第31話 エイミーの力
第九階層 ――魔喰の迷宮
沈黙を抱いた地下の回廊を、四人はゆっくりと進んでいた。
先ほどの八階層での死闘を終え、体力の消耗も激しかったが、立ち止まってはいられなかった。
この下、最深部でスタンピードの引き金となる“ダンジョンボス”が今もなお脈動している。魔力の波が断続的に地を揺らし、空間に軋む音が鳴り続けていた。
そして彼らは、第九階層の入口に辿り着く。
「……なに、この気配……」
テイシアが小さく唸る。
目の前に広がるのは、霧に満たされた石の迷宮。
常に漂う黒い霧は、視界を遮るだけでなく、魔力そのものを侵食する性質を持っていた。
「魔喰いの霧……か」
エイミーが険しい表情を見せた。
「ここ、ただの迷宮じゃないわ。魔術を使えば使うほど、こちらが喰われる。下手に詠唱すれば、魔力を吸い取られて死ぬわ」
「……じゃあ、魔法は使えないってことか?」
ラービンが顔を曇らせた。
「使える。ただし、“術式を固定して自律行動させる”系統の魔法じゃなきゃ、全部逆流する。わたしがやる。任せて」
その声に、皆が視線を向ける。
「エイミー……本当に、大丈夫なのか?」
問いかけるラインに、彼女は静かに微笑んでみせた。
「私は、ずっとここで死ぬつもりだった。自分の信念を曲げなかった代償として……でも、あなたたちが私を救ってくれた」
彼女の手が、魔術書を開く。
「今度は、私があなたたちを救う番よ。魔術師エイミー・ヴァルトナーの力、見せてあげる!」
そして、彼女の詠唱が始まった。
「――《巡律式・霧裂きの結界》!」
瞬間、霧の迷宮を切り裂くように、青白い魔術の網が展開された。
無数の立方体が空間を分割し、迷宮の霧を排除していく。
「これは……っ!」
テイシアが目を見開いた。
「空間ごと書き換える、陣形魔術……!? こんな複雑な制御、ひとりで……」
「持続時間は長くない。だから一気に抜けるわよ!」
エイミーが走る。ラービンが続き、テイシアとラインも後に続く。
彼女の先導のもと、迷宮の通路を一直線に突き進む。
だが、そんな彼らの前に、霧から現れた無数の異形――“魔喰の徘徊者”たちが道を塞いだ。
「来たか……!」
ラインが剣を抜くも、エイミーは叫んだ。
「このまま戦っちゃダメ! こいつら、倒しても霧が再構成する!」
「じゃあ、どうするんだ!?」
「私に任せて! ――《刻印式・双滅の柱》!」
エイミーの掌に二重の魔法陣が浮かび上がり、地面に投下された。そこから雷のように伸びた光線が、徘徊者たちを瞬時に貫く。
「魔力の構成式を上書きして、存在そのものを打ち消す……!?」
テイシアが驚愕する。
「ええ。これは……“拒絶の魔術”。人間にすら扱いきれない術だけど、私は何度も失敗して、その度に這い上がってきた。だから今――使えるの!」
徘徊者たちが霧ごと消え失せる。
空間を食い破るように開けた道を、四人は駆け抜ける。
「ラービン、右の壁に細い隙間がある! 感覚を使って!」
「うん、任せてっ!」
「テイシア、そこに大きな魔力の集積があるわ!」
「了解、排除する!」
「ライン、次の広場で三体、来る!」
「任せろ!」
迷宮の罠、徘徊者の群れ、空間転移の妨害――
あらゆる難関を、エイミーの予知的な制御と術式解析で次々に突破していく。
「……まさかここまでとはな」
ラインが呟いた。
「お前、凄いな」
「ふふ、今さらでしょ? ……でも、ありがとう」
彼女の頬に、柔らかな笑みが浮かんでいた。
かつての王宮で、力を恐れられ、言葉を封じられた少女ではない。
今のエイミーは、信頼され、必要とされる魔術師――そして仲間だった。
そして、迷宮の終端。
巨大な魔力の障壁が最後の門のように立ちはだかる。
それは、十階層――ダンジョンの核を守るための“防壁”だった。
「ここから先は……もう、後戻りできないね」
ラービンが言う。
「ええ。ボスがいる。全ての根源が」
エイミーも真剣な表情で頷いた。
「行こう」
ラインが剣に手をかける。
「ここまで来たんだ。もう迷いはない」
「当然よ」
テイシアも構える。「誰一人、欠けさせない。全員で、生きて帰る」
「うん……! あたしも、がんばるよ!」
ラービンが頷くと、エイミーがゆっくりと前に出た。
「この障壁、私が壊す。みんな、少しだけ離れて」
彼女の魔術書が風にめくられ、術式が踊るように光を放つ。
「――《崩断式・神罰の光槍》!」
魔力の奔流が収束し、一筋の神槍となって障壁へと突き刺さる。
轟音と閃光。
空間が割れ、十階層への道が開かれた。
沈黙の後、仲間たちがエイミーの元に駆け寄る。
「……お見事だな」
「ふふっ、当然よ。私はもう、誰かの後ろに隠れるだけの女じゃない」
強く、優しく微笑むその横顔に、誰もが確かな信頼を覚えた。
こうして、彼らは最終決戦へと向かう――
エイミーの魔術が切り開いた道を、今度は全員で進むために。




