、誇りも、地位も、国もすべてを奪われた私に、唯一残っていたのは「生きたい」という願いだけだった。
ラインは、それに応えてくれた。
優しさでも、同情でもない。ただ、真っすぐに、「一緒に行こう」と。
あの人がいなければ、私はとっくに諦めていた。王家の血を呪い、命を閉ざしていたはずだ。
だからこそ――
あの人が「守りたい」と願うものを、私は誰よりも知っている。
それがこの国であり、仲間であり、そして私であり、今この胸に宿る子だということを。
◇
私は足を運んだ。砦から裏山へ続く古道を、ゆっくりと、慎重に。
お腹に手を添えながら、道場の近くまで来ると、不思議な静寂が辺りを支配していた。
風が止み、森が息をひそめる。
ただならぬ気配。剣の気配――それは、かつて城で何度か見た、カール殿の戦気によく似ている。
私は木陰に隠れ、その場に身を潜めた。
やがて、聞こえた。
「――“守人ノ型・一ノ閃”」
その声と同時に、空気が揺れた。目には映らぬ一閃。だが確かに“何か”がそこにあった。
ほんの一瞬。なのに、永遠のように感じられる静寂の後、ラインの問いが聞こえた。
「……今のが?」
その声に、私は目を閉じた。
驚き、畏れ、そして憧れ――少年の心から、何かが変わろうとしている音だった。
◇
「守れ。テイシアを、子を、仲間を、そして――アールヴェリアを」
カール殿の声が道場の外まで響いたとき、私はふいに涙がこぼれそうになった。
不安だった。国を背負う覚悟を彼に課すことに、ほんの少しだけ、恐れていた自分がいた。
けれど今――彼は迷っていない。
まっすぐに受け止め、自分の中に飲み込んで、それでもなお前を向こうとしている。
「……オレ、誓うよ」
その一言で、私はようやく、深く息を吐いた。
彼は、もう少年ではない。
かつて私の手を取り、暗闇の中で共に走ってくれた青年は、今――誰かを導く存在へと歩み出している。
◇
やがて、道場の扉が開き、ラインが姿を現した。
私は木陰から静かに見つめる。その横顔に、迷いはなかった。
剣を腰に下げ、朝日を背に、空を見上げるその姿。
胸が高鳴る。涙が込み上げる。
「……あなたは、本当に強くなったわね」
彼に聞こえないほどの小さな声で呟く。
でも、きっと届いている。今のあの人なら、風の音さえも剣に感じ取るはずだから。
私はそっと、自分の腹に手を当てた。
「大丈夫よ。あの人なら、あなたを守ってくれる。どんな未来が来ても」
お腹の子が、小さく動いた気がした。
私は笑った。どこか懐かしい気配が、風に乗って通り過ぎていった。
それはきっと、かつての王国でさえ感じたことのない、未来の鼓動。
◇
この国は、まだ脆い。
建国から日が浅く、統治機構も不安定。周囲の諸国は様子を伺い、かつてのアレクサンダーの残党は今も地下に潜んでいる。
だからこそ、“守る者”が必要だ。
剣を持ち、ただ振るうのではなく――誰かの盾となれる者が。
その役目を、彼は選んだ。自らの意思で。
私はその覚悟を、誇りに思う。
そして、彼が背負ったすべての想いを、支える者でありたい。
◇
「……おかえりなさい」
砦の門をくぐり、戻ってきたラインに、私は微笑みかけた。
彼の眼差しは、どこまでも静かで、そして強かった。
私の横を通り過ぎる風が、《星霞》の柄に触れ、かすかに鳴いたような気がした。
それはまるで、祝福の調べ。
新しい“剣聖”の物語が、今、始まった。




