第4話 ライン、アルテイシアを助けて追われる!
「東の森へ、導かれし出逢い」
灰色の空に、微かに陽が差していた。
ライン=キルトは東の森を目指し、静かに街を後にする。銀の髪を風にたなびかせ、黒い外套の下には使い込まれた剣。
数日前――冒険者パーティを追放され、すべてを捨てた男に残されたのは、この剣一本と、自らの足で切り拓く未来だけだった。
「辺境の地、ね……何があるか分からないが、少なくとも後ろを向いてはいられない」
彼の足取りは迷いなく、街道から森へと延びる細い道を選ぶ。
東の森――多くの冒険者が「危険地帯」として避けるこの場所には、かつて古の神が封じられた神殿があるという噂があった。そして、試練に打ち勝つと剣聖になれるという伝説。
ラインにとって、剣聖という言葉はとても興味があった。ただ進む先に剣聖のヒントがあるかもしれない、それだけで充分だった。
森の入り口に差しかかる少し手前、澄んだ小川の流れる河原が視界に入る。
そこに、彼は違和感を覚えた。
――金色。
小川の傍ら、倒れ伏す一人の少女。その長い髪は陽に照らされて眩く輝き、まるで精霊のように幻想的だった。
「……おい、しっかりしろ!」
ラインはすぐに駆け寄り、少女の肩を揺する。まだ息はある。だが顔は青く、衣服は泥で汚れ、細い手足には擦り傷が絶えない。
「う……」
瞼がかすかに動き、少女が呻く。彼女の瞳が薄く開き、ラインの姿を捉えた。
「……助けて、お願い……お願い……今すぐ、隠れて……誰かに、見つかる……!」
「落ち着け、誰かに追われてるのか?」
少女は怯えきった目で頷いた。声は震え、まるで今にも泣き出しそうだ。
「お願い……お願い……私を、森の奥に……隠れて……あの人たちが……来る前に……!」
その切実な声に、ラインは一瞬だけ逡巡する。
――関わるな。そう言う者もいるだろう。だが、彼女の姿が数日前の自分と重なった。捨てられた者の悲しみ、苦しみ、切なさ。お前は同じことをするのか? やつらと同じ人間になるのか?
「分かった。立てるか?」
「……う、うん……」
彼女の腕を取り、そっと抱き起こす。軽い。まるで命が細く燃えているようだ。
ラインは外套を脱ぎ、少女の肩に掛けた。
「名は?」
「……アルテイシア」
「俺はライン。ここを抜けて森に入る。ついてこられるな?」
アルテイシアは小さく頷き、ふらつく足でラインの腕にしがみつく。
その直後――森の向こうから、馬の蹄音が響いた。
「くっ……!」
追っ手か。直感が告げていた。アルテイシアが言っていた『あの人たち』が、すぐそこまで来ている。
「走れるか?」
「……がんばる……!」
ラインは彼女の手を引き、小川沿いの獣道を一気に駆けた。背後から、甲冑の擦れる音と怒声が響く。
「見つけたぞ!金髪の女だ、逃がすな!」
「森に入るぞ、覚悟しろ!」
ラインは剣に手をかけながら、濃密な樹海へと踏み込んだ。
木々が光を遮り、土の匂いと湿気が肌を撫でる。足場は不安定で、枝葉が視界を遮った。
だが、この程度で止まるラインではない。彼は剣士、いや――剣聖を目覚す者。目の前の障害を切り開く力がある。
「はっ!」
一閃。前方に立ち塞がる木の枝を切り払い、進路を確保する。
背後の追っ手が遠ざかる一方で、アルテイシアの足は限界に近づいていた。
「も、もう……無理……」
「休める場所を探す」
辺りを見回し、ラインの目に映ったのは、半ば崩れた古い祠のような構造物。苔むしてはいるが、屋根はあり、隠れるには十分。
二人はその中へ滑り込み、息を潜める。
「……大丈夫か?」
「うん……ごめんなさい、私、巻き込んじゃって……」
「気にするな。理由はあとでいい。まずは休め」
ラインは鞄から水筒と干し肉を取り出し、アルテイシアに手渡す。
彼女は礼を言いながらも、警戒するように辺りを見回していた。
「……あの人たちは、王国の追手。私を連れ戻そうとしているの。私は……逃げてきたの。閉じ込められるのが怖くて……」
「ま、まさか王族か?」
彼女はわずかに表情を曇らせた。
「……初めまして、アルテイシア=アレクサンダーです。第一王女なんだけどね。まー今は、元王女みたいな扱いなのかな。戻ったら殺されるかも。あははは」
その言葉の意味を、ラインはすぐには理解できなかった。
だが、彼女の震える手と、涙をこらえる目が真実を語っていた。
「……よし。分かった。なら、もう戻らせない」
「え……?」
「俺がここまで連れてきた。だから最後まで守る。追われる理由がどうあれ、俺は目の前の人間を見捨てない」
その真っ直ぐな言葉に、アルテイシアの瞳が見開かれる。
「……ライン……」
「さあ、夜になる前にもっと森の奥へ行こう。あいつらはきっとまた探しに来る」
ラインは再び立ち上がり、剣を鞘から少し抜く。
銀髪の剣士と、金髪の王女。
二人の逃避行は、こうして始まった。
森の奥――そこには、まだ誰も知らない“運命”が、静かに眠っている。




