お料理見学
ピンポーン
あの一件以来、悠には平和な一週間が訪れていた。
今日はバイトも休みで、冷蔵庫には食材が豊富に揃っていたため、久しぶりに腕によりをかけて料理しようとキッチンで作業していると、インターホンが鳴った。
「はーい」
在宅であることを声で知らせ、火を止めて手を拭く。
その間、約五秒。
ピンポーン
にもかかわらず、矢継ぎ早にインターホンが鳴らされる。
(せっかちな客だな……)
早く出ないと嫌味な態度を取られかねないと思い、悠は玄関へと駆け寄ってドアを開けた。
「は……い?」
目に飛び込んできた見覚えのある金髪に、悠は言葉を詰まらせ目をパチクリとさせる。一方で、来客はそんな悠を不思議そうに見つめて小首をかしげている。
「なによ」
「いや、こっちのセリフなんだが……」
さもありなんといった口調の彼女——乃亜のまさかの再来に、悠は困惑が隠せない。
——ふと、ある声が浮かぶ。
『またね』
先週、乃亜が去り際に放った一言。
悠も言われた直後は少し気になったが、乃亜が自分の家を訪れる用事なんて思い当たるわけもなく、単に言葉の綾だろうと考えていた。
実際、今でもなぜ彼女が来たのか見当もつかない。
「それで、何か用……?」
「言ったでしょ? 私はまだ最上君を疑ってるって。だ、だから……確かめに来たの」
「確かめるって、何を?」
「あなたがどういう人なのかってこと」
(危険かもしれない相手の潔白を証明……? なんというか……矛盾してないか?)
そう違和感を抱きながらも、悠は首を横に振るわけにはいかなかった。
乃亜の真意については定かでないにしろ、現状の立場的に、断ってしまえば余計な言いがかりをつけられると思ったからだ。
ここは乃亜の申し出に乗るしかない。
「どうやって確かめるんだ?」
「まぁ、あなたの家で一緒に過ごしてみるってくらいかな」
魔が差して襲ったりしないか……という検証のつもりかもしれないが、そもそも悠の人間性に疑念を持ちながら、わざわざ危険のある場に身を置くなんて普通では考えられない。
言わないだけで実はある程度信用されているのか……あるいは、何かそうするだけの理由があるのか。
いずれにせよ、悠に拒否権などない。
「……とりあえず分かった。上がってくれ」
「うん」
悠が渋面で了承すると、乃亜は遠慮する様子もなく玄関を跨いだ。
靴を脱いで居室へ向かって歩く乃亜。しかし、キッチンの前まで来て足を止めると、犬のようにクンクンと鼻を鳴らしだした。
「いい匂い」
「ああ、ビーフシチュー作ってたんだ」
「ふぅん……やっぱ器用なんだ」
乃亜は何やら少し気に入らなそうに言い放ち、居室のベッドにカバンを下ろすと急ぎ足気味でキッチンへと戻ってきた。
「料理してるとこ、見てみたい」
「え? ん~、まぁいいけど……もうやることあんまりないぞ?」
「それでもいい」
「そうか、なら包丁とか鍋には気を付け——」
「子ども扱いしないで」
「すみません」
悠としてはそんなつもりはなかったのだが、乃亜がムッと不服そうに睨んできたため、悠は苦笑して頭を下げた。
そして、料理を再開する。
とは言っても、味のべースとなる野菜の炒め作業は済んでしまっているため、あとは事前に焼き色を付けた肉を鍋に加えてソースを作るだけだ。
——悠は野菜がぎっしり詰められた鍋に手製のデミグラスソースとチキンブイヨンを加え、じっくりと煮込んでいく。
その間やることといえば頃合を見て味見するくらいで、一見すると退屈そうな工程だが、乃亜は食い入るように見ていた。
(にしても、ちょっと近過ぎないか……)
乃亜はすっかり鍋の中身に気を取られているようで、グイグイと無意識のうちに悠の方に詰め寄ってきている。
——次第に鮮明になっていく甘い香りに、悠の鼓動が加速していく。
思わず表情が崩れそうになる悠だが、そんな動揺を悟られれば乃亜の疑念に拍車をかけるかもしれないと、さりげなく距離を取ろうとする。
しかし、その前に二人の肩が触れ合ってしまった。
「あっ……ご、ごめん」
「いや、こちらこそ……」
ようやく我に返った乃亜が、咄嗟に半歩分の距離を取って謝ってくる。
気まずそうにその頬をほんのりと赤く染めながらも、相変わらず真剣な眼差しで悠の作業を見守る乃亜。少し見づらそうにしながらも先ほどのように詰め寄ってくることはなく、そんな意地らしさが悠には何だか可愛らしく映った。
——その後は互いに距離を保ったまま、悠は無事にビーフシチューを完成させた。