第5話 ライン、強敵、騎士団3人との戦い!
「マンドレイクの叫び」
東の森の奥深く。人の手が届かぬその地に、空気の層が変わるような場所がある。
ラインは周囲を慎重に見回しながら、苔むした大木の根元にアルテイシアを休ませた。
木漏れ日がわずかに射し込むその一角には、不自然な静寂があった。
「ここなら、やり過ごせる……いや、“仕掛ける”なら、ここしかない」
彼がそう判断した理由は、足元に広がる、奇妙な形の植物群だった。
地面からわずかに顔を覗かせているのは、まるで人間の赤子のような形をした奇怪な草――《マンドレイク》。
「ここ……、なにか……変な匂いがする……」
アルテイシアが顔をしかめる。
「大丈夫だ。少しだけ我慢してくれ。あいつらが来る。……でも、こっちには“切り札”がある」
ラインは腰を下ろし、剣を膝の上に置いた。
風の向こうから、草を踏みしめる音が近づいてくる。
「……ついに、見つけたぞ」
深い森の闇を裂いて現れたのは、黒い外套に身を包んだ三人の男たち。その中央には、一段と威圧感を纏った人物がいた。
「姫様。王子殿下がお待ちです。さあ、お戻りください」
鋭い眼光を持つ男――恐らく追手の隊長だろう――が、敬意とも侮蔑とも取れる口調で告げた。
その言葉に、アルテイシアの顔が一瞬で強張る。
「嫌……私は戻らない……戻らないって言ったのに!」
「生死を問わず、力ずくででも、連れ戻す。それが我らの使命ゆえ」
三人の追手が一歩、また一歩と近づく。
ラインは剣に手を添えるも、その手をすぐに下ろした。
――勝てない。直感がそう告げていた。
相手は訓練された王国の精鋭、しかも三対一。アルテイシアを守りながらでは、到底勝ち目はない。
だが、彼には“場所”を選ぶ自由があった。
そう、この場所は――《マンドレイク》の自生地。
「アルテイシア、耳を塞げ!」
ラインの声に、アルテイシアは反射的に耳を両手で押さえた。
その瞬間、ラインは一歩踏み出し、足元の土を手早く掘る。そして――
「……これが、切り札だ!」
叫びと同時に引き抜かれたのは、小さな人のような形をした植物。
《マンドレイク》。その根を抜いた者の周囲に、強烈な“叫び”を放ち、精神を破壊する呪いを撒き散らす――伝説の魔草。
ギイイイイイイイィィィィィィィィンンンンンン――――!
凄まじい音波が、空間そのものを揺らした。
風が逆巻き、木々がざわめく。耳を塞いでいても尚、アルテイシアの鼓膜を突き刺すような、声というにはあまりに禍々しい“音”。
追手の三人は咄嗟に耳を塞ごうとするも、間に合わなかった。
「う、あ、ああああああああっ……!」
「ひっ……が……! ぐぅあああっ!」
「や、やめろ……その声は……頭が、壊れる……ッ!」
男たちは顔を歪め、身体をくの字に折り曲げ、次の瞬間、ばたりと地面に倒れた。
――静寂。
鼓膜に残る残響だけが、未だに辺りに漂っているかのようだった。
アルテイシアは恐る恐る耳を離し、周囲を見回す。そして――
「……ラ、ライン……?」
彼女の目に映ったのは、マンドレイクを手にしたまま、地面に倒れ込む銀髪の男の姿だった。
「ライン!? 嘘……嘘でしょ、まさか、そんな……!」
慌てて駆け寄り、彼の体を揺する。顔色は悪く、耳からは血が滲んでいる。呼吸は――ある、微かだが。
「お願い……目を覚まして……お願い……!」
何度も、何度も呼びかける。
その時だった。
「……あ、ああ……ん? なんだ……?」
ラインが、もぞもぞと身を起こした。
「……ラ、ラインっ!」
涙を滲ませながら、アルテイシアはその胸に飛び込んだ。
驚いたラインが一瞬固まる。
「……あれ? 声が……よく聞こえない……あ、そうか、これを……」
外套の内側から、彼は一対の小さな耳栓を取り出し、ゆっくりと外す。
「ふう、助かった……格好悪くてすまないな。剣じゃ勝てそうになかったから、策を使わせてもらった」
その苦笑いに、アルテイシアは再び涙を浮かべながら、強く彼を抱きしめた。
「……ほんとに、もう……! 死んだかと思った……! 本当に、心配したんだから……!」
「……悪い」
ラインはその小さな背に手を回し、優しく抱き返した。
震える肩の温もりが、彼の胸にじんと染み入った。
「……でも、助けるって言ったろ。だから、生きてなくちゃな」
森の静寂の中、風がふたりの髪を揺らす。
命を賭けた一手と、奇跡的な生還。
その日、銀髪の剣士と金髪の少女の絆は、確かに深まった。
彼らの旅は、まだ始まったばかりだ――。