第17話 隠れ里の村長 若い二人のことを語る。
隠れ里の村長視点:あの二人のこと
静かな山の奥にある我らが里は、よそ者をめったに受け入れない。世の中が荒れている今、なおさらだ。
だが、それでも――どうしてだろうな。あの若い二人を見たとき、私は受け入れようと思っていた。
男の名はライン。女の名はアルテイシア。皆はもう彼女を「テイシア」と呼んでおるがな。どこか訳ありの様子だったが、変な気配はなかった。いや、むしろ、何かを乗り越えてきた人間の匂いがした。
ラインは、鍛えられた剣士だ。剣の構えがただ者ではないと、すぐにわかったよ。最初の頃、山で熊の一匹も倒して帰ってきた時には、若い衆がどよめいたもんだ。いや、あれは熊なんてもんじゃなかったな……ブラッティベア、だったか。黒毛の中に血のような紅斑がある巨大な魔獣。
普通なら、里の男たち全員でかかってようやく倒せる相手だ。だが彼は、それを一人で、しかも剣一本で屠った。
「大した腕だ」と私が言うと、彼は少し困ったように笑ってこう言った。
「いえ、僕なんか、ドラゴンもまともに狩れませんから」
ドラゴン、だと……? その時は、冗談かと思った。だが、彼の背後に立っていたテイシアの顔を見るに、どうやら本当のようだった。冗談ではなく、本気で“自分はドラゴンを狩れないから未熟だ”と思っている。
……世の中、広い。いや、広すぎる。
テイシアの方はといえば、最初は物静かで、どこか遠くを見ているような眼をしていたな。まるで、心がここにいないような……いや、魂が旅をしているような、そんな眼だった。
だが、日が経つにつれ、彼女の表情にも少しずつ生気が戻ってきた。子供たちと遊び、女たちと畑を耕し、春の花を摘んでは飾りにしていた。気品のある身のこなしと、手際の良さ――明らかに、ただ者ではない。貴族の生まれ……それも、かなり高い身分の育ちだろう。
だが、それを鼻にかけることもなく、丁寧に、まっすぐに人と接していた。だからこそ、里の者たちは彼女を受け入れたのだ。
あの二人が住んでいるのは、里の外れにある空き家だ。昔は若夫婦が住んでいたが、冬の疫病で……まあ、それは今はいい。暖炉と屋根がしっかりしていれば、人はまた生きられる。
ある夜、ふとその家の前を通った。窓からは暖かな火の光が漏れ、炉の前に並んで座る二人の影が揺れていた。肩を並べ、湯気の立つ鍋を囲む姿――
ああ、あれはもう、夫婦そのものだった。
「まるで、夫婦みたいだなぁ」
つい、口から出た言葉に、赤面して否定する二人。
だが、どこか照れくさそうに笑い合う姿は、本当に仲睦まじくて……私は心の中で、そっと祝福していた。
彼らが何を背負ってこの里に来たのか、すべてを知っているわけではない。だが、それでもわかることがある。
――あの二人は、互いにとっての“救い”なのだ。
ある晩、月が綺麗に出ていた夜のこと。私は水を汲みに小川へ向かう途中、彼らが縁側に並んで腰かけているのを見た。
テイシアが肩を震わせて泣いていた。声は聞こえなかったが、ラインがそっと肩を抱き、優しく寄り添っていた。
その背中が、何よりも雄弁に語っていた。
「大丈夫だ」と。
「お前の選んだ道は、間違ってない」と。
言葉ではなく、ただ傍にいることで、そう伝えていたのだ。
若い二人には、まだまだこれからたくさんの試練が待っているだろう。あのまま、何も起こらず、平穏無事に暮らせればいいが……そううまくはいかないだろうとも思っている。
だが、だからこそ。
この穏やかな時間を、愛おしむように生きている彼らの姿が、私には眩しくて仕方ないのだ。
――あの家から、未来が始まっている。
そんな気がしてならない。
「ライン、薪が足りないって。あとで少し取ってきてくれる?」
「わかった。森の南側のほうが乾いてるな、今日は」
そんな何気ない会話。
けれど、私にとっては、それが何よりの証だった。
あの二人が、この里で――確かに生きているという証だった。
……だから私は、今日も村の皆に言うのだ。
「少しはあの二人を見習え。支え合うってのは、ああいうことを言うんだ」
そして私は、そっと願うのだ。
――どうか、あの小さな幸せが、少しでも長く続きますように。
神さまなど信じたことはないが、この願いだけは、きっと届くと信じたい。
老いたこの身にできることは限られている。
だが、命ある限り、私はあの二人の味方でいよう。
たとえ、どんな嵐がこの里を襲おうとも――
彼らが歩く道が、愛に満ちたものでありますように。




