第23話 剣聖の力
剣聖の一閃――峠の戦い
二人は、山を越え、谷を渡り、ひたすらに歩を進めていた。
燃え尽きた村、迫る追っ手、そして未来への不確かな希望。だが、テイシアの手を取ったその日から、ラインの中には確かな覚悟が宿っていた。
そして、旅路の数日後――。
彼らが密林の奥を抜け、ようやく峠道に差しかかったその時。視界が開け、目に飛び込んできたのは、想像すらしていなかった光景だった。
丘の上。重厚な甲冑に身を包んだ兵士たちが、整然と列を成していた。その数、百を超える。槍を掲げ、盾を構え、まるで戦場に臨むがごとく陣形を組む彼らの姿は、紛れもなく――王国の追撃部隊だった。
「……やはり、来たか」
ラインは足を止め、静かに剣の柄に手を添える。眼差しは鋭く、冷ややか。だが、その奥には確かな決意が宿っていた。
軍勢の中央から、馬に乗った一人の騎士が前へと出る。四十代半ばほどの壮年、白銀の鎧を纏い、その顔には迷いも憐れみもなかった。ただ、義務感の仮面だけを貼り付けている。
「ライン=キルト、そして王女殿下。王命により、汝らを拘束する。武器を捨て、投降せよ」
淡々とした声だった。だが、その一言が場に重い緊張を走らせる。
ラインは深く息を吸った。
「……俺は、もう後戻りはしない。剣を握る限り、斬る覚悟で進むだけだ」
「私は……あなたを信じてる」
テイシアはそう言うと、一歩後ろに下がり、両手を組んで祈るように呟き始めた。
「聖なる光よ、我らを護りたまえ……《守護結界》、展開!」
青白い魔法陣が足元に広がり、風が巻き起こる。そして、その風がラインを包み込んだ。
「幸運上昇、速度強化……そして、《神速の加護》!」
光が収束し、ラインの身体がふわりと浮くような感覚に包まれる。視界が澄み、空気の流れさえ感じ取れるようになった。
「……行くぞ」
その一言と同時に、地面が震えた。
いや、彼が踏み出した一歩が、まるで空気そのものを裂いたのだ。
「なっ……!? ば、馬鹿な! 見え――っ!」
先頭の兵士たちが声を上げる暇もなかった。銀の軌跡が宙を駆け、五人の兵士がまるで風に吹き飛ばされるように倒れる。
「剣聖――《一閃》!」
それは、光のごとき斬撃だった。
「陣形を崩すな! 囲め、囲んで叩けぇっ!」
隊長の叫びが響くが、その動きが鈍く見えるほどに、ラインの身体は加速していた。
「次は、《牙狼乱舞》!」
左から飛び出した兵士が斬られ、右から迫った槍兵も、一閃でなぎ払われる。風のように舞う剣が、次々と敵の隙を突き、鋭く、確実に命を刈っていく。
「弓隊、射撃用意! 放て――!」
「テイシア、右だ! 魔法兵が来る!」
「任せて!」
テイシアの瞳が輝き、掌から神聖なる火が放たれる。
「汝の邪心を焼き尽くせ、《聖炎》!」
閃光が走り、魔法兵が次々と倒れる。彼女の展開する結界は、空を飛ぶ矢を弾き、ラインの背中を確実に守っていた。
「……これが、俺の力だ!」
ラインは高く跳躍し、剣を構える。
「《風刃舞踏》!」
空を裂き、剣が風と共に駆ける。連続する斬撃が敵の隊列を切り裂き、兵士たちは次々と地に伏していく。
「バ、バケモノか……」
最後に呟いた兵士の視界に、銀の閃光が走った。
――そして、数分後。
戦場は、静まり返っていた。
地には、倒れた兵士たちが散らばり、かろうじて無傷で残ったのは、馬上に立ち尽くす隊長ただ一人。
「……これが、“剣聖”……」
その言葉に、ラインは息を整えながらも、剣を下ろさなかった。
「これ以上、追わないでくれ。君たちの命が惜しい」
静かな、だが確かな意志を帯びたその言葉に、隊長は沈黙の後、ゆっくりと手を挙げた。
「……部隊、退却!」
命令が下ると、残った兵たちは動揺しながらも後退を始める。追撃はなかった。
静寂が戻った峠の上で、ラインとテイシアは顔を見合わせた。
互いの無事を、言葉よりも先に、瞳で確かめ合う。
そして、ふたりは再び歩き出す。
その道の先に、どんな困難が待っていようとも。
希望はあると、未来は信じられると、そう信じて――。




