第1話 ライン、カール=キリトとの稽古
剣聖の血脈 —修行の章—
砦の中庭は朝露に濡れ、澄んだ空気が肌を冷やす。だが、そんな静けさを破るように、一本の鋼が風を斬った。
カシュッ――。
ラインの剣が、空を切る。続けざまに踏み込み、胴を狙って一閃。だが――
ガンッ!
刃はあっさりと老剣士の木剣に弾かれ、ラインの身体が横に弾かれた。
「まだまだ甘いのう、ライン」
カール=キリトは悠然と立っていた。白銀の髪を後ろで束ね、しわ一つない姿勢。その構えには、一点の隙もない。
「くっ……!」
地面に片膝をついたラインが、額の汗を拭いながら立ち上がる。肩で息をしながらも、目の奥には燃えるような闘志が宿っていた。
その様子を、砦の壁の上から見守る面々がいた。
「……え、あのラインが……全然当たってない?」
ミリーナが目を見開いてつぶやく。
「本気だよね、これ……?」
エイミーが魔力感知でラインの動きを読み取りながらも、信じられないといった表情を浮かべる。
「カールさん、まるで動いてないみたいなのに……」
ユイナが尻尾をふるふると震わせながら、拳を握りしめる。
「さすが、“剣聖”と呼ばれた人ですね……」
テイシアは膨らんではいないお腹にそっと手を当てながら、固唾をのんで見守っていた。
中庭では、再び木剣が交差する。
ラインは今度、左回りのステップから背後を狙うように切り込む――が、次の瞬間にはカールの剣がその動きを完全に読み切っていた。
ガギィィィンッ!
「なっ……!?」
軌道を変えたつもりの一撃すらも、まるで最初から見えていたかのように止められる。だが、ラインは食い下がった。
「まだだっ!」
剣風がうなる。追撃、回転斬り、上段からの斬撃。流れるような連撃を浴びせかけ――ついに、カールの頬をかすめる一閃が走った。
「おおっ……!」
見守る誰もが声を上げた。
「今の、入ったんじゃ――」
「……いや」
ラービンが耳をぴくりと動かしながら、低く言った。
「交わしてる。あれは、わざとギリギリをかすめさせた動きだ」
その言葉通り、カールの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「よく見た。今のは悪くなかったぞ、ライン」
「は、はは……褒められると、逆に怖い……!」
ラインは汗を滴らせながらも構えを解かない。
――その時だった。
カールの足が、わずかに前へ出る。
その一歩だけで、空気が変わった。まるでそこに、剣圧という名の嵐が吹き荒れるかのように。
直後。
――ドンッ!
カールの木剣が、一歩で間合いを詰めると同時に繰り出された。ほとんど見えなかった。いや、見えても動けなかった。
「ぐっ……!」
ラインが木剣を交差させて受け止めたその一撃は、衝撃で両足が地を離れ、数メートル後ろへ吹き飛ばされた。
「ライ、ラインっ!」
テイシアが思わず叫ぶが、ラインはすぐに受け身を取り、地面を転がりながら立ち上がる。
「くそ……じいちゃん、どんだけ……!」
笑いながら立ち上がるその顔には、しかし確かな畏怖と敬意が浮かんでいた。
カールが軽く木剣を肩に乗せる。
「わしが“剣聖”と呼ばれておるのは、伊達ではないということよ。だが――」
その瞳が、鋭く細められる。
「おぬしには、それを超える“才”がある。だからこそ、厳しくもなる。わかるな?」
「……ああ。オレが、この国を守る剣になるからな」
言い切ったラインに、カールは満足げに頷いた。
やがて、日が中天に差し掛かる頃、ようやく修行は一区切りついた。木剣を下げたカールが、背後で稽古を見ていたユイナに目を向ける。
「おぬし、狐耳の娘。剣の心得はあるのか?」
「えっ、わ、私ですか!? あの、ちょっとだけ、護身程度には!」
ユイナがあたふたと尻尾をばたつかせながら答える。
「なら、明日からラインと共に修行してみよ。見取り稽古だけでも学ぶものはある」
「ひぇぇ……や、やってみますぅ……!」
周囲に笑いが起きた。
中庭の空気は、次第に穏やかになっていく。
その後、テイシアがラインに近づいてきた。
「大丈夫? あんなに吹っ飛ばされて……」
「平気平気。骨は折れてないしな」
ラインが冗談めかして笑うと、テイシアもほっと息をつく。
その瞬間、カールが一言だけ、ぽつりと呟いた。
「だが……この平和が、いつまでも続くとは限らん。剣を置いてもいいのは、すべてを守りきった者だけじゃ」
その言葉に、皆が静かになった。
遠く、空を渡る風が、過ぎし戦の匂いをかすかに運んできた。
――そして、まだ見ぬ新たな試練の気配も。
ラインはそれを感じ取りながら、静かに空を見上げる。
(オレは……この国と、家族を、守るために強くなる)
剣聖の血を継ぎし者として――いや、一人の“剣士”として。
彼の戦いは、終わらない。




