第3話 グレイ視点 ――「リーダーとしての決断」
グレイ視点 ――「リーダーとしての決断」
酒場の隅、ほこりをかぶったテーブルに腰を下ろしたとき、グレイははじめて重たい息を吐いた。
胸の奥にずっと居座っていた何かが、今になって鈍く疼き出す。
冷めたエールを口に含んでも、のどを通る感覚すらぼやけている。
(……やっちまったな)
ラインを追い出した――否、追い出さざるを得なかった。
あいつの目を見た時、言い訳なんて何も通用しないとわかっていた。だが、それでも言葉にしなくてはならなかった。言わなければ、決裂もせず、曖昧に済ませてしまいそうだったから。
「すまない、ライン。お前の剣の腕が信用できないわけじゃない。だが……」
あの時、あいつの顔がゆっくりと、真っ白になっていった。
グレイは、その表情を一生忘れることはないと思った。
(仲間だった。……それ以上に、あいつは俺の、友だった)
剣しか能がない、融通の利かないバカ。
けれど、真っ直ぐだった。
誰よりも傷つきながら、誰よりも仲間を守ろうとした。
アイリスが無茶な魔法を使って倒れた時、真っ先に駆け寄って庇ったのもラインだった。モンスターが群がる中、背中を預けられると心から思えたのは、結局、あいつだけだった。
(だからこそ……お前は、脅威だった)
デビリール――あの貴族の坊っちゃんが現れた時、パーティに金と装備を惜しみなく提供してくれた。
破格の条件。
だが、それには一つの条件があった。
『あの剣士を追い出せ』
なぜかは聞くまでもなかった。
プライドの高いあの男が、ラインを嫌った理由は明白だ。戦果では勝てない。立ち回りでも劣る。だけど、貴族の誇りがそれを認められない。
だったら、排除するしかない。
(俺は……金に屈したのか?)
グレイは、自嘲気味に笑った。
否定できる資格などなかった。
現実を見れば、装備は限界だった。仲間の誰もが新しい装備を欲しがり、次の大型依頼では魔獣とやり合う必要があった。あのままでは、誰かが死ぬ。
死なせたくなかった。
そう――死なせたくなかった。
だから、選んだ。
ライン一人を犠牲に、他を救う選択を。
それが“リーダー”の判断だと思っていた。
でも。
「……本当に、それでよかったのかよ、俺」
つぶやいた言葉は、誰にも届かない。
後悔――なのか? 情けない――そうだ、まったく情けない。
仲間を守るためだなんて、綺麗な理由をつけて、自分の無力さから逃げただけだ。
ラインを庇ってギルドと衝突する勇気もなかった。
アイリスを説得することもできなかった。
ただ、波風を立てたくなかった。現状を守りたかった。
そして何より――どこかで、ほっとしている自分がいた。
(……お前の剣は、眩しすぎた)
同じ剣士として、劣等感がなかったと言えば嘘になる。
ラインの一太刀には、いつも魂が宿っていた。鍛え上げられた技ではない。剣を通して意志を貫く、あの真っ直ぐな眼差し。
俺には、ないものだった。
俺は器用に立ち回って、それなりの地位を得て、仲間をまとめることはできたが、あいつみたいに誰かを“信じさせる”力はなかった。
……それが、悔しかった。
「グレイ、あんたさ。後悔してんの?」
隣に座っていたローザがぽつりと声をかけた。
仲間の斥候。口数が少なく、何を考えているか分からない女だったが、意外なところで核心を突いてくる。
「さあな……」
グレイはエールを煽り、苦く笑った。
「これが正解だったかなんて、今は分からねぇよ。ただ……」
「ただ?」
「……あいつが、またどこかで立ってたら。その時、どう思うかで分かるんだろうな」
ラインは、必ず立ち上がる。そう確信していた。
泣き言も言わず、愚痴も言わず、剣を握って、前に進む。
そしていつか、再びこの街に戻ってきた時、きっと自分たちとは比べ物にならないほどの剣士になっている。
その姿を見た時、自分が何を感じるか。
嫉妬か、羨望か、後悔か。
あるいは――誇りか。
「……あいつは、俺が手放した“本当の仲間”だったのかもしれねぇな」
口にした瞬間、胸の奥にある棘が、ようやく動き出した気がした。
もう戻れない。けれど、見届けることはできる。
あの男が、どれだけのものを掴み取っていくのか。
そして、自分はどれだけのものを失ったのか。
それが、これからの人生の中で、徐々に浮かび上がってくるのだろう。
グレイは、今さらながらにそれが――怖かった。
(頑張れよ、ライン)
胸の奥で、ただそれだけを願った。
自分にはもう、剣を交える資格も、声をかける資格もない。
それでも――願うくらいは、許されるだろう。