第74話 テイシア、夜明けの対話
『夜明けの対話』
風が、丘の草をなでていた。
かすかな焚火の匂いが残る夜。戦の喧騒が過ぎ去った後の静寂が、砦の片隅を包んでいた。
私――テイシアは、その丘の上に立ち、遠く連なる山並みを見下ろしていた。
その向こうに、かつて私が「王国の民」として育った土地がある。
そして今、それは「自由連邦」になろうとしている。
「……悩んでいるのか?」
後ろから、静かな声がした。
振り返らずとも分かる。
その足音も、その気配も、何よりこの胸の鼓動が教えてくれる。
「……ライン」
「皆、そろそろ寝静まった。ラービンもエイミーも、安心して眠ってる。ユイナは……焚火の番だってさ」
「ふふ、彼女らしいわね」
ふっと笑って、私は背を向けたまま、言った。
「ライン。もし、あなたが“王”を望んだなら……私は、反対しなかったと思う」
「……急に、どうした?」
彼が近づいてくる気配を感じながら、私は言葉を継ぐ。
「あなたが“自由連邦”を作ると言ったとき……誇らしかったの。ようやく、理想に手が届くと感じた。
でも同時に……怖くもなった」
「……何が?」
「この手で、国を壊したこと。その国を、私たちの手で作り直すということ……そして」
私は振り返った。
「その頂に立つあなたが、また“孤独”になるのではないかと」
*
「孤独か……」
ラインは、少しだけ困ったように笑った。
「正直、王なんてまっぴらだ。面倒くさいし、責任も重いし、貴族たちの顔色ばかり見て生きるなんて、性に合わない。……でも」
彼は私の手を取る。
「俺が立たなきゃ、誰かが奪う。
また弱い者が泣くなら、剣を取った意味がないからな」
「それが、あなたらしいところね」
私は、手のぬくもりを感じながら目を伏せる。
「でも……“自由”って、難しい。
人は自由を与えられた途端、迷うの。何を選んでいいか分からなくなる。
王の命令がない。貴族の制度もない。自分で生きるってことは、自分の責任で生きるということ……」
「だからこそ、“信じる”しかないんだよ」
ラインは、丘の下を見やる。そこには、戦いを終えたばかりの野営地。兵たちの仮設テントが並び、子どもたちの笑い声が微かに響いていた。
「誰かがルールを作って、それを押し付ける国じゃない。
一人ひとりが、自分で考えて、自分で決めて――そして誰かを守ろうとする。
そんな国が、あってもいいって思うんだ」
*
「私が、女王として生きてきた時間の中で……そんな国は、一つもなかった」
私はそっと、彼の肩に額を預ける。
「私があなたに惹かれたのは……そういう、まっすぐなところ。
でもね、ライン。あなたのまっすぐさは時に、危ういほど美しいの。
だから私は、あなたを止める役目も背負う覚悟でいるわ」
「止める?」
「そうよ。
あなたがもし、正しすぎる未来に突き進んで、誰かを置き去りにしそうになったら……
私が、立ちふさがる」
それは決意でもあり、祈りでもあった。
彼が光のように歩むなら、私はその影となって、足元を照らしたい。
*
風が強くなる。
私はラインの胸に顔をうずめる。
「……王都には、あなたを憎む者もいる。
かつての貴族、旧王党派、帝国の密偵……
自由連邦は理想だけでは動かない。信頼も、金も、力も必要になるわ」
「分かってる。だから俺は……仲間を頼る。君を、みんなを」
ラインの手が、私の髪をなでた。
「俺ひとりじゃ、絶対にできないからな。
だからこそ“連邦”にするんだ。いくつかの街や地域が、それぞれのやり方で、でも同じ理想を持ってつながる……それが“自由”の形じゃないかと思ってる」
「あなたがそんな風に語る日が来るなんて……」
「俺だって、少しは成長したんだぜ?」
「ふふ……ええ。世界一、素敵な“剣聖閣下”だわ」
*
その夜。
二人で星を見上げながら、言葉を交わした。
未来のこと、不安なこと、嬉しかったこと。
そして、これから創る国のこと。
私は一つの決意を口にする。
「ライン。もし、あなたが“自由連邦”の中心に立つなら……
私は、あなたの隣に立ちたい」
「……本当にいいのか? 君は、王女だった。誇り高く、美しく、誰より強い」
「そして、あなたが選んでくれた女性よ。
誇りを持って、あなたの隣に立つ。剣として、盾として、そして……」
私は彼の唇に指をあてて、微笑む。
「恋人として。妻として。
この国の未来を、共に支える人間として――」
*
東の空が、ほのかに明るくなってきた。
新しい国の、夜明け。
その始まりを、私は愛する人と迎えることができた。
自由連邦――その名前の通りの国にするために。
私は、女王ではなく一人の女として、彼の隣で戦うと決めたのだ。




