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連絡先

 乃亜はその言葉の通り、悠の家にちょくちょく来るようになっていた。

 それも三日に一度くらいのハイペース。大体は狙いすましたように夕飯時に来ては、幸せそうに完食して帰るという流れ。

 そして、去り際にはお決まりの——

 『まだ信用したわけじゃないから』

 正直なところ、もはや本当に疑われているのか微妙なところではあるが、悠としては自分で蒔いた種であるため従うしかない。

 今日も今日とて、そんな悠の家には来客が訪れていた。

 「おじゃましま~っす」

 悠がドアを開けるなり、来客は陽気な挨拶と共に玄関を跨ぐ。

 本日の来客——悠の数少ない大学の友人である和倉 綾人は、慣れた様子で悠を背に居室へと向かっていく。

 「……ん?」

 ——綾人は突然、少し眉根を寄せながら鼻を鳴らしだした。

 何か違和感を察知したようだった。

 「なぁ悠、柔軟剤替えたか?」

 「いや、替えてないけど?」

 「そうか? なんか若干部屋の匂いが違う気するんだよなぁ……」

 綾人の指摘に、思わず悠の背筋がピンと伸びる。

 (こいつ、ソムリエかよ……)

 悠の部屋の匂いの変化。それは綾人の気のせいなどではない。本当に微かにではあるのだが、昨日も悠の家を訪れていた乃亜の匂いが残ってしまっていたのだ。

 「……別に普通だろ」

 悠が少し視線をさまよわせながら言うと、綾人はニマニマといたずらっぽい笑みを浮かべた。

 「まぁ、そういうことにしといてやるよ」

 「本当に何もないからな?」

 「はいはい、分かってますよ~」

 余計な勘違い……でもないのだが、何か察したような綾人に訴える悠。しかし、適当に返されてしまう。

 釈然としないまま悠と綾人はテーブルを挟んで向かい合うように座る。

 「それで、話したいことってなんだよ」

 これ以上の詮索をされても困るため、悠は話題を切り替えた。

 いつも目的もなくフラッと来ることの多い綾人だが、今日は何か話したいことがあるのだという。

 すると綾人は、待っていましたとばかりに口角を上げた。

 「喜べ悠! ついに俺の大学生活に二度目の春が訪れたんだ!!」

 「……は? 二年生なんだから当たり前だろ?」

 要領を得ない悠のマジレスに綾人はズッコケた。

 「ばぁか。こういう時の"春"って言ったら、これだろ」

 綾人は得意げにそう言って、悠に見せつけるように右手の小指を立てた。

 それを見て、ようやく言葉の意味を理解した悠はため息を吐く。

 「なるほど、おめでとう」

 「おいおい! ずいぶん淡白だな」

 「まぁ、お前のことだからな。でも素直に良かったと思ってるよ」

 去年、付き合っていた彼女に冷めたと言われてフラれた綾人。その後しばらく落ち込んでいた姿を知っているからこそ、悠としても純粋に喜ばしいことではあった。

 「それで、どういう馴れ初めだったんだ?」

 「いや、実はまだ付き合ってるわけではないんだ」

 「そうなのか?」

 「ああ。この前サークルの先輩にとあるカフェに連れてってもらってさ。そこで働いてた子なんだけど、それがまじ俺の好みドストライクでさ!」

 「一目惚れってやつか」

 「そうそう! だからこの機を逃すわけにはいかないって思って、その日のうちに色々話して連絡先交換してもらったんだけど——」

 その後も綾人の話は続いた。

 ——やれ顔が可愛いだの、めちゃくちゃ優しいだの、二人で遊びに行った時の惚気なんかも聞かされた。

 綾人の相変わらずの行動力に半ば唖然とする悠だが、久々に生き生きと語っている友人の顔に悪い気はしなかった。

 今日はとことん話を聞いてやろう。

 ——そう思っていた時だった。

 ピンポーン

 突如として鳴り響いたインターホンが二人の会話を中断した。

 「なんだ、宅急便か?」

 「あ、ああ多分な……」

 そう濁して立ち上がる悠だが、十中八九、宅急便などではないことは知っている。

(そもそも宅配を頼んだ覚えはないし、何よりこの時間だからな……)

