第10話 ライン、森の心臓を探せ!
その晩、ラインとアルテイシアは村の一角にある小さな空き家に案内された。
村は静かだった。鳥の声も、虫の音も、風の通る音もあるのに、不思議なまでに“穏やか”だった。
「……まるで、時間が止まっているみたい」
アルテイシアがぽつりと呟く。
「それだけ、守られてるってことだな。外の世界とは切り離されてる……だからこそ、入り口を開くには試練が必要なんだ」
ラインは剣を傍らに置き、床に腰を下ろした。戸口から差し込む月光が、木の床をやさしく照らしている。
「“森の心臓”って、何なんだろうね」
「精霊が宿る場所。森の核とも言える土地、だろうな。けど、問題はそこへどうやって行くかだ」
その疑問に答えるかのように、扉の外から足音が聞こえた。
戸が軽く叩かれ、先程の狐が顔を覗かせる。よく見ると、首に細い銀の紐が巻かれ、そこに一粒の青い宝石がぶら下がっていた。
「お前……また来てくれたのか」
ラインが言うと、狐はくるりと背を向ける。そして――また、導くように歩き出した。
「……ついてこい、ってこと?」
「行こう」
二人は急ぎ身支度を整え、狐の後を追った。
夜の森は静かで、満月の光が葉の隙間から差し込んでいる。狐は時折立ち止まり、こちらを振り返ってから再び歩き出す。その様は、まるで“言葉”を持っているかのようだった。
やがて、深い木々の奥に、ぽっかりと開けた空間が現れた。
そこは――円形の石畳が敷かれ、中央には古びた石碑が立っている。その周囲には、水のせせらぎと草花が咲き乱れ、まるで神聖な儀式の場のようだった。
「……ここが、“森の心臓”?」
狐は、石碑の前まで進むと、静かに座り込んだ。
ラインとアルテイシアも、同じように石碑の前へと歩み寄る。
石碑には、古代文字らしきものが刻まれていた。
アルテイシアがそっと手をかざすと、その文字が淡く光を帯びて浮かび上がる。
「読める……これは、エルデの祈り言葉よ」
「精霊に問え……この森に、何をもたらすかを」
その瞬間だった。
風がざわめき、辺りの空気が変わった。
水辺から立ち昇る霧の中に、光の粒が集まり――やがて一つの“形”をとった。
それは、木々を編んだような体を持つ精霊だった。顔はなく、代わりに瞳のような光が胸の中央に灯っている。
「問う。汝らは何者か。この森に、何をもたらす者か」
その声は、耳で聞くのではなく、直接心に語りかけられるようだった。
ラインが一歩、前に出た。
「俺はライン=キルト。……剣を持つ者だ」
「私はアルテイシア。……癒やしと知識を持つ者です」
「この森に、我々は争いを持ち込まない。ただ、守る力と、癒やす力をもたらしたい。そうして得た平穏を……大切な人と分かち合いたい」
精霊はしばし沈黙し――やがて、ふわりと浮かび上がる。
「汝の剣は、破壊のためか」
「違う。仲間を守るための剣だ。……これまでも、これからも」
「癒やしは、誰のためにあるか」
「失われる命が、無駄に散らぬように。苦しむ者が、再び歩き出せるように」
精霊の光が、わずかに強くなる。
「よい。ならば、汝らに“鍵”を与えん。この森と、この村は、汝らの力を受け入れる」
その言葉とともに、精霊の胸の光が浮かび上がり、二つに分かれてラインとアルテイシアの胸元へと飛んだ。
淡い輝きが身体に染み込み、一瞬、世界が反転するような感覚に襲われる。
次の瞬間、霧は晴れ、精霊の姿は消えていた。
狐が再び立ち上がり、尾を一振りする。その仕草が「終わった」と告げているようだった。
「……試練、終わったのか?」
「ええ。きっと、認められたのね。私たちの言葉が」
狐は村の方へと歩き出す。先ほどよりも、足取りが軽い気がした。
二人は再びその後を追って歩き出した。
村に戻ると、長老が屋敷の前で待っていた。
「……見事だ。精霊の鍵が、汝らに与えられた証。これより、そなたらは“フィエルの客人”ではなく、“守人”と呼ばれる資格を得た」
「守人……」
「この村の掟を守り、外の世界と村をつなぐ者。汝らが選ばれし今、村もまた、新たな時代を迎えるだろう」
ラインは静かに頷いた。
「俺たちは、もう逃げるだけじゃない。……守るべきもののために、生きていく」
アルテイシアが隣でそっと微笑んだ。
その笑顔に、月光が降り注ぐ。
こうして――二人は、追われる者から、受け入れられた者へと変わった。
隠れ里フィエルの物語は、まだ始まったばかりだった。




