第57話 ライン、ダンバリー伯爵領を目指す!
ライン、ダンバリー伯爵領を目指す!
奇襲作戦の勝利から、早くも一ヶ月が過ぎた。
剣聖ライン=キルト率いる反王国軍は、次なる戦略拠点であるダンバリー伯爵領を目指し、進軍を開始していた。
その動きは迅速にして的確、かつ堂々たるものだった。しかしその一歩が踏み出されるまでに、一ヶ月という時間を要したことには明確な理由がある。
噂――それこそが、最大の武器だった。
王国軍を一万人規模で迎撃し、壊滅させた伝説の剣士。辺境伯レオネル・ヴァイスと共に戦う正義の剣。神々すら畏れる剣聖ライン。
その名が、口伝えに、密書に、そして酒場の話題として王国各地を駆け巡った。彼の名を知らぬ者は、もはやいなかった。
それと同時に、王国の無能さと腐敗が暴かれていく。
重税、徴兵、地方支配者の専横。これまで口を閉ざしていた民衆も、ついに声を上げ始めていた。
「この国を変えてほしい」
そんな祈りのような願いが、民草の間に満ちていく。
その間に、ラインと辺境伯領の同志たちは密かに動いていた。各地の反国王派の貴族、そして中立の立場をとっていた領主たちとの連絡を重ね、徐々に彼らの信頼を勝ち取っていった。
そしてついに、その数は一万人に達する。
皆、口を揃えて言った。
「今こそ、この腐敗した王国を終わらせる時だ」と。
彼らはただ剣を振るうために集まったのではない。
この国を、より良い未来へと導くために、自らの命を懸ける覚悟で立ち上がったのだ。
一方、王国側はというと――
国王はもはや玉座に引き籠もり、第一王子は遊興に耽るばかり。第二王子は即位に向けた謀略ばかりに頭を使い、肝心の王国軍の再編は一向に進まず、士気も地に落ちたままだった。
貴族の多くがラインに寝返り、あるいは中立を宣言する中で、王城とダンバリー伯爵領を除く領地の大半は、戦う意志を失っていた。
王国が取れた策は、もはや“籠城”のみ。
このダンバリー伯の城と王都の二拠点を守り、時間を稼ぐしかなかった。
だが、それももはや限界だった。
人々の心は、既にラインと共にある。
そして、その熱が広がるほどに、ダンバリー伯爵領を包囲する軍勢の士気は高まり、王国の命運は風前の灯火となっていく。
剣聖ラインの軍は、ついに最後の関門――ダンバリー城の門前へと迫ろうとしていた。
◇ ◇
伯爵領への進軍は慎重に行われた。王国軍の敗報は既に伝わっているはずであり、敵も備えを整えている可能性が高い。
辺境伯軍を中心にした反王国軍は、ダンバリー城が見える丘の上に陣を敷いた。そこに集まったのは、各地から集まった軍の幹部たち。軍議の幕が切って落とされる。
重苦しい空気の中、まず口を開いたのはミリーナだった。
「伯爵領城の周囲は深い水堀に囲まれていて、正面からの突入は困難です。しかも城門は既に閉ざされていて、攻撃を仕掛ければ味方の被害は甚大になるでしょう」
幹部たちがうなずき合う中、ユイナが続けた。
「ですから、今回はまた“伝説”を作りましょう。正面突破ではなく、闇に紛れて敵の中枢を叩きます」
その言葉にどよめきが走る。ラインが目を細めてユイナを見る。
「つまり、俺たちで城に忍び込んで城門を開けて来いってことか?」
ユイナは首を振った。「いえ、それでも犠牲が大きいわ。だからこそ、もっとインパクトのある終わらせ方をしましょう」
彼女の笑みに、誰もが一瞬息を飲んだ。まるで、死神の微笑みのように。
「夜の城に忍び込んで、敵の城主を倒してしまうのはどうかしら? 指令本部を壊滅させれば、混乱の中で城門が開くかもしれない。動揺した敵は、前線の圧力に耐えきれないはずよ」
「……本気か、ユイナ?」
ラインが呆れたように訊ねると、ラービンが大きく鼻を鳴らした。
「それは面白い! うちらだけでやってやろうじゃねぇか!」
ミリーナも苦笑しながら頷いた。
「成功すれば、確実に勝てます。ライン様、どうかお力を貸してください」
ラインはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと立ち上がる。
「……いいだろう。やってやるよ。だが今回は、無茶な作戦を考えたやつの責任も取ってもらうからな」
「もちろん、私は最後までついていくわ」
ユイナは微笑みながらそう答えた。
こうして作戦は決定された。
第一陣として、ミリーナが率いる本軍が正面から攻撃を開始。敵の注意を引きつける。そして、ライン、テイシア、ユイナ、ラービン、エイミーら精鋭が、夜の帳を纏って城に潜入する。
夜。
月の光が水面に反射し、静寂をより深くする。
「準備はいい?」
テイシアが声をかけると、皆が無言で頷いた。
「今回は特に静かに頼むぞ、ラービン」
「わーってるよ。獣人斥候をなめんじゃねぇっての」
エイミーが魔力を抑えながら警戒を広げる。ユイナは城の構造を思い返しながら地図を確認し、小声で指示を出す。
「南西の裏門が鍵よ。そこから中庭を抜けて、主塔へ。指令本部はその上層にある」
森を抜け、エイミーが氷魔法で水面を凍らせながら静かに氷上を渡る。その後をみながついて行く。水堀を越えた彼らは、やがて城壁の陰に身を潜めた。
「行こう」
ラインの合図で、作戦が始まる。
影のように動く一行。見張りを一人、また一人と静かに排除しながら、裏門に到達。ユイナが用意した偽の通行符と呪符が門を開ける。
「……まさか、本当に使えるとはな」
「ふふ、貴族のコネと研究の成果よ」
中庭に忍び込み、建物の陰を駆け抜ける。
その先にあるのは、過去の因縁、そして勝利の鍵――主塔。
だが、まだ気は抜けない。
この作戦が成功するかどうかは、今この一瞬に懸かっているのだ。




