第46話 辺境伯レオネル・ヴァイスの追憶
辺境伯レオネル・ヴァイスの追憶
客間へと案内されたラインたちが部屋に腰を落ち着けた頃、辺境伯レオネル・ヴァイスは、静かに窓辺に立ち、淡い陽の光に照らされた庭の緑を見下ろしていた。
だが、その眼差しは目の前の景色ではなく、もっと遠い過去を見つめていた。
「……まさか、あのアナスタシアの姪と、こうして再び縁がつながるとはな」
低く呟いた言葉は、誰に向けたものでもない。記憶の奥深くにしまわれていたかつての光景が、いま静かに甦る。
若き日のレオネルは、辺境を守る剣士にすぎなかった。だが、ある宴で初めてアナスタシアに出会った時、その毅然とした気品と、真っ直ぐな正義感に心を打たれた。
だが、彼女は当時の王太子の婚約者だった。聡明で、美しく、しかも民のことを真剣に考える心根の持ち主であったからこそ、周囲も王妃としてふさわしいと考えていた。実際、王太子も最初は彼女を寵愛していた。
しかし――あの時、アナスタシアは言ってしまったのだ。
『民を軽んじる王に、真の平和など築けません。』
その言葉が、すべてを変えた。
王太子は激怒し、側近たちはこぞって彼女を排除すべきと進言した。そして、ついには婚約は破棄され、彼女は一夜にして王宮から姿を消した。
その代わりに選ばれたのが、アナスタシアの姉――エリザベート、すなわち、テイシアの母だった。
だが、それは「王族の体面」を保つための政略でしかなかった。アナスタシアを追い出した責任を、同族の血筋で埋め合わせたにすぎない。王はテイシアの母を正式な后とはせず、側室として扱い、その扱いも決して良いものとは言えなかったという。
そして、その影響は、テイシアにも及んだ。
王家の血を引きながらも、彼女は宮中では冷遇され、貴族社会においても疎外されてきた。アナスタシアが辺境へと嫁ぎ、中央から遠ざけられたことで、王族内でも微妙な立場を強いられてきたのだ。
それゆえ、レオネルにとっても、今日の謁見は特別な意味を持っていた。
初めて対面した、アナスタシアの姪――テイシア。
彼女の凛とした声と、ラインを信じるという眼差しに、レオネルは確かにアナスタシアの面影を見た。いや、それ以上だった。あの王宮の腐敗を真正面から拒んだ意志の炎が、彼女の瞳にも宿っていたのだから。
その隣に立つ男、ライン=キルト。
剣士としての風格、そして仲間たちの信頼を集める力――ただの冒険者にはない何かが彼にはあった。
「……テイシアがあれほどまでに信を置く男か。まったく、王家は失ったものの大きさを、いまだに気づいていないのだろうな」
微かに笑いを浮かべ、レオネルは腰掛けた椅子へと戻った。
あの時、アナスタシアを選べなかった王。
そして、彼女を迎え入れた自分。
それはまるで、道を違えた二人の男の、因果のようにも思えた。
「だが……」
レオネルは天井を見上げ、小さく呟いた。
「……あの娘が、自らの意志でこの道を選んだというのならば。私は、その歩みを信じよう。かつてアナスタシアが信じたものを、私もまた、信じてみせるさ」
その時、控えていた老従者が静かに頭を下げて言った。
「旦那様、客間の用意が整いました。皆様をご案内しております」
「ああ……行こう。アナスタシアの姪、そしてその伴侶となるかもしれぬ男を、正式に迎えるとしよう」
そしてレオネルは、立ち上がった。
彼の胸には、静かなる決意が灯っていた。
次代を託せる者たちが、ようやく現れたのかもしれない――