 玄関に着いた悠は、その先に待ち構えているであろう刺客をまざまざと思い浮かべながらゴクリと唾を呑みこんだ。

 キィ——

 薄くドアを開き、その隙間から外を覗き込む。

 「何してるの……?」

 すると案の定、そんな悠の奇行をジトっと見上げる乃亜がいた。

 悠はそれを確認すると、綾人に悟られぬよう静かに靴を履いて、スッと滑り込むように外に出た。

 「ちょ、ちょっとこっち来て」

 「……?」

 怪訝な表情を貼り付けたままの乃亜を手招きし、アパートの階段を下りて人目につかない物陰へと連れていく。

 そんなシチュエーションに身の危険を感じたのか、乃亜がいつぞやのように両手で胸の辺りを覆い隠した。

 「こ、こんなところで何する気……?」

 「何もしないから安心してくれ。ただ、今友達来てるから……その、バレたら色々とややこしいだろ?」

 「あぁ、そういうことね」

 悠がありのままに説明すると、乃亜はようやく警戒を解いた。

 「てか、昨日も来ただろ? だからてっきり今日は来ないものだと」

 「なによ、続けて来ちゃダメなの?」

 「そういうわけでもないが、俺にも予定ってもんが……」

 「……そう。分かった、じゃあ今日は帰る」

 そう言って、乃亜は背を向けて歩き出した。

 そんな乃亜の背中を見つめながら、悠は心の内にあるモヤモヤとした気持ちを自覚してその場から動くことが出来なかった。

 いつも乃亜が勝手に来るだけであって、悠が気に病む理由はどこにもない。しかし彼女が去り際に見せた顔は、いつもの冷淡とした口調とは裏腹にどことなく残念そうだった。

 (また日を改めて来てくれ、とでも言うべきか。いやしかし……また突然来られても俺が暇な保証なんてないわけで…………って、そうか)

 ——思考を巡らせていると、先ほどの綾人との会話が浮かんだ。

 「待って、星月さん」

 少し強引で、柄でもないことは分かっている。それでも今はこれしかないと、悠は乃亜を呼び止めた。

 ピタリと足を止めて振り返った乃亜に、悠が小走りで駆け寄る。

 「えっと、嫌なら無理にとは言わないけど……よければ連絡先教えてくれないか」

 「連絡先……?」

 「今日みたいなこともあるだろうし、事前に一報入れてもらえると助かるというか……もちろん、それ以外の連絡はしなくてもいいから」

 綾人と違って、こういうことに慣れていない悠は緊張で早口になってしまう。

 しかし、今の立場的にも乃亜に連絡先を聞くことにはリスクもあるため、あれこれと付け足す必要があるのも確かだった。

 「そ、そういうことならいいけど、私からばっかり連絡するのは……なんか気に入らない」

 口を尖らせて不満げに言う乃亜。そもそも連絡先の交換自体を断られると思っていた悠からすれば嬉しい誤算だったのだが、そんなことを言われては結局困るしかない。

 (雑談……なんて星月さんが望んでるわけないし……)

 自分から頼むのだから、せめて彼女に利がある内容がいいだろう。そう考え、彼女とのこれまでのやりとりを回顧する。

 ——そして、一つ思いついた。

 「じゃあ、その日俺が作った料理のレシピやコツみたいなのを送る……っていうのは?」

 あの日、ビーフシチューを作ってからというもの、乃亜は悠の家を訪れる度に料理の様子を近くで見学していた。時折、材料や工程などについて細かく聞いてくることもあり、料理に興味があるのではと考えたのだ。

 その推測が功を奏したのか、乃亜の表情が少し明るくなった。

 「それならいい……かも」

 照れ気味にそう言いながら、乃亜はスマホを取り出す。

 ——不慣れな悠は乃亜に教えてもらいながら、互いに連絡先を交換した。

 「ありがとう、星月さん」

 「べ、別に……これも必要なことだからってだけ」

 そう言い残し、乃亜は踵を返した。

 悠も部屋に放置してしまっていたお客の事を思い出すと、足早に階段を駆け上がり部屋へと戻った。

 「おうおう、お客様置いて何してたんだよ?」

 「ちょっとお隣さんと世間話を」

 「昭和かよ」

 悠の適当な言い訳に、綾人は苦笑しながらツッコみを入れた。

 ——その後は、先ほどの惚気の続きをタンと聞かされた。

 そして、話したいだけ話して満足したのか、一時間ほど経過したところで綾人はニコニコと笑みを浮かべながら帰っていった。

 もともと食卓を囲みながら話す予定で夕飯を用意していた悠だが、怒涛の勢いで話す綾人のせいですっかり忘れてしまっていた。

 ——悠が夕飯を温め直していると、近くに置いていたスマホが鳴った。

 「ん?」

 レンジが鳴るのを待ちながら画面に視線を落とすと、可愛らしいパンケーキのアイコンで【のあ】というアカウントからメッセージが届いていた。

 『よろしく』と、彼女らしい淡白なメッセージが一通だけ。

 (一応、こういうのは送ってくれるんだな)

 そんな義理堅さに感心しながら、『ご丁寧にどうも』とおどけて返してみると、すぐに返信が来た。

 『ばか』というシンプルな悪口と、あっかんべ~としているウサギのスタンプだった。

 ——そんな、わずか二往復分のくだらないやりとりに悠は小さく笑みをこぼした。

 

 

 


 







 


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