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初めての笑顔

 「最上君はそこで待ってて。あと、余計な口出しはしないで」

 「あ、ああ……」

 エプロンを身に着けた乃亜は、まるで子供をしつける母親のような口調で悠を窘める。

 しかし、実情はどちらかというと真逆だった。

 (怪我とかしないか……? 火事にならないか……?)

 我が子の初挑戦をあれこれと心配する親のように、悠はベッドの上から固唾をのんで乃亜を見守っている。そのやる気が空回りしないかと、逆に悠の不安を煽った。

 どうやら、乃亜が作るのはハンバーグらしい。

 肉料理である上に食べ応えもあり、悠にとっては申し分ない。

 しかし、タネの固さや味付け、焼き加減など……作り手の感覚に左右される要素が多く、実は難しい料理の一つ。

 ——実際、乃亜も苦戦しているようだ。

 玉ねぎをみじん切りする手元は危なっかしく、タネを成型する手順も少し間違っていて、所々で『あれ?』という頼りない声が聞こえてくる。

 その度に、悠は助けに入ろうかという気持ちに駆られる。

 かと思えば今度は何か上手くいったようで、乃亜は嬉しそうに微笑みながら、『よしっ』と小さくガッツポーズを作っている。

そんな姿に悠もひとまず胸を撫でおろすが、その後もコロコロと変化する乃亜の表情に気は休まらない。

 いっそスマホでも見ていた方が楽かもしれないが、何となく目が離せなかった。

悠には乃亜がここまでする理由はよく分からないし、もしかすると本当にただの自己満足なのかもしれない。

 ただ、いずれにしても彼女は不慣れな手を懸命に動かしてくれている。

 実際はそうでないのかもしれないが……まるで自分のために頑張ってくれているのかのように思えて、悠は不覚にも嬉しくなった。

 また、そんな甲斐甲斐しさが可愛らしかった。


(それに、こういうのも懐かしいな……)


 それから少しして、乃亜は調理を終えた。

 「で、出来た……けど」

 何とも浮かない表情の乃亜が料理を運んできた。ちなみに乃亜はお腹が減っていないということらしく、運ばれてきたのは悠の分のみだ。

 悠はベッドから降りて、テーブルの前に座り直す。

 ——少しの間、乃亜はテーブルの前で立ち尽くしてしまう。

 何となくその心情を察して、悠がジッと無言で待っていると——諦めたようなため息の後に皿が目の前に並べられていった。

 「…………」

 「う、うるさい……」

 「何も言ってないぞ」

 とは言っても、今ばかりは悠の渋い表情が口以上に物を言っていた。

 テーブルに並べられたのは、ご飯と味噌汁のお椀に、ハンバーグとサラダが盛られた大皿。

 サラダについては市販の物を使用しているらしいので問題はないのだが……味噌汁は具材の大きさが不揃いで、肝心のハンバーグも歪で焦げ色が付き過ぎている。

 悠が反応に困っていると、乃亜はバツが悪そうに俯いてしまった。

 「……とりあえず、いただくよ」

 悠は居たたまれない気持ちになり、そう言って箸を手に取った。

 ——乃亜に見守られながら、食べ進めていく。

 味噌汁はまばらな具材も然ることながら、味付けが少し薄味で物足りなさを感じる。ハンバーグは大方見た目通りで、固さと焦げ臭さが際立ってしまっている。

 やはり、お世辞にも美味しいとは言えない。

 「一応聞くけど……ど、どう?」

 「正直言うと、美味しくはない……かな」

 "一応"というところからも悠の答えについては自明であったようだが、いざ言葉にされるとショックだったのか、乃亜はシュンとしてしまった。

 しかし、今この場で美味しいと嘘を吐いたところで気休めにすらならない。むしろ乃亜がこの先も料理をしていくのならここで甘やかすのは良くないと、悠は心を鬼にした。

 ——ただ、そう……味に関しては。

 感想に反して、悠は黙々と食べ進めている。

 今さっき美味しくないと言われたばかりの乃亜からすれば、あくまで気を使われてるだけだと思ってしまうだろう。

 乃亜は、思わず歯噛みした。

 これ以上されても、ただ自分が惨めになるだけだから……。

 『無理して食べないで』

 そう伝えようか逡巡していると——悠が箸を置いて、両手を合わせた。

 「ごちそうさまでした」

 遅かった。

 頑張って食べてくれていたけれど、一体どこまで食べてくれたのだろうか。もしこれで半分くらい残っていたら……覚悟していても、きっと落ち込んでしまう。

 そんなことを考えながら、乃亜はおずおずと顔を上げた。

 「え……?」

 ——しかし、皿の上には何も残っていなかった。

 「な、なんで……」

 「ん? 何が?」

 「だって、美味しくないって……」

 「ああ。味はどうあれ、作ってもらった物は食べなきゃ失礼だろ」

 「ほ、ほんとに……それだけで?」

 とりあえず尤もらしい理由を添えてみた悠だが、どうやら乃亜はそれだけでは納得がいかないらしい。

 自信なさげに、それでも身を乗り出して食い気味に尋ねてくる乃亜に、悠は照れ臭そうに答える。

 「な、なんて言うか……嬉しかった」

 「……嬉しい?」

 「家で他の人が作ってくれた料理食べるのって久しぶりで、なんか……と、とにかく嬉しかった」

 おどおどした様子の悠を意外そうに見つめる乃亜だが、悠は面映ゆくて視線を逸らしてしまう。

 ——少しの間、二人の間に沈黙が流れる。

 「あの……さ」

 そして、少し掠れたような悠の声が沈黙を破った。

 「俺からこんなこと頼むのも図々しいとは思うんだけど……星月さんさえ良ければ……また作ってくれないか」

 「…………え? は、はぁ!?」

 「いや、ごめん……何言ってんだろ俺。さすがに変なこと頼んだ、やっぱ忘れ——」

 「そ、そのくらい! 別にいい……けど」

 「……ま、まじ?」

 キョトンとする悠に、乃亜は小さく首肯で返した。

 悠は照れ臭そうな表情を保ちながら、少し口元を緩める。

 「ありがとう、星月さん」

 「…………」

 ポリポリと頬を掻きながら、はにかんだように笑う悠。

 ——そんな悠の表情を、乃亜はぼんやりと眺めていた。

 「なんか顔赤いけど、大丈夫?」

 「あっ……な、何でもないから! え、えっと……お皿洗いしてくる!」

 乃亜はハッと我に返り、勢いよく立ち上がってお盆に手を伸ばすが、それを見かねた悠が僅かに早くお盆に手をかけた。

 「ひゃっ……」

 ——二人の指が重なり、乃亜は反射的に手を引っ込めてしまう。

 「あ、えっと……夕飯作ってもらったし、俺が洗うよ」

 「な、なら……拭くのはやるから」

 そう言って、二人は少し距離を空けてキッチンへと向かう。

 シンクを打ち付ける水の音と、食器同士がぶつかるカチャカチャという音だけが響き、やや気まずげな空気の中で二人は洗い物を進めた。

 特に乃亜はソワソワとして落ち着きがなく、全ての食器を片付け終えると逃げるように帰ってしまった。

 相変わらず嵐のようで、見送る隙すら与えてくれない。

 その上、家に来るとき以外は連絡をくれないため、彼女の安否を知るのは大学になることがほとんどである。

 ——しかし、今夜は珍しくメッセージが届いた。


 と、それ自体は良かったのだが……


 『最上君ってさ、彼女とかいるの?』


 (どういうことだ……これ)









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